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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

文月に寄せて・・夏休みを迎える中学生へ

2008年07月19日 15時12分58秒 | 学校・教育
 今日から夏休み、楽しみを持ってこの長期の学校という枠からはずれて、自由に使える多くの時間が持てる日々を待っていたことでしょうね。一世代を25年とすると、六世代前の私たちの先祖は、一年で休めるのは、お盆と正月の時だけだったし、最高の喜びの表現の仕方として、“盆と正月が一緒に来た”といったのですよね。そして、“貧乏閑なし”とか“稼ぐに追いつく貧乏なし”という言葉があるように、貧乏を苦にしない、むしろ、貧乏を糧として働くことが好きな国民性を築きあげたのが私たちの先祖だったのです。

 それ故に、閑の使い方が下手とも言えるでしょう。世界を驚かす経済成長を遂げて、沢山の閑が持てるようになったのに、閑こそ宝なのだけど、宝にするどころか、「小人閑居して不善を為す」との2500年も前の忠告を知りながら、その閑のために身を崩してしまう面がないとも限りません。特に、中2の夏休みの生活の乱れが原因の不運、不幸な例が多いのは注意したいところです。

 夏、一人旅の成果を自分のものに出来るために、早く計画が必要だと感じる人間になって欲しい。その日暮らしの人間には計画なんていらないのだから。計画とか目標とかは、言い換えれば自分との約束といっていいだろう。約束を守らない人は信用されないけど、自分との約束を守れない人はどうなのだろう。約束を守らぬ人を非難するのは簡単だが、あやふやな約束をしていて果たして非難できるものだろうか、、、。いつ、どこで、何を、がはっきりしてなければ、守ろうにも守れない。「どうせ計画なんて立てたって、、、」と考える人は、計画ではなくて、希望とか、願望を出しているだけだと思う。つまり、「ああしたい、こうしたい」という希望ではなく、「~をする」という具体的なものが計画というものだ。「一日一回、ひと汗流す」というのは、目標に違いないが、計画ではない。計画となるには、「朝6時、○○公園まで、3キロのランニング」としなければならない。同じく、「小学校の漢字をマスターする」ではなく、「読めない漢字何個、意味の分からない漢字何個、書けない漢字何個、1日何個ずつ、何日で終了」とならないといけない。

 学習・仕事・運動・生活・余暇に関して、それぞれ具体的な行動計画を立てて努力して欲しい。先ずは自分が守れる約束をして、そして少しずつ自分を信用できるようにしていかないと、、。今まではどちらかというと計画を立てさせられるという受け身的状況をクリアーして、今年の夏休みは、将来につながる、人間としての実力を付けるチャンスの日々にして欲しい。1日1日をしっかり掴み、自分の必要から生まれた行動計画に基づいて、、、。

 そのために、『不動の定点』を決めておこう。1日の中の決まった時間に、何か決まったことを、例外を認めず(今日はいつもと違う旅行先だし、との言い訳も認めず)実行することだ。全て回転するものは、一カ所動かないところがあってスムースに回転を続けられる。地球が狂いなく自転と公転を繰り返しているのは、地軸が定まっているからだし、安定して回るコマは一本の真っ直ぐな心棒が通っているからだ。自分をコントロールし、自分の中に好循環を起こし、自分を成長させ、夏休みが終わって、またみんなと顔を合わせた時、まぶしく見られる自分にするために『不動の定点を』しっかり決めておこう。
・朝、6時30分、ラジオ体操   ・夜、8時、視力維持のため星の観察、雨天の時は俳句を一句                                ・夜、10時、日記を付ける  ・朝、9時、15分読書  等々

我想う、そして行動する。

2008年06月13日 11時09分54秒 | 学校・教育
 人間は考えてから行動する、そして行動して後また考える動物である。考えを縦軸に、行動を横軸にとると、交差する所が原点、第1象限から第4象限に分かれる。プラス思考が第1、第2象限であり、マイナス思考が第3、第4象限。行動面では、Activeが第1、第4象限、Passiveが第2、第3象限となる。

