ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

明日から10月

2010-09-30 22:41:23 | 日々の出来事
夏休みもあっという間だった。そして9月もやはりあっという間だったような気がする。

去年は孫が二人生まれて、あっという間に過ぎた春から夏。 
今年は長男の春の異動、次女の引っ越し、長女の夏の海外異動とイベントもあったけれど、やっぱり異常気象でつい最近まで夏だったので感覚がおかしい、そんな気がする。

月めくりのカレンダーはあと三枚。10月もいつものルーティンと違うイベントが2回ある。心して、あっという間に11月ということがないように丁寧に過ごしたい、と思う。

混沌とした現代を生き抜くには・・・

2010-09-30 22:33:17 | カトリックの信仰
現代 カオス キリスト教 科学 合理 宗教 信頼 ・・・

このところ毎日ネットで検索中。

「理性と信仰は両立するか」 このテーマでの講師は女性のキリスト教神学者に決定。

「現代のカオスを生き抜くには」 このテーマでの講師は禅宗の僧侶に決定。

神は創造の時に、カオスに秩序を与えた。しかし、人間の自由意思に任せた部分を残したので、残念ながら歴史はカオスを抱えながら、カオスに巻き込まれて混乱したことも、カオスの状況下にあるゆえに多くの多様性に気付き、乗り越えようとする知恵も働く。ポストモダニズム、ポスト近代において、カオスの有効性が見直された。今、キリスト教徒のかかわりは?   って、人の話を聞いて分かったような、分からないような、この数日。

カオスは日本語では混沌とした状態だと思う。混沌とした状態がすっきりと整理整頓され秩序正しいことだけの世の中になったら窮屈かもしれない。 ウン、確かに。 でも現在、今生きている時代はいつのころからか、生き抜くためにかなりエネルギーのいる不条理な、先の見えない閉塞感に押しつぶされそうな叫びにもならない、あきらめの漂う、希望のない世の中になってしまった。 どうしてこうなった? どうやっていきる?  

ネットばかり見ていて疲れ、そこいら辺に一杯ある本、雑誌、新聞を広げて、参考になりそうなところを見ていく。

だから・・・でも・・・ 分からない。

ノウハウではなくて、哲学だろうか。 

尊敬する神学者の本を一杯出版している店主のブログを覗いたら、この方も今を模索しておられる。そのブログから、いのちに関わる活動をしている牧師と信徒とのいい関係という別のブログに飛んだら、カトリックでの司祭と信徒のありようの参考になりそうで興味深かった。・・・って、なかなか、あと二つの講座の企画が形になってこない。

他のスタッフと同じテーマで、それぞれが探している。 いい講座シリーズになるといい。

Qumamiさん

2010-09-29 23:42:18 | 大切な人 家族・友人
天使の贈り物、朝早くから体を動かせて、ご機嫌でサンドウィッチを食べ、はちみつレモンをkumaoさんのために作っている姿を思うだけで良かったなぁと思っています。辛そうな時は、こちらも辛い気分になります。どうしてあげることもできないけれど、想っているからね。祈っているからね。

今日のうちにこれを書きたい。

今日は聖ガブリエル、聖ラファエル、聖ミカエルのお祝い日。そんな日に貴女が天使からの贈り物を受け取って、体が痛くないの嬉しかったし、今 気がかりな友人は聖ミカエルを霊名にしていて、そのお嬢さんは聖ガブリエルを霊名にしていて、今日一日を守られていると感じながら過ごせたようです。 そういうニュースは本当に嬉しい。

今日が終わりに近づいている今、神様に、そして大天使たちに感謝の祈りをこのブログとともに。

明日もいい日だといいけれど、雨が降る日は気持ちと身体もあまり調子よくないかな、いつもよりおいのりいっぱいしているからね。貴女のことを想っているからね。 おやすみ。

秋の訪れ

2010-09-26 22:28:48 | 日々の出来事
 何よりも友人たちの気持ちが嬉しい。

 とっても忙しい友人のご主人が「今年初めて山に行ったので、収穫があったら連絡するね」と友人からメールが来た。夕方、「取りにこれる?」とのことで出かけたら、編み茸とじごぼうを綺麗にあつらえて置いてくださった。ご主人はいつもこうして美味しいものを喜んで頂く人にお家の方と同様に配ってしまう優しい気持ちの持ち主。今日はもう夕方の晩酌を始めたご主人も交えて少しおしゃべりした。畑仕事も渓流釣りも、春の山菜、秋の茸とこの友人ご夫婦のお陰でこの上ない美味しい旬の食材を食する恩恵にあずかっている。

