ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

「パンを増やす奇跡」・・・昨日の説教から

2006-07-31 19:04:32 | カトリックの信仰
 昨日の福音箇所はヨハネによる福音6:1~15
 イエスについてきた大勢の群衆に食べさせる為に、少年が持っていた五つのパンと二匹の魚を増やした奇跡物語の箇所である。およそ5000人の人々が満腹し、残ったパンの屑を集めると12籠が一杯になった。という話である。これは四つの福音書に書かれているエピソードなので、きっとこのような場面、大勢の人々がわずかな食糧で満足したような場面があったのだと思われる。

 説教は、この箇所を普段背負っているものからの解放されたときに味わう感覚と結びつけて話された。

 ★☆★☆☆ イエスが行われた不思議な業の物語は、イエスが神の本性を持った方だと確信した弟子達が、その神性を表す為に起きた出来事を膨らませて福音書に書き記したかもしれない。このエピソードの通り、パンが増えたと考えなくてもいいと思う。

 イエスは向き合った人の本質、その人の持つ核とまっすぐ向き合うことが出来る人だった。その人が心を開いている限り、その人の持つ本質と核にイエスの言葉がダイレクトに響いたのだと思う。イエスについてきた多くの群集は、社会的な地位も名誉もなく、むしろ重荷、枷、くびきを負ってい世間から見放された人々だっただろう。イエスしか頼るところがなかった人々は、イエスが与えた五つのパンと二匹の魚を食べて充たされたのだと思う。イエスの言葉にであい、社会、世間のかせや重荷から解放されて、イエスと粗末な食事を共にした体験が満腹感をもたらした。

 去年、フランシスコ会会員の研修で一週間神学校に滞在した。その中ほどにレクリエーションが企画されていて、前夜40,50代の仲間とお結びを握った。正直言って勘弁してよと思った。何で男達が作っているお結びを食べなくてはならないのかと思った。翌日、電車を乗り継いで2時間、そこから病人も高齢者もいたのでゆっくり歩いて2時間小高い山頂で昼食のときとなった。それぞれ輪が出来、やはり同じ年代の司祭とお結びを食べた。「おっ、美味しいじゃん。」と思ったとき、「旨いな、お結び。」「いいな、これ美味しいな。」と皆もお結びを美味しく感じたようだった。司祭達は日頃働いている場、小教区など日常から開放されて、素直な気分になっていたのだと思う。そのとき思い出した聖書の箇所が今日のこの箇所だった。

 人間は自由になれる瞬間がある。ただ神の前にある自分になれる瞬間がある。このヨハネのパンを増やす奇跡は聖体祭儀を表しているといわれる。キリストの聖体、イエスによって、日常性から解放されて神の前に立って素直な自分と向き合うときが訪れることがあるのではないか。 ☆★☆★☆

 私は、この箇所を読むとわずかずつでも持ち寄ったものを分け合いながら食すときに感じる豊かな分かち合いを実感することがあるのを思い出す。一人で満腹になるよりずっと心が満たされる思いがある。小さな心配事もみんなの祈りによって支えられ軽くなるときがある。イエスに信頼すると小さな喜びが大きくなるときがある、辛いことが小さな喜びになることがある。

児童虐待事件…

2006-07-30 19:12:05 | 日々の出来事
 3歳児が一年近く食べ物を与えられず、体重7.9㎏(普通なら生後6ヶ月ぐらいの体重)で虐待衰弱死に至った。可愛くなる盛りの子供に、虐待する親…。長男も暴行を受けて傷害事件となり、親権喪失している、とか。長女は3ヶ月で志望しており、次女、次男も虐待を受けている可能性のあるという。

 なぜなんだろう、どうして子供を虐待する事になるのだろう。100%譲って、親にもいろいろ事情があったのかなと想像してみる。仕事が上手く行かなくてむしゃくしゃしていたのだろうか。リストラされて苦しかったのだろうか。夫婦関係が上手く行かなかったのだろうか。もともと虐待を受けて大人になったのだろうか。子供嫌いだったのだろうか。弱いものいじめ?・・・それでもなぜ子供に虐待を??