 よく褒めて、伸ばせと言うけど、褒めて伸ばして良いのは、第1象限にいる者である。つまり、考え方が前向きで、着実に実行しているのだから、褒め励ましてやるだけだけで良い。しかし、いい気になり出したら、諫めることが必要だ。そして限りなくのびていくために、常に原点に戻り、そこからまた地道に努力する姿勢を身につけさせるべきだと思う。第2象限にいる者は、行動力が伴わない、つまり、大きくなったら鯉になる、鯨になる、という夢を持ちながら、スイスイと己のそれまでの生活を変えないでいるのだから(多くの人間がこのタイプ)、叱責が必要だろう。時には懲罰も。叱責も懲罰もマイナス行動だが、その対象の行動がマイナスなのだから、マイナスを掛けるとプラスになるというが代数の基本である。

 『人間みな同じ、だが一人一人違う。一人一人違うけど、やはりみな同じ。』との原理が通用する社会では、教育は第1象限にいる者をさらに伸ばし、第2象限にいる者を第1象限に導くことで完結するのだが、作今の教育の難しさが取りざたされてる根本原因は、勉強が出来るのがベストの風潮である。よって勉強が出来ないと『私はダメな人間だ』とのマイナス思考を小さい時から持たせてしまう。勉強が出来るというのは、記憶力が優れていることでもあり、それはそれで素晴らしいことだ。但しその素晴らしさはベストではなく、one of them、である。

 勉強が苦手で、俺はダメと思いこまされ、活動的な者は、第4象限で突き進むことになるだろう。つまり、反社会的行動、行き着く先は犯罪行為にも手を染めるかもしれない。消極的な者は、第3象限、引きこもり、オタクはこの類となろう。

 人間は自らの意志で自分を変革していける唯一の生きものである。そのためには御破算をする勇気を持つことだ。つまり、それまでの自分の考えと行動に、ゼロを掛けて原点に戻ることが必要だ。前の言葉で付け加えなければならないのは、人間は良くも変われるし、気付かぬうちに悪くもなるということである。社会的に高い評価を受けていた人の信じられない犯罪(公金横領や破廉恥罪)は第1象限で上り詰めながら自己反省を怠ったため、良心の腐敗が進み、第4象限に落ち込んだ姿なのだろう。

 『ワイドショウ独占』との歪んだ欲望が現実のものとなってしまったが、『信じられない犯行』が起きるたびに大騒ぎしても、人間不信をまき散らしこそすれ、類似の事件は後を絶たないであろう。今回の事件の青年の生育歴で、生まれた時は原点で、名前も親の願いがこもった素晴らしい命名がなされている。親にとって、勉強が出来ると幸せな人生が送れるとの思いこみがあったのは間違いないであろう。 中学時代までは順調に第1象限で歩んでいたのだろう。名門校に入り、上には上がいるを理解した時、我慢強さ、集中力等の精神力が育っていれば、さらに勉学に力を入れただろう。おそらくそれまで勉強さえ出来ればと免責されていたため、精神力が育ってなかったので、その勉学さえ怠るようになった、つまり第2象限に移ってしまった。当然成績も低下し、それまでの誇りが喪失し、第3象限に入る。後は外部からのマイナス刺激があると、一気に第4象限の『信じられない犯行』となったのだと思う。

 類似の犯行は、およそ第1、第2、第3、第4との人の悪しき変わりようを示していると思う。しかし、死刑にしてしまえばそれでお終いだが、原点に戻り、長い時間掛けて、第1象限で生き直すことが出来るのも人間であることを忘れてはいけない。多様な価値観を認める社会の構築に向けて、政治も経済も社会も努力し続ける必要がある。

知恵はテストでは計れない。

2008年04月25日 21時41分37秒 | 学校・教育
 国際的な何とやらのテストで、日本の順位が低下気味、学力偏重を是正すべく、授業時数を減らしたり、ゆとりの時間を設定したのだが、自らの文部行政に自信がないのか、10年もしないうちに方向転換、学力低下を防ぐためとやら、授業時数を増やし、競争力で子どもの学習意欲を高められると思ってるのか、全国的な学力テストを再開した。

