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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

忘却の彼方に去ったか、10月21日、、、

2019年10月22日 13時15分25秒 | コラム

 76年前の10月21日、神宮外苑では、ペンを銃に持ち替えた7万の学生が、学徒動員のパレードをした日である。観客席を埋め尽くす女学生の声援に送られて、戦場に向かったのである。そのうちの何人が戦場に倒れ、何人が戦後生き続けたのか、、、。反省のない民族は滅びる、と言われているけど、この国はどうなのだろうか、、、。”反戦Day”としてしばらくはこの日を二度と繰り返さないためのイベントが行われてきたと思うのだが、、、。21日の新聞を隅から隅まで調べてみたのだが、それらしい記事は見られなかった、同じ若者でもラグビーで活躍した記事は大きく取り上げられていたが、、、。


瑞穂の国の稲刈りが始まった、、、

2019年09月15日 08時43分16秒 | コラム

 かってこの国では主食の稲作栽培では多くの労働力が必要だった、特に、稲刈り、田植えの時期には多くの労働力が必要で。それこそ”猫(めこ)の手を借りたい”と言われてたように、家族全員の手助けが必要だった。はたらく”が傍が楽になるという意味だといわれたように、親は子供が楽になるように、子どもは親の手助けをして親が少しでも楽になるように、懸命にはたらことを厭わず、永年にわたって”働くことを好む”国民性を育んでいた。それ故に、戦国時代この国にも渡来するようになったヨーロッパ人は、嬉々として働くこの国の民に出会ってショックを受けたようだ。キリスト教の世界では、労働は神の意に背いた人間への罪であると教えられてきたものだから、、、、。

 江戸時代の為政者も、”農、工、商”に優先順位を付けた。江戸時代の思想家、安藤昌益は鉱業を地球からの富の収奪として否定する考えを示した。欧米で生まれた資本主義は、本来は、”神の国をこの地上で実現”しようとして生まれてきたものだった。自由競争によって、安くて良い商品が大量に生産される仕組みであるし、神の国がこの世に実現するはずだったのだが、、、。

 散歩の途中で、篤農家の年配の人に出会ったが、大型の稲刈機の整備をしておられたのだが、その片の地域の農業後継者は皆無とのこと、息子が農協に努めているが、後を継ぐ意思なないとのこと、何とも言えないさびしい表情で話してくれた。”俺が生きているうちは、人様が作ったコメは食わない”の気概で頑張ってください。”あなたが作った安全なコメを待っておられるお子さんやお孫さんがいるでしょうから、、、”と話したのだが、、、、。


参議院選挙で考える、、、

2019年07月23日 07時40分05秒 | コラム

 久しぶりの国政選挙、主権者である国民の投票率が50%を切るということhどういうことになるのだろうか、、、。半数改選の参議院選挙だか、投票に行っても政治が変わるわけでもないとの冷めた考えの主権者が多いのだろうか、、、。主権が君主から国民へ変わる歴史をしっかりと学ばないと、”棄権は危険だ”と考えない人間が増えるのかもしれない。

 江戸幕府(君主権の)が崩壊し、新政府が実現した時、欧米の政治を参考にしたのだが、当時、イギリス、フランス、ドイツ なのだが、明治政府はイギリスからは経済の仕組みを、政治はドイツの制度を取り入れた。この国ではいつの頃からかわからないが、イギリス人は歩きながら考える、フランス人は突っ走ってから考える、ドイツ人hじっくり考えてから突っ走る、と言い伝えられてきた。それぞれの国の歩んだ道、歴史をみると何となく納得がいく説明ではある。