 子供のことが大好きな私には考えられないけれど、虐待事件がニュースになるということはもっともっと多くの件数があるのだろうと思う。人と関わる事ができなくなった社会だという。自分の思う通りにならないと関係を絶ってしまう。殺してしまう。それまでに抱えた嫌な思い、疎外感や喪失感や行き場のない苛立ちをゲームをやり直すように「リセット」できると思って、関わりを持たないという消極的な次元からいのちまで絶つという行動になる。本当にそう思っているのだろうか。かけがえのないいのちなのに、大切な将来のあるいのちなのに、いのちが軽くなってしまっている。

 なぜなんだろう。
泣いて、泣いて、涙も一杯流しただろう子供たちのために心に留めて祈りたい。

お習字

2006-07-29 20:30:38 | 日々の出来事
 地区教会報のスタッフに、書道に師範が誕生したのが去年。毎月一回の編集会議のときにその方に書道を教えていただく事になった。小学校3年生の時に国語の時間に書道が登場して、惨憺たる物だった記憶と祖母が字の上手でチョット手ほどきを受けたときにとても厳しかったことがトラウマとなり、どれだけ字が上手だったらと思ったことは何回もありましたが、書道を習う事になろうとは…。姑にも結婚前に何かで礼状を書いたときに『お世辞にも上手いといえない字」といわれ、字の上手な友達も「あなたの字は読めればいい、というものね」といい、心の傷はかなり深く…(-_-;)

 最初はひらがなのお手本を半紙の下に敷き、なぞってみたが、お手本をはずすとミミズが這った様になり続けられるか最初から不安。名前だけでも上手になりたいという思いは誰も同じで、それぞれにお手本を頂いて何回も書いてみるもやはりそんなにすぐには上手にならない。最初の1時間余はあっという間でした。墨の匂いはいいものだなぁというのが第一印象。

 翌月、編集日の少し前に次回の持ち物というメールが来て、「先月のひらがなの清書をもってくること。」更に「今月は『主』の字を入れた短文をする予定。」とあり、一回も習字の道具を開けていなかった私はビックリ!でも優しい先生は「いいのよ、楽しく続けられればいいから。」とおっしゃって下さり、甘えて何の練習もなしに、『主のいつくしみ』に挑戦しました。筆使いを手取り足とり教えていただいて、あっという間の1時間余。ふ~ん,難しい。

 そして今日。もう一度『主のいつくしみ』を今度はレイアウトを変えて何度も書いてみました。先生プラス4人の生徒。一人はやはり師範の許状を持っている方で元から上手、もう一人もやはり号を持っている上手な方。もう一人も私よりは筆に慣れていてお上手。…(>_<) 上手な二人はお手本が上級になり、それぞれかなり集中して、書に向かっていました。何事も飽きっぽい私はギブアップしそうになりながら、それでもチョットずつ(本当にチョットずつですが)筆の持ち方、動かし方に慣れてきている感じと先生と仲間が褒め上手で何とか、次も出来るかな、という気分です。

 それにしても硯も墨も硯を包んでいる雑巾も、小学校以来のものというのも物持ちがいいなぁと我ながら感心しています。

夏の簡単献立

2006-07-28 20:13:37 | 料理
 今日は月に一回助手として伺っている、U市の料理教室でした。今日はお休みが多くて生徒さんは9人。暑いときは、長く火の傍に居たくないので、献立は簡単な小皿料理といったところでしょうか。とはいえ、豚バラ肉を3時間もかけて蒸して下拵えしてきてくださったのは先生です(^^ゞ。


