明日初の米朝会談が紆余曲折を経て開催されるが、どんな結果が出るのかは近隣の国のみならず世界が注目している。特に古代から密接な関係にあるこの国にとっては、20世紀初頭の朝鮮併合から続く負の歴史を払拭するために、現日本国政府がとり続けていた不寛容政策を改める契機としなくてはならない。
朝鮮半島の国、現在は不幸にして南北にそれぞれの国連に加盟している。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分断されているが、その分断の最大の責任は、日本とアメリカが負わなければならないと思う。同じ民族が朝鮮戦争で互いに殺し合い現在は休戦状態、未だに戦争終結とはなっていない、その前に南北分断の歴史的背景を復習しておかなくてはならない。
朝鮮半島は地理的に大陸から日本へ、日本から大陸へとの交通路になっている。大陸に強力な勢力が成立すると、抗しきれなくなった人々は半島を通してこの国に逃れてきたのだろう。北西の季節風に乗れば、出雲や越後に漂着するし、半島の南部からは島伝いに九州にたどり着く。この国での縄文時代から弥生時代への移行は、その証明でもある。東アジアの文明国、紀元前後の400年あまり続いた漢帝国、その影響は半島を経てこの国にも伝わった、文字も政治の仕組みも、、、。文化的には親に当たるのが中国、第一子が朝鮮、末っ子が日本と言えるだろう。その兄貴分の朝鮮を植民地にし。さらに親にも逆らい殴りつけたのが、満州事変、日華事変、日中15年戦争で有り、最終的に明治以降の師匠役米英と開戦、結末が、暑い夏、ヒロシマ、ナガサキ、そして8,15である、この国が外敵に襲われたのが、刀伊の襲来、モンゴルの襲来、日本から略奪に出向いたのが倭寇、そして、妄想に陥った秀吉が明を支配するために朝鮮に道案内をしろと命じ、断った朝鮮に対して兵を送り、失敗した。いずれも朝鮮半島を経由しての出来事である。
さらに世界史的に拡大して考えると、16世紀末、世界チャンピオンになり、七つの海を支配し大英帝国を築いたイギリス、その帝国主義政策、3C政策を貫徹、次なる最大の魅力は人口世界一の中国への侵略を始めたのが”アヘン戦争”、被支配民だった漢民族の反乱、太平天国の乱に苦心したイギリスはその清帝国の弱体化に、新興国、日本を利用した。つまり、薩英戦争、長州砲撃、を経て、倒幕の中心となった薩摩、長州の利用価値を理解したイギリスは、倒幕を支援した。当時の最大のライバル、フランスは幕府を支援したのだが、、、。薩長中心の明治政府は当然親イギリスとなる。イギリスを手本としての藩閥政府の対外政策は、当然近隣諸国を経済的に支配することであり、朝鮮に手を伸ばすこととなり、朝鮮を属国視していた清との対立となる、イギリスは中国の弱体化、揚子江流域のイギリスの利権拡大に有利と日本を全面的に支援した。中国の東北に利害関係が生じた日露間でも、ロシアの南下政策を防ぐために、日本を全面的に支援した。日英同盟(1902年)その際に日本がイギリスに返還したのがイギリス艦船の錨、かって、薩英戦争で鹿児島を砲撃、停泊中のイギリス艦船に夜襲を掛けた薩摩武士、慌てたイギリス艦船、錨を投げ捨てて湾外に避難、大英帝国の艦船が東アジアの小国の一地方の薩摩との戦いでの恥を帳消しにすることが出来たという副産物もあった。”戦争は勝てば儲かる”というのは20世紀前の真理である。勝った方が敗者から冨や領土を奪ったのだから、、、。敗者の恨みが復讐戦、人間はそうやって絶えず戦いをを続けて来た。そんな歴史の中で、燦然と輝く提案が、第一次世界大戦の講和に当たって提起された”講和原則14箇条”を提案した、この大戦後に世界チャンピオンの地位を引き継ぐことになったアメリなの大統領、リベラリストのウイルソンである。彼の提起が実現されていれば第二次世界太戦を人類は体験しなくて済んだと思う。
第一次世界大戦で経済を発展させたのが、日本とアメリカである。さらなる発展を保障するのが巨大な市場中国である。アメリカでは日清戦後に日本を仮想敵国に指定していたとのことだが、英米の新興国日本に対する考えは、朝鮮半島領有までは許容範囲、中国への進出は許容できない、であった。それ故に、軍縮のワシントン会議で日英同盟が廃止された。中国に関する9カ国条約(領土保全、機会均等、主権尊重、等)に違反してる日本に対して約束を守れ、それに応じないで、欧米の植民地支配に変わって、”大東亜共栄圏”を目指す日本に対して、様々な経済制裁を課した米英、対米英戦争の発動となる。”孫子の兵法”を学んでいたはずの当時の参謀は何を考えていたのだろうか、、、。神風は吹かず、ポツダム宣言受託、敗戦。(つづく)