 アルコールで滑らかになって「こうして汗流し、山を歩き手に入れる人は今の世の中何かあったときに生き抜いていける。食べるだけの人より強い。神様の恵みに感謝して祈るだけじゃ食べて生きていけない」とおっしゃるご主人に「教会に行くのも生きる力を頂いてこられる。神様から頂く命もある』と友人。このお2人の掛け合い漫才のような銚子が出せないのが残念だけれども、美味しい茸を前にしたら今日はご主人に軍配かな。今日の収穫はかさの裏側が編み模様になっている網茸(写真のおくの茸)とじごぼうをさっとゆでて大根おろしにしてくださって早速味見。う~ん、美味しい! 山はまだ紅葉が始まっていないようだったが今日は改正。空気はとっても美味しく、景色は絶景。ご主人はご夫婦で山に来ていらした何組ものご夫婦を見かけて、一緒に歩くのもいいものだなぁとおっしゃる。それは一緒にいって欲しいなぁと私には聞こえる。友人は採って帰ってすぐ食べたいとすぐ飲み始めるのだから、家でお湯を沸かして待っていることも大事と笑って取り合わない。趣味が一緒なのもいいよなぁと今日はご主人負けていなかった。畑の物を沢山持って帰って、奥さんからこんな形のもの!とか文句ばかり言われるほかのご夫婦もあるらしく、友人はご主人の作物はありがたいと本当に無駄にしないで色々な味、形に料理しておられ、じゃが芋や玉葱など家族みんなで収穫を手伝っているので、端から見れば、ぽんぽんと会話が飛び交いながらもいいご夫婦だなぁと思うことしきり。
 一人分には丁度の量を頂いて帰ってきた。

 
 もう一人、お庭の野菜をあれこれともって来て下さった。ゴーヤ、丸ナス、ミニトマト、茗荷、唐辛子そして人参。どれも採れたて、ゴーヤは塩をふって少しおき、さっと湯通ししてから甘酢につけた。茗荷はまだ塩漬け、後で梅酢に漬けよう。丸茄子は唐辛子と油炒めして甘味噌で味付け。こちらもまた友人の気持ちがとても嬉しい。至福の食卓となった。

複雑な心理はどこから来る??

2010-09-26 00:06:49 | 日々の出来事
 今日も仕事帰りに色々なことを振り返りながら帰ってきた。今日の朝からのことを思い出しながら、今、この気持ちの落としどころのない思いはどこから来ているのか探っている。

 一つ、新しい講座があってそのためにスタッフ全員が揃い、そしてみんなが何となく落ち着かない時をすごしていたような気がする。皆協力していい物を作ろうとしているのだが…

 その間に、私の凡ミスが見つかって私が謝らなければならないことなのに、すごく気配り上手なスタッフが誰のせいか分からないように取り繕ってくださった。素直にごめんなさいが言えなくなってしまった。彼女に借りを作ったような気分、だから気持ちがモヤモヤ??というのでもなさそう。

 他の場面では、ある人を間にこうもりみたいに、こっちにはこう言い、あっちにはこう言いという自分の姿に嫌気がさしている。どういう処し方がいいのか、結局いつも自分をいい人と思ってもらいたいだけなのではないかってこれもまた自分の醜さを見てしまった。

 役割分担が決まっていて、もう一人の人とかなりきちんと終えた!と思ったら、他の人が自分のやり方で一からやり直して下さった。結果は同じなので文句を言いたいのを堪えるって、もうやだ~~なんてブツブツいっている自分が情けない。

 などと…一人反省会をしていたら 友人のブログにこんな言葉があった。 

 「わけの分からないことを言って攻められたとき、頭を低くして時の過ぎるのを待つ、この手しか使えない私には…」

 思わず、合点!!と手を打ってしまった。いろんな場面できちんと向き合っていない私、同じだ!!と妙に納得してしまった。特にこの頃、ひたすら時の過ぎるのを待っているような気がする。でも うん、これでやっと寝られるって~~?? これでいいのかな(苦笑)