 ☆豚バラ肉と茄子の炊き合わせ
 ①ばら肉(500g)を竹の皮の上に置き、大根1/2本を下ろしてかぶせて、竹の皮で包み、3時間蒸し器にかける。ここまで時間が長いので、蒸し器の下の水の補給に注意!
 ②蒸しあがったら、ぬるま湯で肉を洗って、一口大に切る。(水で洗うと肉が硬く締まります)蒸しあがったものは冷蔵庫の中で、3~5日はもつので、多めに作ってしまうといいかもしれませんね。この作業迄はがんばって!
 ③だし1.5C,砂糖大3.5、しょうゆ大4、酒大3で、紙蓋をしてじっくり味を含めていく。
 ④茄子は縦半分に切り、皮目に斜め飾り包丁を入れて、皮から油で揚げる。
 ⑤だし2C、砂糖大2、しょうゆ大2、淡口大1、酒大2で、身を下にして味を含める。
 ⑥アスパラを色よくゆで、4~5cmに切り、豚肉、なすと盛り合わせ。針しょうがを天盛りして、茄子の煮汁をはって出来上がり!
 
 ★蛸の下処理:
 ①塩で締めてあるものは、水洗いをする。締めていない場合は大目の塩を振り、洗濯をするようにしっかりしごきます。生臭みとぬめりが取れます。
 ②蛸を切りやすい長さ(5~6cm)に切り、皮と吸盤(=爪)を寄せて桂向きのように切り取る。

 ☆蛸のさしみ 梅肉酢添え
 ①皮を取った棒状の蛸足を、まな板にしっかりつけて、かつら剥きのように切っていき、細切り。(蛸の刺身は輪切りと思っていた方、チョット今日は違いますよ)
 ②ザルに入れた1をさっと熱湯を通して、氷水にいれ、水気を切る。
 ③みょうがを細いせん切りにして水にさらし、敷き褄にして大葉を置き、蛸を盛り付ける。
 ④梅肉を裏ごし、みりんと淡口で伸ばしたものを蛸に添える。
 ⑤わさびを下ろしたものをそえ、わさびと梅肉で頂く。
 
 ☆キュウリと蛸の爪の辛子酢醤油
 ①蛸の下処理ではずした皮と爪(=吸盤)を食べやすい大きさにきる。
 ②水5Cに酢大2と塩小1/2入れて、皮に色がついて、火が通ったら冷水にとって水を切る。
 ③キュウリは蛇腹切りしてから、1cm厚さに切り、立て塩水につけてしんなりさせる。しんなりしたら水気を絞る
 ④しょうゆ大1、酢小1/2、水辛子小1/2で、蛸の爪、キュウリをあえる。

 ☆枝豆と小板のわさび漬け和え
 ①枝豆はゆでて、鞘から出しておく。しょうゆ洗いで下味。
 ②かまぼこ1/2枚を枝豆と同じくらいのさいの目に切る。しょうゆ洗いで下味。
 ③わさび漬けを30~50gぐらい、様子を見ながら枝豆とかまぼこを和える。

 日本料理をなさった方には、簡単。全く知らないとやっぱり大変かもしれませんね。考えたら、だしのとり方、料理で使う言葉も分からないこともあるのですね。
秋から料理教室再開したいと思っている私ですが…。蛸は刺身用としてもう処理をしてあるものを使えば楽でしょう。今日は生の水だこでしたから、いつも賑やかな生徒さん達も自然と寡黙になって取り組んでいました。献立の中の一つひとつ挑戦すると、少しづつ料理に慣れますよ。豚肉を蒸すときに竹の皮、経木のように自然の素材がいいのですが、どうしても手に入らないときはオーブンシートを使ってもいいです。

プットレア

2006-07-26 20:32:40 | 日々の出来事
 2年前、黒い小さなポットに葉もなく短く切り込んだ苗が捨てられそうになっていたものを貰ってきて、はじめは北側の庭に植えました。日陰でもあり、冬には雪の捨て場にもなるところだったので、6~7本あった苗の殆どは駄目になってしまいました。