 また、イギリス人の金も要らない、最高の道楽は、選挙の時野党に投票することだと言われていたことにも納得がいく面がある。”歩きながら考える”民らしい生活の知恵である。保守党と労働党に二大政党制で、政権を交代しながら、民主主義の先頭を歩んできたのだが。経済のコントロールの困難さが、サッチャーリズムを招来し、いまだに根本解決に方策がなく、ヨーロッパ共同体離脱に踏み切ろうとしている現状だが、、、。この国の近代史を見ると、この国の民の民意は、”考えないで突っ走り、こけた後でも考えない”民よろしく、政治はお上に任せておく体質を引きずっているのだろうか、、、。第二次世界大戦での敗北を、アジアも民衆の抵抗に敗れたのか、アメリカの物量に敗れたのか、の考察もなく、アメリカ万歳の勢力が。戦後一貫として政治権力を行使している。、

 ”真理は最初は必ず少数である。”という命題を呼び起こすきっかけとなった。”れいわ”や”んhkから国民を守る”の議席獲得は、暗闇の中の小さな灯になるかもしれない、、。


四つ葉のクローバー

2019年06月27日 08時37分33秒 | コラム

 牧草としては最高の雑草にあたるのだが、白爪草は形状は三つ葉、たまに四葉のクローバ=が見られ、その確率は1万分の1と言われ、それ故に幸運のシンボルと言われてきた。散歩の途中、ちょっとした空地にも群生しているし、あぜ道、田圃道でも繁茂している。時折四つ葉を見つけたときは摘んできて、ガラスの皿に浮かべて、1週間ぐらいは楽しめた。また散歩の途中で、牛を飼育してるところがあって、藁を食んでる時によく出会った。わらよりクローバーを好むのではと思い、繁茂しているクローバーを両手でつかんで与えたところ喜んで食んでくれた。その後もそこを通りかかる時、クローバーを投じていたのだが、そのうち牛も覚えたものか、近くに来ると小屋から餌場に出てきて声を上げて催促するようになった。

 四つ葉のクローバーのその後だが、散歩の途中でよく見かけることもあり、時には一か所で4~5枚も摘める時がある。長持ちさせるために、栞を作ることを思い立ち、カードに押し花のように、ヒートシートでアイロン加工をするようにした。知人や身近な人にプレゼントするとたいそう喜ばれたが、今は作った栞を散歩の途中でも持参し、”幸せのおすそ分け”ができるようになっている。

 スーパーのレジで赤ちゃんを抱いた母親に出会ったとき、”この子にいいことがあるように、母子手帳の栞に使ってください”と言って手渡すのだが、すごく喜んでもらえる。散歩の帰り道、近くの広場にいた3~4人の小学生と出会ったが、元気よく挨拶をしてくれたので、”ご褒美に四つ葉の栞をあげる。学校の図書館の本を読むときに使ってちょうだい”としてプレゼントしたのだが、丁度その時、彼女らは四つ葉を探していて見つからなかったようで、”○○ちゃんがあいさつしてくれてよかった:”なんて言って喜んでもらえた。その他、”農事暦の栞に”、”ジョギングノートに栞に”、”家計簿の栞にすると黒字になりますよ”、”サッカーノートの栞に”とか言って手渡しているのだが、、、。中にはごつい感じの高校生でも、”彼女が出来たらプレゼントしな”と言って渡してやると、笑顔で反応してくる。

 弁慶の千本刀じゃないけれど、四つ葉の栞を、1000人の人に渡すことが出来ればいいなあと考えている昨今である。

 


ホタル観賞、、、

2019年06月23日 06時04分34秒 | コラム

 夕方の散歩を夜の散歩に切り替えたのはこの何年になるのだろうか、、。ホタルを鑑賞できる場所が残っているのは嬉しいことである。そういえば現職中、中学校社会科の家族生活の学習で、^三つ子の魂百まで^の重要性を多くの生徒に掴んでほしいため、三歳の子供に^ホタルさん、なんでで点いたり消えたりしているの^と聞かれたら、何と答えるかという問題を出したことがある。回答の第一席に挙げ皆にも紹介した答えが、”あれはね、お星さまになる練習をしているのだよ”そして何日かした後、一緒に星空を眺め、”あの時のホタルさんどこで光っているかと探してみる。”というものであった。