 水辺まで馬を連れて行くことが出来るが、水を飲むか否かは、馬が水を欲してるかどうかで決まるように、子どもの学習意欲は、他人との競争で高まるものではない。分かった、出来た、の積み重ねが、もっと分かりたい、出来るようになりたいとの意欲の源泉となる。そのための教師の分かる授業の工夫には限りがない。そして個々の教師の工夫が教師集団の共通の財産となっていかなければならない。そのための教材研究、授業研究の時間と自由が教師達に保障されなければならない。右翼の街宣活動で、今年の教師達の教研集会の全体会が中止に追い込まれたが、文科省の教育方針に対する反対集会ではなく、互いの教育実践を検証する場なのだから、世論の支持を得るためには、地道な日常の教育活動が重んじられねばならないと思う。生徒の学習意欲を高める教育活動をしていれば、たとえ文科省が実施するテストでもそれなりの結果は出させて見せるとの、誇りがあるはずだ。

 学力とは煎じ詰めれば生きていく力だし、知識とは必ずしも比例しないが、知恵には比例する。九九の計算があやふやで、それで高校進学を希望する生徒がいた。その生徒の場合、まだ幸いなことに希望する高校に農業科があった。当時のムードとして成績上位のものは、普通科志望、成績が振るわないと農業科と成績で進路を選ぶ場合が多かった。確かにその生徒は、紙のテストでは芳しくないが、生活行動面では仕事もきちんとこなすし、部活動でも運動部に入り休みなく続け、レギュラーとして活躍した。何とか希望を叶えさせたいし、入試で最低限の点数を取らさせるべく、算数の基礎から取り組ませた。まず九九の2の段を言わせたところ、すらすら言えた。次に3の段をクリアーさせようとしたが、途中で間違ってしまった。
 2の段がすらすら言えるのに、どうして3の段が、と聞いたところ、その生徒曰く、『2の段は、風呂に入りながら、父ちゃんと一緒に憶えた、3の段になったらあきてしまって、水かけっこして遊んでしまった。』とのこと、何となく家庭の温かさが伝わってきたし、その暖かみが彼の生育歴に良い影響を与えたのだと思う。

 その彼も進学も叶い、高校3年間野球部で活躍、農業科という仕事を通して人間の育成にフィットしたようで、就職もいち早く決まり、今では、3人の子の親となり、子ども育成会の役員をやり、キャンプとか球技大会とかの行事で、子ども達と生き生きと活動している。彼などはしっかりと生きる力を付けたのだと思う。
 

杓子か、すりこ木か、、、

2008年04月18日 09時31分37秒 | 学校・教育
 入学金未納のため、入学式に参加させられなかった生徒がいた。公立高校で、千葉県、長崎県でも同様な事例があったという。それぞれ条例で定められた通りの苦渋の決断だったようだが、何とかならなかったのだろうか。賛否両論があるようだが江戸時代の狂歌『曲がりても、杓子はものを、掬うなり、直ぐなようでも、潰すすりこ木』で考えたい問題である。

 千葉県では他県も同じような傾向があるのだろうが、公立高校での授業料未納が年々増加の傾向にある。払えないのか、払わないのかの問題はあるが、条例の内容を厳しくし、未納者に停学処分を課すことによって、未納率は大幅に減ってはいるようだ。それで良しとするのは行政側だが、学校の管理者(校長)が教育者の立場ではなく、行政側に組みすると、退学者を増やすことになるし、今回のような事例はますます増加するであろう。

 内閣の機密費が明らかになったように、検察でも、警察でも、いわゆる裏金問題が明らかになったが、学校でも、校長、教頭と事務長ぐらいが知り、用立てられるプール金みたいなものがある。問題はその使い途であって、その使い途を決定できる立場にある者の人間性にある。私的に着用したり、自分の立場を固めるために使うのが問題なのだし、入学式までに支払えなかった二人の親の代わりに、プール金から一時立て替えて入学式に参加させる処置が執れたはずだ。校長である前に教育者であれば、こっそりポケットマネーで立て替えることも可能だろう。もっともそんな人間性を発揮する教育者は校長にはなれず、平教員で終わるのが現実かも知れないが、、、。

