ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

仕事を辞めます

2012-03-23 08:19:45 | 日々の出来事
この一週間に身の振り方にだした一つの結論です。
先月来の体調の変化は確かに身体が正直に反応した悲鳴だったのだと思います。だから、何にも先立って健康な身体に戻したいと切に思っていました。治るまで、ゆっくりしなくてはいけないと思いました。

仕事を休まなくてはいけない、あるいは時間を短くしたりしながら続けるか、いずれにしてもスタッフにはやり繰りし、応援を頼み迷惑をかけることになるし・・・どうしたらいいかと思案していました。

『このまま仕事をしていたら、倒れるから辞めなさい』この一言は、勿論私の身体を気遣っての言葉でしたが、効きました! 一方で籍を置きながら体調が回復できるように色々なオプションを考えてくれたスタッフにも感謝しています。が、このひと月休んでいる間に、まず身体を整えたいと思った気持ちを尊重して、納得してもらえました。

胃潰瘍も十二指腸も、薬を飲んで、心身共にゆっくり過ごしたら必ず治ると言われているけれど、私の性格と生活を変えられるかしら? ちょっと自信はありませんが、まずは辞められました。いいきっかけだったと思えるこれからにしたいと思います。これから何をするにも、心配なく動ける心身としたいと思います。高齢になる母も、一杯の孫たちにも、何よりこれからの私の生きようにも健康でないとダメですよね。

『新しい働きができるわよ。ダイナミックに動く人よ、あなたは!』
「勇気を持って、決断を!」「これからよ、人生は!」
「命をすり減らしてやる仕事じゃないよ」「命をかける仕事じゃないよ」「ここの仕事は代わりの人を探せるけれど、あなたが倒れたら代わりはいないよ」ありがたい言葉を沢山頂きました。

昨日、午前中にスタッフミーティングがあって、午後に秋期の講座の企画委員会があって(これはもう関わらないでいいのですが…)一つ一つ、“ 終わり ” あと2-3回の片付け仕事に行くだけです。
聞きたい講座に参加できるかな?

三年間の仕事でさんざん失敗したり、どこかで甘えて中途半端でイライラさせてしまったことも受け入れて飲み込んでくれたスタッフたち。ありがとうございました(^O^☆♪
今は楽しく、面白く、懐かしく思えるたったの三年間の仕事です。 

胃潰瘍 ひと月

2012-03-15 22:47:46 | 日々の出来事
昨日から仕事復帰。
朝から青空、気持ち良く出勤しました。
机上に溜まっていた書類を整理しただけでひと息。もう一人のスタッフとそれぞれの仕事を黙々と、、。
期末の整理と来期の準備のためのたった三つのExcel仕事を終えた三時で、身体からサインが聴こえたので、申し訳なかったけど第一日目終了しました。

今日は、朝から夕方まで単純作業でした。何にも考えずに、こういうの好き。来期講座案内を500余りの送り先の袋いれは、すでに他のスタッフが終えていたので、ひたすら封の糊付けとメール便のシール貼り。夕方発送。近所の手配り先7件は帰りがけに40分かけて配り終えて直帰。

朝より夕方の方が胃は主張するけど、許容範囲内。あとひと月分の薬を処方されたので、ゆっくりなおしま~す。

夜・夜明け・昼 (エリ・ヴィーゼル著)

2012-03-13 20:57:04 | カトリックの信仰
先日、出席した神学講座の中で
神と地上での苦しみの関係が問題になるときによく引用される本として「夜・夜明け・昼」の中の一つのエピソードを紹介し、一つのエピソードを朗読しされた。 現代の苦しみや悲しみを見つめた時に「神はどこにいる?」という問いにこそ答えられるのがキリスト教の神だと師は言われた。

神は私たちが苦しみ、痛んでいる時に共に苦しみ、痛み、悲しんでおられるという神学の流れの中での話であった。

アマゾンで注文できた本が届いた。アウシュビッツ収容所に収容されていた作者は、生き残り小説家になった。小説であるので多少の脚色があるだろうけれど、作者の体験に基づいた本。 師が朗読された時に泣くのを堪えながら読まれた。「この個所を読む時にいつも泣きたくなる」と言われた。心して読みたいと思う。

