自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

ゼロ金利・・・異例でなく正常

2010年10月05日 19時58分12秒 | コラム
 まともな経済活動であれば、ゼロ金利は社会的に正しいといえる。つまり当面自分が必要とする以上の余分な金があれば、お金を借りて企業を興し、雇用を生み出し、社会的購買力を高めようとするまともな起業家を支援するために、利子を取らないで金を貸すことは、高い道徳性を持つ経済活動を支援し、それに参加することである。その中で、経済が発展し、労働生産性か高まれば、労働価値説は絶対的真理だし、諸々の商品の価値は低下するし、物価が下がるのは当然である。物価が下がれば、利息などなくとも、貸しておいた金の値打ちは高まるし、借り手も貸し手も利となる。つまりウイン・ウインの関係が維持出来る。イスラム銀行が利子を取らないのはイスラム社会の教義を経済面で実践しようとする営みである。

 物価が引き続き上昇する現象をインフレーションと言い、引き続き下がることをデフレーションというのは、中学生でも学ぶ経済の基礎だが。今日、日銀がゼロ金利政策を、インフレ傾向(物価がが1%上昇する)まで持続する決定をしたのだが、何かデフレが経済不況の元凶なみに捉えられているが大きな間違いといえるだろう。高い道徳性を持つ経済活動が行われていれば、前に述べた利子のない社会が成り立つ。金を貸した預金者は、金を借りて企業活動を行う人の社会的道義を期待しているのであって、両者ともそういう経済活動によっえ恩恵を受けるものである。

 所が、命名は非の打ち所がないのだが、“新自由主義”というなの経済活動は、一部の勝ち組と大多数の負け組を生み出す仕組みとなっている。勝ち組の論理は、自分は能力があり最大限の努力をしたのだ、そうしたものが豊かな生活を出来るのが当たり前、怠けていて貧乏するのは自己責任だ、と考える。アメリカの勝ち組の象徴、“要塞の街の住人”、日本の“六本木ビルの住人”の人間性は如何なものなのであろう、、、。

 腐れ資本主義(故青木雄二氏の言)の暴走は止まることを知らないが、生産性向上という点では資本主義は最高の名馬、駿馬である、しかし人間が乗りこなすには、鐙と轡が欠かせない。市場経済というのはアダムスミスの“見えざる神の手”に任せると言うことであり、上がりすぎた市場価格は引き下げ、下がりすぎた市場価格を引き上げる、Y軸上にある見えざる手とは、その商品の価値(社会的労働量)であると言える。交換の仲立ちとしての貨幣、社会的労働量をこよなく表現できたこの地上の物質が“金”であり、金本位が実現していた頃は、ほぼ10年おきの景気の変動はあったが、金の保有量が“轡”を役割を果たしていた。

 資本主義国の全てが金本位を維持できなくなり、国際的には、世界の富み(金で表せる)を集めたイギリスのポンド、第2次大戦後はドルが世界通貨の役割を果たしたが、各国は、何時でも金の交換出来るとの約束があればこそ、ポンドやドルに世界通貨の代役を任せていた。世界各地の軍事基地の維持費、ベトナム戦争の戦費をドルで支払ったアメリカは、輪転機で大量のドル紙幣を世界中にばらまいた。当然ドルを蓄えた国は、不安に感じ、金との交換を意図したし、突然のドルと金の交換停止
(ニクソンショック)によって、“轡”も外されてしまった。瞬く間にドル安、円高が進み、それまでの1ドル=360円のレートが、200円台になり、現在では80円台、かっての四分の一になっている。その間せっせと貯め込んだ外貨準備高(ドル建ての)は目減りし、その分アメリカに貢いだ形になっていることを忘れてはいけない。

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