 清少納言の時代でも、夏の夜のホタルは趣があるといわれてきたし、田んぼの畔でに三匹飛んでる様を見ても、小川沿いの樹木にクリスマスツリーのように多く飛び回ってる様子を見ても趣があるものだ。ところで今に時代、親子でホタルを鑑賞できてる子供はどれほどいるのだろうか気になるところである、、、。


瑞穂の国の行く末は、、、

2019年05月22日 10時13分05秒 | コラム

 長年、この国の主食として多くの人口を支えてきた稲作、俗に稲作は米の字をもじって、88の仕事があるといわれてきた。田起こし、クロ張、代かき、除草、等は重労働であったし、”猫の手も借りたい”というのは、女、子供も手を出さざるを得なかった証しである。それ故に、この国の唯一の資源が、”働くことが好き”という国民性であった、。戦国時代末にやってきたヨーロッパ人が、嬉々として働くこの国の民を見て文化ショックを受けたという。ヨーロッパでは、ローマ時代にキリスト教が国教となって以後、人間キリストの教えとは異なるのだろうが、人間は神の教えに背いたため、この地上に追放されたものの子孫だから、罰として厳しい労働を科せられ、この世で苦労するのは当然である、と教え諭していた。その苦難に耐え、現実でつつましく生きていけば、死後天国に生まれ変わると教えていたのだから、、、、。

 ”働く”が”傍が楽になる”が語源であるといわれてきたのだが、その国民性が維持されていたのは何時までのことであろうか、、、。高度経済成長期、ジャパン イズ ナンバーワンとおだてられた時までかもしれない。江戸時代には当時の武士が権力を維持し、そのために、農業を最優先し、手工業は容認するも、商業には厳しく対処していた。時代は変わっても、農工商への優先順位には間違いがない。自由主義経済下で最強の商が、資本(金)が商人資本から産業資本へ、さらに金融資本へと大化けしてしまい、人間平等を願っての市民革命、豊かさを求めての産業革命、そして生まれた資本主義は、”神の国をこの地上に!”実現の手段だったはずなのだが、1%と99%の格差を生み出してしまった。

 江戸270年は、戦争のない時代であった。圧制への抵抗として、逃散や強訴、一味同心としての一揆は見られたが、おおむね平和な時代であった。つまり農業立国であれば他国とa争うことなく平和的に生きていくこと可能なのである。一時はヨーロッパの覇者となり、戦いに敗れた後、不毛と言われたユットランド半島に押し込まれたが、農業に力を入れ平和的で豊かな国を作り上げたデンマークにその証拠がある。この国は明治以降欧米、特にイギリス、アメリカを師匠役に、資本主義を取り入れたのだが、近隣諸国との諍いは、資本主義のもつ拡大再生産命の政策では必然だったといえるだろう。中国市場を巡る米英との対立は真珠湾、マレー攻撃となり、結末は、74年前の8月15日である。

 ひもじい思いはしても、餓死者がほとんど見られず、戦後復興がなされたのは、食糧を生産する人々が、特に農地改革で自作地を持てるようになった農民が懸命に増産に励んでくれたからだ。かって毛沢東は、旧ソビエトの様子から、重工業重点ではなく農業の進展に役立つ工業に力を入れる政策を取ろうとしたのだが、今の中国の状況を地下の毛沢東はどう思っているのであろうか、、、。焼け野原にはなったが、潜在工業力を保持しているしているこの国は、軍需産業は、憲法上許されないので、繊維産業、耕作機械、電化製品、自動車、等で目覚ましい復興を成し遂げた。それを支えたのが、最初は復員兵士であり、やがては若年労働の集団就職。そして農村からの出稼ぎであったといえるであろう。、