単純に感動する本としてではなく、「私たち(キリスト者)が信じる神はここにいる」「神は共にいるのだ」のだと、苦しみ・悲しみの中にいる友に伝え、支えたいと願う(私の)糧にしたい本の一つとして。

リハビリ 少しずつ・・・

2012-03-12 20:28:22 | 日々の出来事
3週間余りの自宅静養の殆どを家ですごしていました。
だいぶ身体は楽になったように思います。
痛みのために本当にソロ~~ソロ~~としか歩けなくて、階段の上り下りもそっとそっとだったのが、力強くとはいえないけれどまぁまぁ外目には普通に歩けています。階段もトントンと下りています。

土曜日には午後2時間、普段参加できない教会での神学講座に出ました。机に向かって講師の話を聞きながらノートを取って、久しぶりのこういう機会はすごく嬉しく思いました。が、姿勢が少し辛くなりました。今週に控えている仕事復帰、できるかなぁとちょっと不安がよぎりました。
身体がなまっているからね。行ってしまえば何とかなるかもしれない、と思う心半分。

日曜日、たまたま教会で予定されていた、四旬節黙想会の第一講話とミサに与って(午後の部はカット)家に帰って、大震災一周年を静かに黙祷しました。 同じときに日本各地で、世界各地で多くの人が祈りを共にしている、そのことがすごいことだと思いますし、こういうことが生きる力、希望を生み出す力になっていけばいいなと思います。
― そして各地の被災地の映像を見た知人が、義捐金はまだまだ足りないみたいだから郵便局にいくといっているのを聞いて、特集番組効果はこういうところにもあるのだと思いました ―

今日、午前11時近くから夕方近くまで、友人の手伝いに出かけました。本当はお昼過ぎに家に帰る予定が次々にずれ込んで、途中からは水曜日の為のリハビリと開き直りました。
今日はなんと、廊下を走っている自分にビックリ。 その時は何だか嬉しくなりました。何とかすごせないことはない。でも身体はきついよ~といっているような気もするし、怠け癖が付いたなってそんな気もしています。分からないです。

昨日、師から「具合はどう?良くなってきた?」と聞かれ、「胃のほうは随分良くなったように思うのですが…」と答えたら、「気持ちが向うに向かない?」と言われました。 何だか当たっているような気がします。
気持ちだけなのか、身体の出しているサインなのか、ただ体がなまっているだけなのか、自分でも答えが分からないです。

今思うことは、身体をきちんと直したい、そのために身体の出すサインに耳を澄ませていたいと思っています。この数週間の間には悲鳴だった時もありました。きちんと直さないと、皆に心配をかけて、心配を重ねてしまうことになるのをつくづく感じています。時間がかかってもちゃんと直した方がいい!!

ひと月分の薬がなくなったので医者に行き、一ヶ月検診と次の薬を明日上京して頂く予定です。

東日本大震災 あれから一年

2012-03-11 00:40:34 | カトリックの信仰
「忘れないために」  「記憶を風化させないために」 

そうかもしれない。でもどこかで違うのではないか?という思いがしている。 何が違うのか分からないのだけれど。

確実なのは、今日 心を寄せて、思い出し、祈る人が日本だけではなく世界中にいるということ。不安や哀しみに寄り添い祈る人が一人、二人ではなく大勢いるということはそれだけで生きる力になる素晴らしいこと。

きのう、ふっとアナムネーシスという言葉が頭に浮んだ。カトリックのミサで聖変化の時に、2000年前にイエスがパンを取り「これは私の体」、ぶどう酒を取り「これは私の血」 「記念として行え」といわれたことを、今ここでアナムネーシスする。 いい日本語に訳せないから、「記念する」と訳されているけれど…
大震災の恐怖、悲しみ、辛さや不安を一年前と同じように思い起こすというのではなく、あの時に多くの人が被災地の人に心を寄せ、一人じゃないよ、共にいるよと思い、自分にできることは何かと思った、その事を思い起こす、そういう意味でのアナムネーシスというのはありや無しや。