 決まりは守らなければいけない、守らせなければ、、、という立場に立つ人に考えて貰いたいテーマがある。江戸時代、関所を定め『入り鉄砲、出女』を取り締まり、そこを通行する時には手形が必要だった。その決まりを執行するのが関所の役人である。関所を挟んだ隣村から嫁いできた嫁の実家から、親が危篤で娘に会いたいとの知らせ、夜分遅く、手形を持参できぬまま、関所の役人に事情を話して通して貰おうとしたが、役人は規則一点張りで追い返した。翌日手形を寺で受け取り実家に出向いたが、すでに親はなくなっていた。別な例では、役人は手形の提示を求めたが持参していない、事情を聞いてその役人は『ここは天下の関所である、手形のない者は通さない、とっとと帰れ!』と来た方の逆に突き返す。当然、杓子とすりこ木のどちらが人間的か理解できる。さらに杓子定規の上役から、手形のない者を何故通したと叱責されても、親にひと目逢いたさに、半狂乱の嫁ともみ合ってる内の来た方角が分からなくなり、私としては来た方に追い返したつもりだと釈明すればよい。法とは、水を取り去ったもので味気ないものだが、その法に暖かみを加え国民の順法精神を高めるのは、法の執行にあたる現場の役人の人間性にある。

緊張と期待の入学式、大感動の卒業式!

2008年04月08日 12時01分29秒 | 学校・教育
 入学式のシーズンである。今春も120万人弱の新中学生が誕生した。彼らは、期待と緊張感の下、新たな未知の生活に立ち入ることとなる。リセットし、原点からの出発に対して、3年間でどれだけの力を付けて送り出せるかは、彼らを迎え入れる教師集団の力量が問われることとなる。

 彼らの中学3年間、素晴らしい時を過ごせるためには、彼らと3年間関わる教師集団の合い言葉として、『生徒の素晴らしい変容を共に喜び教師集団の喜びとし、個々の生徒の悪しき振る舞いには心を痛め、その生徒、家庭の所為にせず、担任の所為にしない。』が必要である。その為には、校長を頂点とするピラミット型の教師集団ではなく、校長を中心のスクラム型の教師集団でなくてはならない。

 ハインリッヒの法則を逆手に取った、教育実践を試みた教師がいた。新入生を迎えた時点で、3年後を見据える。そして彼らの卒業式で大きな感動のもと送り出すために、学校行事を魅力あるものにし、感動とやって良かったとの満足を、そして日々の活動で小さな感動、喜びを受け続けることを目指す。その為には、ハインリッヒのいう、1/29/300、の背後にある無数の不安全行動、不安全状態に気付き、見逃さない教師集団の感性が欠かせない。

新しいスタートラインに立って(新中学生へのメッセージ)

2008年04月01日 14時37分31秒 | 学校・教育

 中学入学おめでとう!皆さんは新しい中学校生活に期待と不安の入り交じった気持ちでいることでしょう。さて、中学時代というのはどうゆう時期か考えてみましょう。皆さんは入学の前に制服姿の自分を鏡の前に立って眺めてみましたか。何か今までの自分と違った自分が目に入ったことでしょう。そして、そんな自分に誇りと一抹の気恥ずかしさも感じたのではないでしょうか、、、。その制服に象徴されるように、これからの生活では、外見より内面の充実に心がけることが大切です。つまり、皆と同じ格好をしていて、その中でピカリと光る自分を創っていく時期となります。

 その為には、あらゆることに逃げ腰になることなく、自分から積極的に取り組んでいくことが大切です。新しいスタートラインに立った皆さんには、全て同じ条件で同じものが用意されています。それらに対してどんな取り組みをするかによって、少しずつ違いが出てくるのです。

 たとえ話で説明すると、皆さん全員が同じ一枚のビニール袋を手にしている、雨が降っていて、その袋の中に出来るだけ多くの水をためるにはどうすればいいか、という問題で考えて下さい。濡れるのが嫌だといって外に出なければ一滴もたまりません。傘を差して片手で袋を掲げていればほんの少ししかたまらないだろうし、袋の入り口を出来るだけ大きくすることが大切です。袋の入り口は円に近づけば近づくほど大きくなります。