母の敬老の集い

2010-09-24 14:32:20 | 日々の出来事
敬老の日・・・どうして9月15日に固定祭日にしないのかなぁ。成人の日然り。
ま、そのこととは別なのですが、今年敬老の日には母と食事ができなかったので、お彼岸の昨日母と弟夫婦、妹、私で夕食をともにした。
ティータイムに美味しいケーキも頂いた。

今年の異常な酷暑の中、母は暑さでかなり体力気力がダウンしていて、8月末に東京に戻ってきた時にはすぐに倒れそうなことを言っていたけれど、やはり少し 過ごしやすくなってきたら元気を取り戻しつつある。いつもいてくれる、それでいい。だから元気でいつまでも過ごして欲しい。

夕食はそんなに手をかけない普通の食卓にしようと思っていた。 (カンパチ、甘エビ、イカ、中トロ、タイ)の盛り合わせの刺身+母の好物鯵の刺身、エビ団子(義妹の手造り絶品美味)、茄子の揚げ浸し、大根サラダ、南瓜の茶巾しぼり、みょうがのむら雲汁、梨。テーブルに並んだら結構賑やかな食卓になったので写真を撮ろうと思っていたのに、また忘れた。

先週だったか、新聞にアンケートで敬老の日に高齢者が望むことと若い人がしようとしていることのギャップが載っていた。年をとったものからは電話をかけて欲しい、とか顔をみせて欲しいという希望が上位で、若い人はプレゼントを送るというのが上位だった、と思うが記憶は正確ではない。母も《敬老のお祝いなんていいわ」と言いながら、みんなが集まるのはそれはそれで嬉しいとみえる。今年は誕生日は卆寿のお祝いで外での食事会になったが、やっぱり家でゆっくりとくつろげるのが一番リラックスできる。今回は親・子だけだったが、孫・ひ孫を入れるとかなりな人数。家でも台所にある食卓テーブルとリビングにあるダイニングテーブルを合わせると何とかおさまるが、それはそれはにぎやか。母の体力的な疲れや、外食で全部任せるよりは料理を作る、お皿に盛る、お皿を洗う…などなど手は要る。それでもやっぱり「お家ごはん」は楽しいし、豊かな気持ちになれる。次は…いつになるか分からないけれど、「いい時を過ごせる」という一点で集まれるようにしよう!っと。

こういう集まり、妹がいつも積極的に仕切ってくれる。と言いながら結局は、みんなの都合を合わせたり、いろいろなことが重たくなる時があって私はあくまでも「出られる人が出られるだけ」でいいのでは?というスタンスでいる。 重たくて我慢しながら、ではなくて楽しい時間を皆とすごしたい。

家族の輪を広げ、93歳と91歳のおばと三人姉妹が元気な時にワイワイと集まれたらいいなと、法事以外に従姉兄たちとそうい う機会を持たないので、ちょっと思っている。

アップした花は、遠方より届いた姪っ子からの花。

キリスト教入門講座

2010-09-22 21:55:33 | カトリックの信仰
所属教会で初めて、求道者のためのキリスト教入門講座を持ってから10年余。去年から私の事情もあって月2回の講座とかクラスというには申し訳ない、実は集いといったらいいのだろうか。

もともとはキリスト教入門のテキストを使って始めた。今でもはじめた時の緊張感を忘れたことはない。いつも「神の前でこうべを垂れて」道具としてお使い下さい、という祈りの気持ちに変わりはない。入門用のテキストを何冊か使い、ある時は聖書をテキストにルカ、マルコを読みながら要理のポイントを見つめたこともあった。

今、求道者が参加していないこともあって、今年の初めから「ゆっくりとヨハネ福音書」を読み始めた。今7章のなかば。洗礼を受けて何年にもなるご夫婦、5年目の方、3年目の方、2年目の方…そして今月から一人の求道者。準備はするものの、「ゆっくり」の言葉通り急がずに読み進めている。ヨハネ福音書は、マタイやるか、マルコの共感福音書と違い信仰者にとってはかなりしっかりと自分の信仰を見つめる霊的な福音書だと思う。毎回、イエスが「神に遣わされた」者として伝えたかった「神のこと」「神の思い」「神の愛」「神の正義」・・・イエスのなさったことの意味を深く考える機会を続けて与えて頂き感謝している。