これはあくまでも私の頭の中にふっと浮かんだことで、神学を生業とされている方のお叱りを受けそうなのだが…
カトリック用語の三位一体も政治にも経済にも使われているようだし、ユビキタス(神の遍在=どこにでも在る)もコンピューターの世界で使われているしかなり一般化、アナムネーシスもいつか一般社会で使われると気が来るかも…
分からないことを考えるのは哲学みたい。

胃潰瘍3週間 そろそろ・・・

2012-03-09 14:35:47 | 日々の出来事
こんなに何をしなくてはいけないということのない毎日をすごしたのは何年ぶりだったかしら、と思います。

長野に戻って最初の1週間は痛みの中にあったわけですが、ちょうど復活前の回心の時、子供の頃はは何かを犠牲にする期間として記憶にある四旬節に入りました。灰の水曜日、太齋(一日に一食と軽い食事)と小斎(肉を食べない)を守る日ではありましたが食事も満足にしていない時期でしたし、ミサに与りに行くのもちょっと無理な時でした。こういう四旬節の始まりは祈りに始まっていいかも、なんて思っていました。

今回は痛みを伴ったのでこんなに休めたけれど痛みがなかったら、キットなんか変だなぁと思いつつ動いていたと思います。痛みが遠のいたころとこの数ヶ月抱えていた難問に結論を出した頃が重なりました。この難問ははじめは青天の霹靂でしたが、数ヶ月今までのこと、これからの老い支度についても考えるいいきっかけを頂いたと思っています。

  ― 老い支度は本当を言えば待ったなしです。一日一日老いていくのですが、支度をする余裕をもっているような気になっていますが、実はそれぞれに与えられている死はいつ来るか、誰も分かっていないのです。私は嫁して実家から離れて暮らすことになったときに、里帰りして家に戻る時にいつ何があるか分からない(両親にか、私にかどちらにしても)、だからこれが最後になるかもしれないと思いながら挨拶していました。死はいつか分からないという気持ちはそんな時も、友人とさようならを言う時も、いつも今もあります。 数年前月に一回のお稽古先で、元気に翌月会えると思ってお別れの挨拶をしたのに、翌月が来る前に友人が亡くなるということが続いた時がありました。 それまでも死がいつ来るか分からないという真理に向き合っていたつもりでしたが、数年前の何ヶ月かの突然の別れは以来一期一会の思いを込めた挨拶になったような気がします。 今まではそんなものでした。―

話を戻して老い支度、ゴロゴロしながら目に付くところからはじめた片付けは結構気分転換になりました。今までより少し具体的に考えました。住んでいる今のこと、これから先のこと、健康のこと・・・

信仰を持つものの感覚だと、死を迎えることそのものへの恐れはないのですが、人間として最後の始末をきちんとしたいな、という願いはあります。それもまた気に病むほどのことではなくて、死んだ後は自分はもうアタフタしたところでどうにもならないのだから任せるしかないな、と思っているのですが、今できる老い支度のいくつかはしてもいいのかな、とね。

死に至る病ではないのですが、こんなことを考えるほどに体調は回復したということを今は嬉しく思っています。

蕗の薹 春!!1

2012-03-08 18:58:48 | 料理
二週間前には頭も出していなかったのに、二日ぐらい暖かい日が続いたら庭先に蕗の薹が顔を出し、ふくらみました。早速7,8個採りました。蕗のとう大好きな友人に届けて、自分用には3個。

昨日はお豆腐のステーキに大根おろしと蕗の董を刻んで載せました。春の香り、ちょっとほろ苦くて、堪えられません。美味しく頂きました。

今日はおみそ汁に散らして見ました。香りが立つような気がします。これもまた春ならではの大人の味です。

    

今週末からまた冷え込むようなので、大量に顔を出すのはもう少し先の事でしょう。娘の帰省時に残っているといいのですが。

東日本大震災から一年を前にして

2012-03-07 22:57:55 | 日々の出来事
友人から、こんな言葉と一緒にある記事が紹介されました:
野本さんから。この一年、伝えたかったのは、こういうことだった、と思います。大きなイベントは、私にはもう、いいんです。311は静かに祈りたい。


