自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

森友問題に思う、、、

2018年03月16日 12時50分01秒 | コラム

 一人の市会議員の疑問が国を揺るがせかねない問題に進展した。国有地が異常な安値で売却されたことがそのきっかけである。払い下げを受け、そこに小学校を建設を目指した一私立幼稚園の経営者が今200日以上も留置場に拘置されている籠池氏である。

 古き良きものを守り維持しようとするのが保守であり、新しき良きものを生み出そうとするのが革新であり、古き悪しきものを取り戻そうとするのが反動であり、新しいけど悪しきものがネオコンというものだ。この観点から、保守と革新は協力し合える筈なのだが、この国で保革対立などと言われ続けて来たのは、実質は反動と革新の対立だったと言って過言ではないだろう。そして現在、革新は先細り、反動が我が世の春を謳歌している。

 古き良きものを取り戻し、新しき良きものを生み出そうとする人を先駆者というのだが、人類の歴史というのはそういう先駆者の苦労があって少しずつ進歩を遂げ、歩み続けた成果とも言えるだろう。先駆者の対極にあるのが”パシリ”といわれる人たちである。反動やネオコンの意図を汲んで、その先導役として露払い、先走りする人たちである。

 皇国史観に基づくこの国が素晴らしかったと考えるのは個人の心情だからとやかくは言えないが、籠池氏がその経営する幼稚園でいたいけない幼児に教育勅語を暗唱させたり、”あべそうりがんばれ!”等と叫ばせたのは行き過ぎではないだろうか、、、。しかしそれを賞賛する大きな勢力があって、こう言っては失礼だが、パシリに過ぎない籠池氏を援助支持してきた勢力があったことは否定できないであろう。

 この国の反動派にとって戦後におけるの最大の成功例は”国旗国歌法”の成立である。一旦法として成立すると、そのあとは締め付けで、いかようにも国民をコントロールが可能との成功体験がある。日の丸はシンプルなデザインでさほど違和感を感じる人は少ないかもしれないが、日の丸に蹂躙されたアジアの人々の信条には思いを寄せなければならない。君が代の場合は、大日本帝国憲法下にふさわしい歌であり、本来は君が代に変わる新しい国歌が作られるべきであったのだが、、、、

 学校現場でも、”日の丸校長”、”君が代校長”といわれるパシリが存在した。やがて大相撲協会が、千秋楽に君が代の斉唱を観客の求めたし、定期的に天覧相撲を行い、やがて、NHKが終了時にTVで流すようになった。かっては、君が代は”お相撲の歌”といわれた時もあったのだが、、、。今では国際ゲームでの、両国の国歌と国旗が掲揚されるセレモニーで日本代表選手が、歌っているかどうか個人個人の口元を映像で流すようになったいる。かって日本代表の中田選手が、”戦う前に歌うものではない”と発言しパッシングを受けたのだが、、、。

 森友幼稚園で、せっかく素晴らしい教育を実践しているのに、普通の小学校の進むとその教育が台無しになる、それ故に小学校を建設してその教育を継続しようと考えた籠池氏はそれなりの教育観を持っているのだから、私立小学校をお作りになるのにはとやかく言えないが、それを突破口にして公立学校でもそのような教育が行われることが望ましいと考えル勢力が日々増大しており、その中の一人が。昭恵さんだったのだろう。総理大臣である自分の旦那に、素晴らしい教育を実践してる旨を伝えたのだし、、、。


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