 中学校では教科では9教科、部活動、生徒会活動、学級での係活動、その他当番や清掃活動など、皆さんの前には多くの活動の場が用意されています。それら全てに対して、逃げないで、真っ正面から取り組むことが自分の手にした袋の入り口を円にすることに繋がります。もちろん、それらの中には苦手なこと、やりたくないこと、めんどうなこともあるのは当然です。そんな時には、『納得のいかない苦しみが、自分を鍛えてくれる。』という言葉を、自分の中学時代の戒めの言葉として、これから始まる中学3年間、千日の鍛錬で、真の人としての実力を身につけるよう努力していきましょう、、、。


K教師を悼む

2008年02月15日 19時21分37秒 | 学校・教育
 まだ現職中であるK氏の訃報を聞いて、これからが彼の教師生活のまとめの段階だし、さぞ無念な思いがあったであろうと思う。幼少時に大怪我をし、身体的なハンデキャップを抱えながら、運動やブラスバンドの指導でも卓越した技量を発揮していた。私とは一世代違っていたが、同職の一人として信頼していた。彼は長いこと小学校に勤務していたので、中学校勤務の私とは直接接点はなかったのであるが、たまたま隣り合わせの学校に勤務することになり、主に5・6年を担当する機会が多かったその生徒たちを、中学校で迎える関わりを持てるようになった。

 当時中学校は、はやりの『荒れ』の渦中にあり、小学校時代しっかりと関わりを持って育てていた生徒たちが、中学校になると様変わりする様に、中学校に対する不信感を持つのもやむを得ない状況であった。ある年の職員異動で、彼は受け持っていた学年と一緒に、中学校へと転勤となった。中学校にとってはこれほどの援軍はないであろう。きめ細かい指導は他の教師も見習いたいのだが、中学校ではそういう訳にはいかない、との既成概念を持つ同僚との間で、彼も苦心したようだ。それでも、初めての職員会議で、教室内に教師の机を設置することを提案し、直ちに実施された。このことは後に、教師間の約束事、『授業が終わったら、次の教室に移動し、次が空き時間の時は、始業のチャイムをその階で聞いてから、職員室に戻る』を実施する上で必要な措置提案であった。教科担任制の中学校でも、生徒との関わりを密にすることが必要であることを理解させられたものである。学校が落ち着いてきたのも、彼の3年間のきめ細かい生徒への配慮があったからだと思う。心からご冥福を念じています。

私と『日教組』

2008年02月05日 11時17分44秒 | 学校・教育
 1945年、GHQは教員組合の結成を指令した。治安維持法は破棄され、労働基本権の保障する憲法も成立の見込みとなった。それに先立ち数県で教員組合の結成の動きがあったが、1947年、大学専門部門の教職員も加わる教育関係者の大同団結、日本教職員組合の結成大会が奈良県橿原市で開かれた。教育の民主化と民主主義教育の推進が決議された。文部行政も全面的に支援し、その指針として『新しい憲法の話』全国に配布した。間もなく蜜月関係が崩壊し不毛の対立が続くようになるのだが、これまた不毛の対立東西冷戦の国内版といえるだろう。

 大戦を勝利に導いたアメリカのルーズベルト大統領は、『社会主義は競争相手であるが敵ではない、敵はファシズムである。』と言いきったリベラリストだったが、大戦後の平和の模索中、終了直前死去した。変わって副大統領から昇格したのがトルーマン大統領である。社会主義の広まりを防ぐ東西冷戦を発動する。大戦中軍需化した経済を平和経済に切り替えるには景気後退のリスクもあり、手っ取り早く、軍拡へと向かう。それに拍車をかけたのが朝鮮戦争だ。アメリカの対日占領政策が、民主化から、『反共の砦』へと180度転換する。アメリカに於けるマッカーシズムの台頭により、GHQ内のニューディール左派は次々更迭され、レッドパージという名の組合活動家、言論界への締め付けが始まる。一方戦争に協力したとして公職追補の処分を受けていた保守派は追放解除により次々と政財界へと復帰する。反共であればアメリカによって厚遇される、それに寄り添う形で、戦前の保守勢力は復権を果たすことになった。より確実なものにするために、『日の丸』『君が代』『道徳教育』『靖国神社』の4点セットで戦前回帰を目指すこととなった。