その記事は下記の通り:作成: 瀧本 光静

気仙沼で発見された携帯に残された最後のメールです。

この原稿は私が担当をしている新聞の今月分の原稿です。
いつも手書き文字とイラストを書いています。

「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに行きたかったです
お父さん 今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが 

享年 長女17才 次女14才 」


真横で妹が死にゆくなか どんな想いで暗黒と極寒の中、彼女はメールを残したのでしょう。涙が止みません。

48才のお父様よりこの携帯を見せていただきました。

一周忌の11日(日) 宮城の地にて祈りの会を行わせていただきます。
14時46分に黙祷を行います。
どうか、皆様各々の場所にて黙祷を御奉げくださいますよう。

「最後に伝えたかったこと~故人に伝えたい47のメッセージ~」 はこのような命の大切さを気づかせていただける、ご遺族様の貴重な言葉を、同じく手書き文字・挿絵いり のタッチで出版いたしました。 

点字本・朗読CDもまもなく完成予定です。
 
人生、投じたものしか返ってきませんね。 頑張ります。 


私が読んだ感想です:
アップをしていただいてありがとう。数日前からの”忘れない為の”特集番組にどこかで違和感を持っています。
去年のあの日から抱え続けている、共に泣き、共に震えている思いの中で11日は静かに寄り添いながら、祈りのうちに過ごしたいと思います。

イサクの身になってみると・・・

2012-03-07 10:26:44 | カトリックの信仰
《 3月4日 四旬節第二主日 》

★☆★☆★ 
第一朗読は創世記の神がアブラハムを試されたエピソードです。(創22:1-18)
主はアブラハムへメゾポタニアのウルからハランに、更に主の示す土地カナンに行くように命じました(11章~)。その呼びかけに応えたアブラハムはイスラエル民族の始祖と呼ばれます。主は彼の信仰に対して全人類に救いを与え、一族の反映を約束をされました。
今日の朗読箇所でアブラハムはようやく授かった一人息子イサクをいけにえとして捧げよという主の命じる試練を受け容れます。イサクに手をかけるという親として究極の選択の中で神の命を選んだアブラハムは、神を畏れる者として息子を屠るために取り出した刃物使うことなく収めることになりました。この出来事は神がアブラハムの忠誠を試し、アブラハムがそれに応えた、信仰の観点からすれば大きな出来事でした。

が、父親であるアブラハムに殺されそうになったイサクはどうなってしまうのだろうか。神はアブラハムの信仰を試すためにイサクを利用し、アブラハムは自分の信仰を示すためにイサクを差し出しました。ここで考えてみるとイサクは神とアブラハムから自分の存在を二重に否定されたことになります。イサクからすれば今日で言う児童虐待にあたいし、生涯にわたってそれは大きなトラウマになったのではないでしょうか。
この物語が書かれているのは創世記の中で、アブラハムはイスラエル民族の父と呼ばれる神との約束が果たされ、イサクの次のヤコブは12人の子供をもうけるが彼らはイスラエル12部族の始祖となります。彼らに比べてイサクに関する記述はイサクの活躍もあるが、地味である。よく読むとイサクは自分から行動をしてい無いようです。こんなエピソードがあります。イサクは自分の結婚に際して自ら奔走していません。ヤコブは自分の妻を娶るために自ら動いています。 イサクは部族に争いがあるときにそこに加わらず調停に廻るなど、静かに生きている印象があります。これはイサクの自らの存在を否定された少年期のトラウマがそんな生き方をさせたのではないかといえるかと思います。

福音書では受難の前のイエスの変容の場面が読まれました。(マルコ9:2~10)
そこには旧約を代表する預言者エリアとモーセが現れ、「これは私の愛する子。これに聞け。」という洗礼と同じく雲の中からの神の声が聞こえます。イエスは白く輝き、ここにイエスの紳性が表れたと言われ、死を過ぎこすイエスの未来を表すとも言われています。それは私たちの未来をも反映しているとも言われます。最終的には神の栄光に入る可能性を示唆しています。
このエピソードはイエスが受難の予告をして後であることに注目すると、イエスは自分が受難を引き受けなければならないことを知っています。その上で山上で垣間見せた神の救いの栄光に入る姿をみせ、地上では自分の十字架を背負うものは着いて来なさいといってます。神の祝福に与ろうとするものは、受難も引き受ける覚悟が必要です。人生において引き受ける受難は様々です。
イエスのような集中して数日間の受難の形も一つ、イサクのように少年期から否定された存在として生きるのもまた受難の一つです。彼を人生で長期に渡って苦しめたトラウマを抱えて生きていくイサクは、自分に与えられた受難を受け容れていたのだと思います。イサクもまた自分の救いに入っていったのではないでしょうか。