毎回、【私の信仰告白】に終わらないで、私を通して「神」「イエス」理解を参加して下さる方と深めていくことができるように、私たちの信仰を確かなものにできるようにと祈りながら準備をして、ともにその時を過ごす。信じ、希望していることが腑に落ちてくるような瞬間があれば嬉しい…なかなか現実には難しいのだが、でも信仰を語り合える場があることは本当に恵みだ。 

沢山の導きと支えの恵みに「ありがとう!!」と、応え切れていない「ごめんなさい」

Skype 初体験

2010-09-21 21:34:27 | 日々の出来事
 国内でもIPフォンで無料電話の恩恵にあずかっていたのは主に家族でした。一人国外転勤になり、ひとりは引越しでIPフォンを使えなくなり…

 以前からSkypeを勧めてくれていた友人もいたが、余り必要性を感じなかった。がやはりまずは国外組みとの連絡が料金を気にして・・というのは落ち着かない。ITが苦手の彼らはいつになったらSkypeをインストールしてくれるのかなぁと思っていたら、いきなりネット環境と共にSkypeが繋がるようになった。

 昨日の晩、娘と話し、今朝は孫と話すことができた。パソコン内臓のマイクと音声なので、一人と話していることをみんなが聞いていて、他の孫も電話との違いに戸惑いつつー絵本をパソコンに向けて教えてくれていたらしいー話ができた。地球の反対側にいってしまったという距離感がすごく縮まった気がする。病み付きになりそう…。

ベルリンの壁はどうして壊されたの?

2010-09-18 05:25:10 | 日々の出来事
先日、妹がいきなり、《ベルリンの壁が壊された時に、何で急に壊れたの? 壁を壊す話なんて、聞いていなかったからびっくりした。あれは暴動だったの?確か、あの壁を越えたら殺されたりしていたのに、何で壊して大丈夫だったのかしら?事前になんかあった?》と母と話していた。台所で聞きながら、あれはいつのことだったか、ずいぶん前の話だし、東西冷戦状態の世界情勢が変わった、その象徴のような話だけれど、何も知ろうとしていなかった妹みたいな人もいるんだ、ということに驚いた。

当時も、また毎年のように、その時の様子が映像として流れたり、何周年といって新聞にも特集が組まれたりしていたのだけれど…そしてきっと、若い人だったらすぐにネット検索をかけるのだろうけれど。いもうともぱそこんをいじるので、そのご調べたかもしれないが・・・

1989年11月9日、東ドイツのご報道が壁の崩壊につながったというのは、有名な話。「旅行許可書発行の大幅な規制緩和」今までの東西の厳しい行き来の帰省をちょっと緩和しようという話があった所を、「自由化」と話して、しかも方向性の話であったのに11月9日からと報道官の記者会見で言ってしまったのがことのはじまり・・・とか。私が覚えているのは、ニューズで多くの市民が壁に殺到していた場面。戦争で理不尽にも同じ民族が壁によって分断され、しかも資本主義社会と共産主義社会と政治・経済体系が違うゆえに行き来もできず、経済・生活状態もかなり格差ができてしまっていた。ずっとオリンピックも別々の国としてでていたと思うし、東西冷戦の象徴のような存在だったような気がする。いつかドイツの統一は多分ドイツにとって悲願だった、かもしれないけれど、この「ある日突然」壁が壊されて、(あの壁、本当に暑かったんですよね)、国民はすごい興奮状態になって、特に生活が苦しかった浸しドイツの人々はこれで西と同じになれる、と大きな期待を持って東になだれ込んだのだと思う。

とうのドイツのコール首相をはじめ、政治家たちはもう次の年には西ドイツが東ドイツを吸収(面倒みるっていう感じだったなぁ)して統一度いる連邦をつくりだしていく話し合いに入り、翌春にはその道筋ができてしまったというスピード感のあるものだった。ゴルバチョフ、パパブッシュ、の時代、拿二次大戦から半世紀ちかく、世界は何かというとロシア・アメリカに象徴される冷戦状態の緊張感がいつもあった頃だったから、ベルリンの壁崩壊の現実は目からうろこ、それまでたまりにたまっていた市民の間のマグマが誤報道に動いたということになるのだろうか。 