 大日本帝国憲法にふさわしい国歌が『君が代』であり、新たな日本国憲法下ではそれに相応しい国歌が作られるべきであった。民間でも、『ラ・マルセイユ』の様な国民歌をとして公募され、『我ら愛す』が採用されたり、日教組が同じく公募した『緑の山河』、特に二番の歌詞『歴史の門出新しく、いばらの歩み続くとも、、、』はメロディとともに、君が代より新しい憲法に相応しいな、と思ったのを思い出す。当時まだ小学生であったのだが、、、。

 私が教職に就いた時、辞令を貰ってその足で県教組に出向き加盟を申請した、将来有る子供たちを育てて行くには、日本中の教師とつながりを持つこと、さらに私自身4歳の時父を戦争でなくしているし、当時の理不尽なベトナム戦争の影響もあり、『教え子を再び戦場に送るな!青年よ、銃を取るな!』が輝きを放ってた時代であり、自らが憲法で保障された結社の自由を体現できないで、子供たちの権利は守れないと考えたからだ。学生時代、現場の教師との交流会があり、そのなかで、本県の教育事情にプレ知識はあった。日教組への攻撃を加える中で、最初は、特定のイデオロギーに左右されてる組合を脱退しろから始まり、同じく組合つぶしにあった、全逓が,1LOに提訴し,ILOから結社の自由を勧告されたこともあり、厳正不偏を守る新たな組織を作り、脱退したものへの加入を強制した。
 教え子を、、のスローガンを下ろさない限り日教組に留まる決心をしたのだが、現実は一人組合員で一人支部長、活動らしいことも出来ず、組合費だけを納めるだけであった。ただでさえ小さな組織なのに、内部抗争は付きものらしく、連合加盟問題で対立し、いずれの側からのアクセスがないままいつの間にか組合を脱退したことになったようだ。

『教え子を再び戦場に送るな!』を再び!

2008年02月02日 17時11分36秒 | 学校・教育
  戦死せる教え児よ     
       竹本源治(高知)
 
  逝いて還らぬ教え児よ
  私の手は血まみれだ
  君を縊ったその綱の
  端を私も持っていた

  しかも人の子の師の名において
  嗚呼!
  「お互いにだまされていた」の言訳が
  なんでできよう

  懺愧 悔恨 懺悔を重ねても
  それがなんの償いになろう
  逝った君はもう還らない
  今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
  涙をはらって君の墓標に誓う
  「繰り返さぬぞ絶対に!」

 戦前、軍国主義教育に協力させられた教師たちは、一部は教壇に立つことを止め責任を取った人もいるし、生活が掛かっているし、上の詩にある悔恨を携え教壇に戻った人も多かった。
 戦後の民主化の中で、治安維持法は撤廃、憲法に労働基本権が認められ、『教え子を再び戦場に送るな!』のスローガンの下、多くの教師たちが、日本教職員組合に加入した。その倫理綱領は、
  
  教師の倫理綱領   1952年6月16日  日本教職員組合

 1.教師は日本社会の課題にこたえて青少年とともに生きる 
 2.教師は教育の機会均等のためにたたかう 
 3.教師は平和を守る 
 4.教師は科学的真理に立って行動する
 5.教師は教育の自由の侵害を許さない
 6.教師は正しい政治をもとめる
 7.教師は親たちとともに社会の頽廃とたたかい、新しい文化をつくる
 8.教師は労働者である
 9.教師は生活権を守る
 10.教師は団結する

 というものであったのだが、朝鮮戦争をきっかけに、アメリカの対日占領政策が民主化から『反共の砦』に変わる中で、その逆コースに全面協力する勢力が、公職追放解除により次々と政財界に復帰した。反共であれば全て許されることとなる。マッカーサーの指令による、警察予備隊の設置、レッドパージという名の組合活動家の追放がその象徴であるが、戦前の権力の再構築に成功した保守勢力にとって、綱領の、8、10が特にお気に召さなかったようだ。社会主義革命を目指す団体とでも考えたのであろう。

 東西冷戦とその国内版といって良い、文部省vs日教組の抗争は、民主主義の原点である、多様な価値観を認めない不毛の対立だったのだが、元内務官僚の頭脳を駆使した作戦は、本来組合員の政党支持の自由が保障されるべきなのに、旧社民系、旧社会党系、共産系党の内部対立もあり、名人碁とへぼ碁の対戦に似て、勝敗は明らかだった。国会内の多数決で次々と民主主義教育とは異なる国家主義教育への回帰を実現していった。