現代にあっても、虐待を受けたり様々な傷を負って生きることを余儀なくされている人は多い。でもそれらの苦難を科かあえながら生きる中にも、神から祝福された人生をいきぬくことがあることをイサクは示してくれていると思います。
★☆★☆★

説教を聞きながら、イサクはどんな思いだったのだろう、怖かっただろうにと思ったはるか昔の記憶を思い出しました。自分をいけにえとするための薪木を背負い黙々と父アブラハムについてきたイサクは、祭壇が作られ、その上に寝かされた時に何の不安も恐怖も感じなかったのだろうか。当時のイスラエルの家族制度は日本の昔のような家父長制度で、日ごろから父の言うことには絶対服従の育ち方をしていたのでしょうか。父の日ごろの信仰のあり方を見て育ったら、神の思いを素直に受け入れるイサクの信仰もまた育っていたのでしょうか。トラウマを抱えていた人生、それはあると今は思えますがそれだけではない何かをもう少し考えてみたいと思います。

“神はどこにいる?” という限りない問いに答えの無い答えを探すように…。

静養の日々 後半に突入

2012-03-06 23:42:54 | 日々の出来事
この今週末が来れば長野に戻って三週間になります。

はじめの一週間こそ、痛みに悶々としていましたが、先週初めに刺し込む痛みが取れてからは、時に不安はあったものの順調に治ってきているようです。

横になりながら家の中を見回して、動ける少しの時間に、先ず一番近くにあった本棚から要らない本を思い切りよく、捨てる本、必要なところへの寄付プロジェクトのため古本屋へ出す本、本好きな人に回す本、宗教関係の古本屋へ引き取ってもらう本・・・
一日に少しずつ片付けて、ゆっくりと溜まっていた講座の録音を聞く時間を持ったり、ただただマッサージチェアに身を任せたりしながら、家中の本棚に手をつけました。
数日前からあちこちの本や今回捨てることにしたファイルや雑誌、映画や舞台のパンフレット等など段ボール箱に入れたり、紙袋に入れたり、ひもで結んだりしてきました。

今日、
車のトランク一杯の捨てる本は毎日紙資源ごみ収集OKという友人の家の近くに捨ててきました。
そして、古本屋さんへのダンボール4箱(裏表紙にISBN記号の着いた本)は集荷手配してもらいました(送料の自己負担もなし)。本好きの友人のところに1箱届けて、本とファイルなどなどの雑紙類に関しては随分と思い切って処分して、気分はすっきりです。捨てるかどうか迷った古い本は近所の古本屋さんで420円也(ダンボールば1箱)
不思議なもので、今回の片付け、見た目には変わっていないところが多いのですね。
あんなに沢山の本は一体どこにあったのだろうと思うのですが元に戻すのは絶対不可能。 本棚には横積みや、一つの棚の前後とかが無くなったのですが、あんなに処分したのに、まだ本はいっぱい並んでいます。
二回の本棚は捨てきれなかった(次回は絶対処分できる本)数冊残すのみ、殆ど児童書と漫画本になりました。(これは遺された者でも始末できるでしょう)

本がこれでもか、これでもかとあり、思い出の詰まっているようなものも、中を開かず、何年も読み返すことも無いだろうものはそのまま仕分けにまわしました。でも捨てきれない本はあります。とっておきたい手紙やハガキもあります。本の整理は4年ぶりぐらいかな。その時思い切れなかった本の多くを今回始末したので、次の整理は随分と楽でしょう。

いつ、仕事に復帰しようか思案中です。
それにしても有意義な今回の静養三昧の日々、(笑)寝ていてもただでは起きない(苦笑)
痛みがあったこともおもいきり休めたので今は感謝!