 この国の稲作農業の健全な発展を援助するのが農業政策であるのだが、ノ=策続きで、稲作農業では生活できない状況が進行してしまった。かっては、三ちゃん農業、三段農業と揶揄されたのだけど、、、。つまり、かっては父ちゃんが、耕作機械などの購入費を稼ぐため農閑期に出稼ぎに出向いたのだが、さらなる出費のために、常時の出稼ぎが必要となり、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんによる農業となったのが、三ちゃん農業、そして、じいちゃん、ばあちゃんが年を取り過酷な農作業が困難となり、母ちゃんだけ、手が回らないので、田んぼは、下に雑草。中間に稲穂、上段には稗が盛んに生育し、三段農業とやら、、、、。


可能性の月、五月.....,

2019年05月12日 10時53分44秒 | コラム

 この国では、この五月に代替わりが実施された。慶祝ムードがいっぱいで、衆議院では新天皇の即位を賀詞する決議が全会一致でなされた、、、。あれ衆議院には日本共産党や社会党の議員はいなかったのかな、と思ったが、、、。”山宣ひとり孤塁を守る”はもうこの国では死語なってしまったのだろうか、、、。

 渡来系の有力豪族だった蘇我氏をク。デター倒し、天智朝を実現し、壬申の乱後、天武朝を成立させ、古代天皇制を確立した7C後半だったら、その権威を確立するためのイデオロギーは理解できる。試行錯誤を繰り返しながら1400年も経た今日、”天皇を中心とする神の国”を今後も維持したいのであろうか、、、。

 世界で王室が残るのは、イギリスと日本とトランプだといわれていたが、イギリスの場合は他国からいくらでも血統を取り入れているのだが、この国では万世一系維持していたとの架空の伝統により、その継続が維持されてきたのだが、皇室の継続の困難さも取りざたされはじめ、女系天皇も話題となってきている。この国では皇室の廃止の機会は何度かはあった。平氏が建てた王朝が三種の神器とともに瀬戸内海に沈んだ時、天皇の血筋を引くといわれる源氏の棟梁を担いで鎌倉幕府を開いた北条氏が承久の乱で勝利した時、信長が本能寺で死ななければ彼は確実に日本国王となっていただろう。一番近くは、対米英戦争を発動し、敗戦した時である。第一次世界大戦を発動したドイツ皇帝はその責任を取って退任したが、昭和天皇はその意思はなかったのか、アメリカが占領政策を円満に維持するために天皇制は優位に働くとの判断からか、神から人間に戻って’’象徴’’として新しい憲法の第1条から第8条に定められた国事行為をなすことになっている。

 己の意思のない、わけのわからぬ立場から解放され、人間としての喜怒哀楽のある人生を新天皇のみならず、すべてのこの地上で生を営む人に付与することが主権者の立場にあるすべての人間の義務であるといえるだろう、、、。

 

 


満開の桜は咲き誇り、人影はなし

2019年04月18日 11時42分08秒 | コラム

 ここ北関東ではサクラの満開を迎えている。田園風景の中で車を走らせていると、桜の並 木が現れる。立ち寄ってみると人影はなく、元小学校の跡地、多くは地域の公民館として利用されてるところが多いが、たまに見かける人はゲートボールに親しむ地域のお年寄り、かつてはこの学校で遊び学んだ人たちなのだろう、、、。

 小学校だけでなく、中学校の統廃合が進み、通学の手段はスクールバスがメイン、歩くという人間が人間になった基本行動がおろそかにされ、基礎体力が不足した人間が拡大再生産されているのが現実となってしまっている。

  ”よく学び、よく遊べ”は”健全なる身体に、健全なる精神が宿る”が真実として普遍化されていた時代のスローガンだっのだろうか、、、。遊びがさもよくないこと、”遊んでばかりいないで勉強しなさい”が親が子供に叱責する言葉のナンバーワンになってしまっているのだが、遊びの中からしか健全な身体が作れないことを社会全体が理解する必要がある。木登りもできない、懸垂がゼロ回、知能指数が優に75を超える人物が社会的に高い地位に就く世は果たして健全な社会生活が営まれているといえるのだろうか、、、、。

 