 プットレア・ホワイトとかプットレア・ダークレッド、プットレア・ピンクなどと名札がついていたのですが、『プットレア』は初耳、どんな風に花がつくのかも分からず、花好きの友人に聞いても分かりませんでした。去年、南側に移したら大きく、大きく伸びて、花もつけました。でもちっとも綺麗!というワクワク感がなくて…(>_<)

 去年、かなり刈り込んだにもかかわらず、今年も元気です。

 先日友人をお宅まで送って、車の中で長話。ふと目の先をみたら、空き地の端に塀を越えてフラ~リフラ~リ,紫の花房をつけているのは家にあるのと々プットレア。やっぱりどこでも大きくなるんだわ。サイトを見ていたら、アレンジフラワーにプットレアの花房が使われていて、ホォ~と見直しました。

我が家はちょっとした植物園

2006-07-25 21:44:51 | 日々の出来事
  昨日切る前のヒマラヤ杉と、今日切った後の庭を撮って写真をアップしまた。

       

 植木屋さんに入ってもらったのはもう7~8年近く前になると思います。この数年は知り合いが庭に入って、伸びた枝を切ったりして下さっていました。が、庭には大きくなる木ばかりあって、鬱蒼とした庭になってきていました。先週、夏バーションにかなり短く髪の毛のカットに行きました。癖のある髪質なので梅雨時に延びてきた髪が手におえず、『切ってしまえ!(笑)』という勢いで頼みましたが、庭の木も『まさに今年はもう切らないと!』という状態でしたね。緑が多いのは本当に癒されて、嫌いじゃないのですが、やっぱり伸びてまとまりのつかなくなった髪の毛みたいで、さすがに我慢が出来なくなりました。

 植えたときの植木屋さんはもうなくなっていますが、なぜこんなに大きくなる木ばかりを植えたのだろうかと今は思います。ただ、引っ越した30余年から20年前の間に植えたときはほんの親指ほどの苗木だったものですから、気がついたら大木だというものが多いのですが。

 今の家は終戦のころでしょうか、主人の両親が買った土地です。その頃植えたというヒマラヤ杉が一番の大木です。そう、校庭の隅やら公園の隅にある大きな木です。家を建て替えたときに、7本ぐらい切ったのですが、今庭に残っているのが2本。日陰になって良いというメリット以上に電線に引っかかる、枝が伸びて重く、暗くなってきてしまいました。「太いほうの木はいずれ元から切らなければならなくなると思うから今年切ってしまいましょうか」と言われたのですが、クレーンを使わないと切れないというほどの太さと高さでかなりの金額も掛かるとのことで二本とも枝を払うだけにしてもらいました。

 娘いわく『木にネームプレートを付けたら?』というほど、たくさんの木々:玄関側には枝垂れ桜、白樺、梅、ざくろ、紅葉、糸杉、馬酔木、どうだんつつじ、花海棠が二本、気がつかなくなっていた木も、さっぱりしたお陰で日に当たっています。庭側にはヒマラヤ杉をはじめ山帽子、栃の木、あんず、泰山木、桂の木、ざくろ、さるすべり、柿の木、鳥の運んできた榎(今回初めて植木屋さんに教えてもらいました)、花海棠、百日紅に藤棚、やはり鳥の運んできたねむの木、木の種類だけでもビックリでしょう?植木屋さんいわく『良くこんな木ばかり』という大きくなった木がさほど広くないところに混み合っていました。

 昨日と今日、枝を切り、枝を透かしてもらって本当にさっぱりしました。これからの夏日に日陰が少なくなった感じはしますが…でも、明るくなりました。そういえばあの枝越しに恵比寿講の花火が見えたときもあったのだと思い出しました。引っ越したときにはこんなに日が射していたのだったと思い出しました。目に慣れるまでチョット落ち着きませんが、気に入っています。

        