1990年の秋の統一ドイツの誕生の式典の様子が生放送で流れた時を、なんだかすごいことが起こるんだという高揚感でテレビの前に座り続けていたことを覚えている。20年前、「妹はその頃私、何をしたのだろう…」といっていたが、妹の子供は小学生・・・きっと新聞を読む余裕はまだなかったころだったのだろうか。 うちの子たちは中高生だった。実際には東西ドイツができても東ドイツの経済状態はすぐに良くなった訳ではなかったので、大変そうだとおもったっけ。

歴史の出来事、近現代に起きた出来事、知っているような気になっていて、知らないことは一杯ある。 

去年の民主党と自民党の政権交代、政治も生活も経済もすぐに変わらないと思うけれど、長く続いた一党政治が変わった事実は多分少しずつ国民一人ひとりの意識と生活を変えるのだろう。昨日、どこかのニュースで20年ぐらいたたないと、一党政治ではなくて時代によって政権が交代することに皆が慣れないだろうと言っているのを聞いた。 色々なことのスピードに流されてしまいそうだけれど、スピード感を持って替えなくてはいけないところと、じっくりと腰を落ち着けて変えていくところを識別していくことは政治家も国民にも求められているのだろうと思った。

民主党代表選挙

2010-09-15 07:04:30 | 日々の出来事
この二週間、いや、その前の伝書鳩がうろうろしていた頃からも結構代表選挙のニュースを楽しんだ。楽しんだというと語弊があるが、でも自分に投票権があるわけでもなし、偉そうに俯瞰できるところに身を置けるので熱くなりすぎずに見ていられたと思う。

そもそも三カ月前に、普天間問題で混乱とそれぞれの「政治とカネ」で国民とかい離したことを不徳の致すところと職を辞任したお二人が、どうしてまだ三カ月しかたっていないのに代表選に立候補したのも解せなかった。そして、やめた総理が口をはさむのは控えたいと言っていたのにまず菅さん支持を表明して色々と注文を出し、自分の意を聞き入れられないと小沢さんを担いでうろうろと一番苦手な仲介役で「僕は一体何だったのだろう」とぼやく結果となり、筋の通った政治家を望むのはもうできないのかと思った。

今回、菅さんと小沢さん、公開討論が何回か開かれて記者の前や多くの群衆の前で語るのを聞けたことは、今までと違う選挙の在り方をみせてくれた。多分、これが国民に直接語る原点なのだろうと思う。誰のアイディアかは知らないがそれぞれの陣営にとって、メリットもデメリットもあったと思う。いつも苦虫をかみつぶした小沢さんがにこやかな顔をみせたり、さすが若い時から政治の主流で活躍していた小沢さんの迫力も伝わった。小沢さんの強さがリーダーシップとして移り、この人が総理になったらぐいぐいと引っ張って行ってくれそうな印象を多くの人に与えた。菅さんの総理としての公務をこなしながら、選挙戦は剛腕ではないけれど政権交代して一年、菅体制になって三カ月のできたこと、できなかったことを肌で感じながら、これからやりたいことを一人ひとりの適材適所、生かしながら政治を進めていきたいといういい方は、青臭い理想論かもしれないけれど今まで総理になった人が前面に押し出した言葉にはなかったかとおもう。

世論は実はマスコミの操作が入っていると思っているので、あまり信用していないのだが、今回の結果をみると一番大きいのはたった三ヶ月で総理が変わるのはおかしいと思っている人が多かったことをサポート票があらわしている。小沢さんの財源確保の道筋や進めたい方向が一人のリーダーシップに頼る危うさやどこかで「今までの」もう変えなくてはならない政治手法を感じとったサポート票なのだろう。

これからこの代表選挙結果の総括、見解がいろいろと出てくると思う。 何よりも政党のためではなく、国民のための政治を進めて欲しいし、そういう目線で求められている優先課題を見極めて、スピードアップして取り組んでいける政治であってほしい。自民党も含め、既得権に固執しない、何を一番にするというところで国民に訴え、説明責任を果たし、みんなが納得できる政治を目指せるといいと、そんなこんなを思った。