3,30、今日は何の日、、、

2019年03月30日 07時32分01秒 | コラム

 60年前の今日、憲法の番人の役割を果たした裁判官がいた。その名は伊達秋雄、東京地裁の判事であった。1945年敗戦、戦勝国、アメリカに占領され、’53年、サンフランシスコ講和会議で独立を回復(当時のソビエト、中国、インドは調印せず)したのだが、東西冷戦の発動により、アメリカは引き続き、占領軍から駐留軍と名前を変え日本国内に軍事基地を保持し続けることとなる。飛行機の大型化に伴い、基地の拡張の必要性が起き、”砂川基地”の拡張工事が行われ、土地を奪われることとなる地元住民、それを支援する労働組合や学生が激しい反対行動をとり、その一部が基地内に立ち入り、逮捕訴追されたのがいわゆる砂川事件である。

 アメリカ駐留軍は憲法違反、その基地拡張に抗議して基地内に立ち入ったのは微罪として起訴された学生らに無罪の判決を出したのが、’砂川事件の伊達判決’であった。日本国憲法前文と高らかに平和主義を唱えた第9条、第二次世界大戦中の多くの犠牲者に報いるために、、カントの永遠の平和のために、第一次世界大戦後の不戦条約、その延長沿いに完全平和主義の立場に立った憲法を制定したのが”日本国憲法”であった。現在捨て子にされそうな日本国憲法だが、前文と、第9条は葬り去られてはいけない。

 第9条、「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の不保持」日本国民は。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国研の発動たる戦争と、武力により威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 かっては嘉手納基地より出撃し朝鮮戦争でたびたびの勲章を受け、戦後は環境にやさしい設計工学を学び中部国際大学の客員教授として来日。ヒロシマを訪れ、爆撃下の一般民衆に悲惨さに触れ、合わせて日本国憲法第9条の存在を知り、湾岸戦争での勝利に沸いていたアメリカで、日本国憲法9条の精神を世界に広める”9条の会”を発足された、チャールス、オーバービー氏、その運動に用いたイラストが、”集団自殺をするレミングの大群、その中に一匹だけ浮き輪をつけてるのがいて、その浮き輪に日本国憲法第9条を記されている”                                            


反、嫌、抗、好、親、従

2019年03月20日 08時12分51秒 | コラム

 タイトルの漢字に国名ないし個人名を繋げて、人間関係について考えたいと思う。向こう三軒の隣国、朝鮮、中国、ロシア、鎖国の夢を打ち破られたアメリカ、この国にとって大切にしなければならない国であるが、まずアメリカとの関係で、反米、嫌米、抗米、好米、親米、従米となる訳だが、両極端の、反米と従米だけは避けたいと思う。近隣諸国との関係でも同じことが言えると思う。近代史は受験に出ないからとて、ろくに近代史を学ばないで若い世代が多くなっているが、この国のアジアへの侵略を知らない、アメリカと戦って大敗し最後には原爆まで落とされて敗れたことを知らない若い世代が育ってしまった。特にアメリカが始めた東西冷戦で、アメリカの占領下にあったこの国は、独立の代償としてアメリカの従属国としての立場を強要された。

 第一次世界大戦後のワイマール憲法、第二次大戦後の日本国憲法は、人類にとって大きな過ちを経てより賢くなる、人類の英知が込められていたのだが、ワイマール憲法はヒトラーによって葬り去られ、日本国憲法の理念は、歴代アメリカとの関係を重んじる歴代保守政権によって、骨抜きにされ、捨て子にされるのも目前に迫ってしまった。

 今もって膨大な基地を所有し、駐留軍保持しているアメリカ、さらに横田エイリアと言われるいまだに占領されている空間、反米になる要素はいっぱいあるが、嫌米、抗米の域にとどめるべきであろう。反米のべネゼェラの動向が気になるところだが、ジャパンハンドラーズの要求に盲目的に従っているこの国の現政権には抗議しなければならないだろう。歴代従米政権は長持ちするけれど(現安倍政権は好例)、抗米(少しでも物申したり、独自の外交をした)政権は早めにつぶされた歴史がありますね、、、。