NHK「ワーキングプア」を観て

2006-07-24 20:13:20 | 日々の出来事
 昨日、NHKスペシャルで「ワーキングプア」を観ました。『働いても働いても豊かになれない…。どんなに頑張っても報われない…。』という予告番組のコピーを見て、観る気になったのですが思っていた以上に考えさせられる番組となりました。

 番組で取り上げられていた数人のワーキングプアと呼ばれる方たちは、現実を知って欲しいと匿名を条件に日常をさらけ出してくれたそうです。もちろん顔にモザイクは無し…。

 東北地方で農業に携わっている米農家では、ここ数年米相場が下がり続けて、働けど、苦労を重ねても現金収入のない状態になり、税金も払えない状況だとか。苺農家では、当主夫婦、おじいちゃん夫婦、長男夫婦と子供、次男と大家族が一つ屋根に住むことによって倹約して、出費を少なくして生活していました。

 奥さんを亡くして小学校と中学の男の子二人を育てているお父さんが、年収600万円もあった会社の景気が傾き、4年前にリストラされてから50歳では低収入の得られる仕事に就けず、貯金も崩して、ガソリンスタンドを三箇所も掛け持ちをしてやっと月収20万に満たない中で、「何とか子供を思うように勉強させてあげたいけれど、このままでは、この先がすごく心配…」と。子供たちも夜勤のお父さんの言いつけを守って朝食を自分で作って食べたり、苦労している父親の体を気遣ったり、進学希望もお父さん次第と、本当に健気で(-_-;)何とかならないかなとか、奨学金もあるから頑張れとか思いました。

 6年前にアルツハイマーで倒れた奥さんを施設に見舞いながら、洋服の仕立てを年間2万数千円と年金で、一日100円の食費で頑張っているおじいさん。いかの缶詰と納豆がその日のご飯。気持ちだけでは身も心も大変だろうなぁと思う。

 30代でホームレスになった若者の就職できない状況、頑張りたくてもなかなか仕事は見つからない。何とか面接を通ったけれどホームレスがばれてやっぱり契約成立しない青年。コンビニのゴミ箱から雑誌を見つけて一冊50円、一日4冊見つかって「今日の食費はゲット」という青年。想像していた以上に『ワーキングプア』の現実は厳しいようです。親に見捨てられて、勉強も運動も出来たのにお金のないことになるとクラスでバカにされ、高校に入ったものの毎日食べるもののためにアルバイトをしなければならなくなり、勉強は出来ず、結局アルバイトを転々としているうちにちゃんと就職できる時を逃してしまった青年。こういう格差は世代を超えて連鎖すると聞くと、経済的な格差が産む罪深さを思います。

 初めて聞いた『ワーキングプア』という言葉でしたが、『働く貧困層』が増えて、生活保護水準以下の生活を強いられている人が400万人とも言われているそうです。番組を見ていて、他人事ではない厳しさに胸が痛くなりました。個人が怠けていたとか、人踏ん張りが足りないとかという問題ではなく、社会構造上の問題であると番組で言っていました。

 一言にワーキングプアといってもいろいろな事情はそれぞれ違うと思います。でも老人から青年、親を通して子供も、真面目に真摯な努力が報われる日があることを祈るのみです。人間らしく最低限の生活をするために必死で働いている人がどんな形にしろ、諦めを重ね、生きることを放棄してしまうようなことのないようにと思いました。

カトリック信徒養成コース

2006-07-22 19:58:53 | カトリックの信仰
 今、私の所属教会のある地区では新しい試みをスタートするところです。目にし、耳にし、準備から関わってきて、ここまで来ると心配の種にしようと思えば色々とあります。でも、どんな滑り出しであろうと、結局は実りは後でついてくるもの。ならば、一つ、一つクリアしていけばいいかなと。・・・主任司祭はなぜか、この一週間とても緊張して心配して、今日の第一日目を終えてお疲れの様子、もっと肩の力を抜けばいいのに。