 東西冷戦ではアメリカ側の勝利に終わったが、世界の平和が実現したのであろうか、平和が実現しないのをイスラム過激派のせいにし、戦争を続けるアメリカ、アメリカの価値観を世界の価値観にすることによって世界平和が実現できると考えているのだろうか、、、。教育の荒廃の原因を日教組のせいにし、すでに30%程の組織力しかないのをゼロにし、100%、文科省・県教委・地教委・校長・副校長・主査・一般教員のピラミット型の体制にしないと教育の効果が上がらないと考えてるのだろうか、、、。その動きにボランティアで協力しているのが右翼の街宣活動だろう。何しろ日教組撲滅がそのスローガンだし、、、。

 第一回の教研集会が1951年11月、日光市で開かれてから、毎年続けられていたのだが、今回ホテル側の裁判所の仮処分にも耳を傾けぬ姿勢は、少数の暴力による、集会・結社の自由の抹殺に荷担することになるのではないだろうか。



Come back ヤンキー先生!

2007年08月30日 09時34分02秒 | 学校・教育
 今の教育にひずみが生じているのは事実である。家庭の所為にしたり、学校の所為にしたり、社会の所為にするのは簡単だが、本質から目をそらすにすぎない。ひずみの根本原因は、経済の論理が教育に持ち込まれたからである。教育の論理は『無限の努力、無私の奉仕で小さな成果を期する。』と言う謙虚なものであるが、経済の論理は『小さな努力で大きな成果を目指す』と言うとてつもなくどん欲なものである。両の腕に幼子を抱え、無限の愛情を注ぎ、損得なしの子育てが心豊かな人間らしさの原点だし、やって限りがないとの教育の魅力を宗に、知的好奇心をはぐくみ育てる無数の教師たちの存在は、教育の論理からは計量化されないし、教育の可能性を信じる個々の教師の胸の中にしまわれているだけである。前首相が提言した、『米百俵の精神』とはまさに教育の論理であるが、それを政治的に利用し、痛みに耐えてとの改革路線(真の改革とはいえないのだが、、、)に繋げたのは、天才的策略といえるだろう。その延長上の郵政選挙で得た国会内の安定多数を背景に、教育再生に血道を上げている現政権だが、再生会議の室長が今回の参議院選挙の目玉として立候補しみごと当選を果たしたが、教育を政治的に利用とする魂胆が見え隠れする。

 ヤンキー先生こと義家某の存在は、教育のことを考える上で大いに参考になる。教育にとって必要不可欠なのが自由であるし、あってはならないのが管理である。学校教育において管理が徹底すると、現場の教師にはびこるのが事なかれ主義となる。荒れる生徒、荒れる学校は、マスメディアにとっては格好の取材の対象になるが、荒れるということは活力があると考えるのが教育の論理である。その活力を生かす場を提供することによって、荒れるどころか素晴らしい生徒をそだて、素晴らしい学園が作れるものだ。学校の管理体制からはみ出し、荒れた生徒たちを、教育の可能性を信じる北海道余市高校教師集団が受け容れ、救われた多くの生徒たちの一人が義家某であり、その恩返しとして母校の教壇に立ち、悪戦苦闘したことは評価できるし、彼の努力によって立ち直った生徒がいるのも事実だろう。教育の成果における個人の役割は微々たるものである。長年にわたる余市高校教師集団の努力が、一定の成果をあげ得たのは事実である。その成果にメディアが飛びつき、ヤンキー先生を作り上げ、松下政経塾出身の横浜市長が政治的に利用し、教育委員に彼を抜擢、さらに教育再生を旗印とする現政権が再生会議なるものに招聘し、さらに参議院選挙にもその知名度を利用した。本人はその政治的利用に気付かないのか、己の力を過信しているのか、喜々として国政に意欲を見せている。一期だけで己の限界を感じ、元の余市高校に復帰し、他の教師と協力し、多くの生徒の手助けをしたとしたら、彼の人間性が確かなものである証明になるのだが、、、。