ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

うれしいサプライズプレゼント

2009-08-27 21:55:58 | カトリックの信仰
 教会報の編集に携わってからもしかすると、20年近く?超えた?かもしれません。今春からのチャレンジで、家を離れること週の半分、やはりカトリック関係ではありますが新しい仕事にかかわることになって編集スタッフのままではいられなくなった。少ないスタッフなので、本当に申し訳ないと思っている。

 このスタッフと久しぶりに共同作業、編集・印刷に参加しました。ちょっと内容も新しい読み物もあって、やっぱりいいかも!と思ったり、地区4教会のスタッフ5人が記事を依頼し、レイアウトし編集、校正、印刷と毎月していることはやはり大変なことだと思ったり、久しぶりの今日は「折り」を手伝っただけでしたが、思うことはいっぱい。

 地区の中の位置づけは、長い流れがあって、今は4教会の共同宣教司牧体制の中の宣教部門におかれることになった。現実はあまり変化はない。なかなか記事が集まらない、積極的な投稿はほとんどなく、書いてくれる人探しが大変、スタッフが固定化して負担がかかる、マンネリといわれる。だったら新しい風が入るようにと手伝ってくださる方をと声をかけても応えてくださる方は皆無で、スタッフは止めたい病に何度襲われたかわからないけれど、それでも《地区教会報は必要》と言われ続けて、毎月頑張るスタッフ。自分たちのかかわっている教会で行われていることに敏感になっていき、少しだけでも共同体づくりの一端を担っているかなと思えることと4教会の情報を生で交換できるスタッフの場に魅力を感じて毎月頑張る。

 印刷屋に出すより手作りのほうが経費はかからない、締め切りをぎりぎりまで持ってこれると、何年かして手作りもだんだんと上手になってきたので、その作業の大変さはなくなっても、ちょっとのミスをすれば、ここがおかしい、あれは変だった、このお知らせが抜けていた(って、言ってくださらないと知らないのですが~~)、誤字があった、順番が~~と色々…逆に何の反応も入ってこない無力感…そんなこんなを繰り返して毎月の編集・印刷日を迎える。 報いを期待しているわけではないけれど、生身の人間だから辛くなることもあるなかで、スタッフは教会報を発行し続けている。

 そのスタッフが、「長い間ご苦労様」と添付の手籠と花かごをサプライズプレゼントしてくれた。本当に、本当に胸があったかくなった。いいなぁ、信仰だけでしか結ばれていない、いろいろな生活体験、信仰体験がそれぞれの信仰を形作っている6人、もちろん、新しい助っ人が欲しい、今は関われない私でさえ今のスタッフのためにもこのままでは次へつなげていけないと本当に思う。

 私は教会の中で本当にいい仲間に恵まれてきたなぁと心から思う。関わっていた事務局スタッフもしかり、入門クラスの仲間たちもしかり、みんな、互いの違いを受け入れあうことができる在り方ができる人たちだ、と思う。司祭が時々使うフレーズでいえば「成熟した信仰、成熟した人間」なんだと思う。今春からの仕事の場も多分(私事でかなり休んでしまったので、多分としかまだ言えないのだが)まず神様ありきだが、でも多くの友人・知人・家族に支えられてきたことに感謝したい。そんなこんな…

家から歩いて15分

2009-08-07 11:28:13 | 日々の出来事
 今は皆30代になる子供達が小さい頃、出来たてだった公園はまだ木も若くて、遊具もなかった。

 今日孫を連れて来たら、緑濃くて、蝉しぐれの下気持ちのいい場所になってあた。広さもかなりあって散策だけでも楽しい。一般的な遊具にブランコもシーソー(いまどきはない公園も多い)も砂場もあり、アスレティックのように木でできたはしご、ネットの上り下り、丸太の橋、滑り台…広い広い原っぱはキャッチボールにも、トンボを追いかけるにも、シロツメクサを摘むにもいい。

 今夏、まだまだ続くふた家族の帰省中、何度も来ることになりそう。