 私は教会で入門クラスを持っています。6年目になります。家の教会では信徒がカテキズムをすることはそれまでなく、司祭から打診されたときには即答は出来ませんでした。でも、自分の信仰の中でしか伝えられません。背伸びしてもそれは喜びとしては伝わらないと思いました。私が信仰があって良かったなあと思うこと、いつも包み込んでくださっている神、私が出会った暖かいイエスのまなざし、そして日々の積み重ねの中でやっとこれだけは確信したという小さなキラメク輝きの神秘のかけらのモザイク模様…。

 教会に高い敷居を越えてやっとたどり着いた方たちはそれぞれの事情を抱えていらっしゃることを思い、その方たちに寄り添おう。洗礼のことは頭からはずして、私の信じる神様のこと、一人ひとりをかけがえのない存在として受け止めてくださる神様の大きな愛、こんな私でも赦してくださっている神様のことを伝えて行けたらと、引き受けました。緊張の多い日々です。それは今でも変わりません。この6年、確かに知識は増えたかもしれませんが、たった一つの言葉使いがつまずきを与えないようにと祈りながら、いっつも後は神様お願い、聖霊に働いてくださいと祈りつつ、準備から当日、結局毎週、気を抜けない日の方が多いです。でも、神様に近くなったり、あるとき逆戻りしたり、知れば知るほど深く深く分からない神秘が横たわり、でももっともっとと思えるのは幸せなことです。

 それでも、一杯一杯の恵みも頂いていることを実感しています。苦労でも贅沢な仕事に、これからこの地区4教会の30余人の方たちと一緒に学びあう事になりました。また新しい学びができる事に感謝したいですし・・・(例え、この第1回コースがどんな形になるのか、今見えてこなくても)でも、神に信頼して、これからの信徒養成コースを楽しみにしたいと思います。

 信仰の言葉で言えば、「神様への信頼」を問われているな、また。

「間宮兄弟」見てきました

2006-07-21 17:50:53 | 日々の出来事
 東京で映画「間宮兄弟」を上映していたときは、なかなかタイミングが会わずに見に行けませんでした。この頃、当地で新しいシネマビルが出来て、一館で8本の上映をしています。こんなに上映本数が多ければ…と期待していましたが、そこではなく周辺映画館で上映中の広告をみて、昨日行ってきました。

 映画館の前にいって、「月・金レディースデー 1000円」の看板を見て、思わず一日伸ばそうかと思いましたが、観ちゃいました。この間会った友達が「何で間宮兄弟なの?」と言っていましたが、今ハードなのは観たい気分ではなく、日常生活からポッコリはなれる異次元空間で気楽な笑いのあるものがいいなと思っていました。そういえば、春に見に行ったのは「有頂天ホテル」でしたっけ。

 ご存知の方も多いでしょうが、「間宮兄弟」(森田芳光監督)佐々木蔵之介と塚地武雄(ドランクドラゴン)主演のいい年をした兄弟の何があるでもない、でも何だかおかしなコンビの醸し出す雰囲気が良かったですよ。常盤貴子も沢尻エリカも、うん、何となく好きな女優さんの一人戸田菜穂も良かったです。何人が入る映画館か知りませんが、観客は女性が4人だけ。勿論散らばってみていますから、その人たちがどんな風に観ているかの雰囲気も伝わりません。時々、「ククッ」と笑いを堪えてみたりして、「観てきたよ、観たよ」とあんまり勧めるようなものでもないけれど、この頃の私には、この2時間余はリラックスできて~~マッサージかサウナみたいですねぇ(笑)

 もう一つ持っていたHPに変な書き込みがあって、一時ページを減らして、更新を控える事にしたので、気分はブルー。でもこのブログで日記を書いておこうかなと・・・ やっと雨が止んで、明日もうす曇で暑くなるとか。各地で起きている災害がこれ以上ひどくなりませんように。