自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

8月6日、、、ヒロシマ

2013年08月06日 13時35分12秒 | コラム

 今年で68回目の原爆忌,悪魔の兵器が人類の上に投下され,正確な数さえ不明な,一般市民が虐殺され、それ以降、何十年も後遺症で悩まされた人は数知れず、唯一はっきりしているのは,自国の投下した原爆によって,広島の地で抑留されていたアメリカ軍兵士の12名が灰となった現実である。”原爆許すまじ”の歌声はどこまで届いているのであろうか、、、、。

 私ごとだが,この私も68年前広島で灰になっている可能性が大きかった。そうならずに今を生きているのは,父が昭和17年の末、シンガポールで死亡(名誉の戦死?)したからとも言える。私の父は逓信省(今の郵政省から総務省)の役人で,東南アジアに進駐した軍の軍属として,シンガポールに、彼の地と日本との軍事郵便の開設のため先遣隊として派遣された。私が覚えているのは,当時三才、父の同僚に抱きかかえられ,仙台駅頭で,軍服、丸坊主姿で,タラップで見送りの人たちの敬礼している姿である。外地赴任が二年間、次の赴任地は広島と言うことになっていたそうだ。おそらく今で言えば過労死だったのだろう,めまいで倒れ頭部を打ち、発見されたときはすでに事切れてたのこと。12才を頭に6人の遺児を託された母だったが、後日、父一人が犠牲になって,その結果広島に転勤することなく,敗戦を仙台で迎えたことが出来て良かったと語り合ったものだ。

 記念式典での,広島市長の平和宣言はともかく、現首相の挨拶がなんとも白々しく聞こえるのは私だけであろうか、、、。”言ってることと,やってること,これからやろうとしていることが一致してないだろう!”と茶利を入れたくなる。”唯一の被爆国日本”の現職総理として,核廃絶のために,各国の指導者に招待状を送り(費用は日本で負担)、広島で核廃絶の会議を開こうと呼びかけをしたのだったら、安倍さんがんばってと応援するのだが、、、。

 私は、かっては、”原子力の平和利用”を人類の叡智として大いに期待していた。東海村は”見えない火”を人類に役立てる拠点であると信じていた。火の獲得が,ヒトを人間にしたといえるし、物理学の基礎公式(エネルギー=質量×光の速度の二乗)を適応できるようになれば,道端の石ころから,莫大なエネルギーを取り出すことが出来るし(人類が滅亡することなく叡智を高め続けていけば),資源の巡って醜い争いを続ける必要がなくなると空想したのだが、、、。

 物理学の成果を応用し、ナチスドイツより先に悪魔の兵器を製造しようとする,マンハッタン計画により、しかも莫大な費用をかけ、アメリカ議会の同意もなしに実験に成功したのが、7月16日、計画に携わった科学者は使用には反対し,ヨーロッパ戦線の責任者だったアイゼンハウワー(後大統領)も使用には否定的だったが、なにしろ,日本の戦闘能力は底をついていたし、4月の段階で,当時のソビエトに仲介依頼をしてしていたぐらいだし,原爆投下することなく日本の無条件降伏は時間の問題だった。諸々の政治力学が働いたのだろう,原爆に詳しくなかった当時のトルーマン大統領はソビエト参戦(ヤルタ密談での米ソ同意)直前の6日、原爆投下を指示した。昨年の広島平和記念祭に,そのトルーマン氏の孫と,エノラゲイ号の乗組員の孫が参加したことは、人間捨てたものではないと感じたものだ。