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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

四月、出会いの時に、、、

2012年04月05日 09時50分26秒 | 学校・教育

  暦年制とは異なる、年度制、代表的なものに会計年度、学校年度があるが、明治時代に定着した4月から3月までの会計年度が学校年度にもなっているし、始まりが四月、終わりが3月というのがこの国の生活になじんでいる。学校では、入学式と卒業式が最大のセレモニーとなるのだが、”希望あふれる出会いと、悔いのない別れ”を確認するのが、桜の満開の時の入学式、梅の花が散り始め、白鳥の北帰行が始まる時期の卒業式だったのだが、、、。

 学校とは、理想を学びとる場、そのためにひとくくりしない多様性を保障する場でなければならない。つまり民主主義の原点である“人間皆同じ、だが一人一人違う。一人一人違うが、やはり皆同じ。”を体感する場でありたいものだ。確かに人間は生涯未熟だし、生まれたときは“裸で名無し”なのだから、教育によって人間らしく育てられなければならない。家庭教育、学校教育、社会教育、自己教育によって、人間性豊かな自己を完結していくことだ。”三つ子の魂百まで”の諺にもあるように、家庭教育の重要性は当然だが、社会性を身につける学校教育の重要性も見逃してはならない。”お上には逆らわない”社会性は、権力者にとって好都合となるだろう。戦前の学校教育は、その点では大成功といえるだろう。ごく少数のお上に逆らうものは、治安維持法違反で召し捕り獄につないだし、、、。

 人間として悩み苦しみ、自死を選んだ校長の存在を機に、この国の国会は多数決で“国旗.国歌法案”を可決した。当時の総理は強制するものではない、と主張していたのだが、、、。でもいったん法律が通ると、”能吏は酷吏より険し”を地でいくような状況が進行している。大阪の教育条例はどんな社会性を育てようとしているのだろうか、、、。確かに教員は、他の公務員同様、外から見て、楽で安定して、収入も多い、として他からやっかみを受ける要素はある。その人間的弱さを刺激し、そのやっかみを多数決に結びつける手法はファシズムそのものである。

 経済の論理を教育に持ち込んではいけない。経済の論理は、”効率性”、“小さな努力で大きな成果”を目指すものであり、教育の論理は、”将来性”、”無限の努力で小さな成果”を期するという謙虚なものである。効率性からは、上意下達がベストであり、聖君の意志が滞りなく下々に伝われば、万民幸せの世になるものではあるのだが、、、。人類の将来性を信じ、最大の努力をしながら、人間を育てる学校では、上意下達は弊害こそあれ、信頼は得られないと思う。校長を頂点とするピラミット型ではなく、校長を中心のスクラム型の学校が、心豊かな人材を育てうる、生徒にとっての楽園となる。         


”愛国心”を掲げて”忠誠心”を売ることなかれ!

2012年03月16日 09時04分45秒 | 学校・教育

 旧教育基本法に愛国心についての記載がないので、基本法を改めるべきだとの意見がまかり通り、改訂が実現してしばらくたつ。改訂を望んだ人たちは、法律で『国を愛する心を育てる』との文言を入れれば、自他を尊重し、自国に誇りを持てる国民の育成が可能だと思っていたのだろうか、、、。
 愛国心については歴代、多くの人がいろんな定義をしてくれているが、次の定義はこの愛国心の問題を理解する上で大いに参考にすべきであろう、、、。『愛国心は、強国の民はもつべきではなく、弱国の民はなくすべきではない。』との定義である。愛国心というとなんか胡散臭い感じがするが、それは強国の民が発揮する、発揮させられる愛国心のことではないだろうか、、、。そしてその強弱の観点も相対的なものであって、わが国の近代史で判断すると幕末に欧米列強の力に屈し、不平等条約を押し付けられたわが国が愛国心を持っていなかったら確実にどこかの植民地になっていたであろう。ところが国力を増して、アジアに対して強い立場になったとき、愛国心はアジア侵略の正当化に転換させられた。皇国史観・教育勅語に基づく戦前の教育は、愛国心ならぬ忠誠心を育てることではなかったのだろうか、、、。.
 それ故に、鬼畜米英が一夜にしてアメリカ礼賛、日本の占領統治がうまく行った事を、現在のアフガンやイラクにも応用しようとしているが果たして、、、? 日本の占領統治が成功したのは、アメリカの日本研究が十分になされており、戦前の教育で養われた忠誠心を利用すべきであり天皇制堅持により占領軍にも忠誠心を見せてくれるとの大局的な判断があったからだ。
 
 歴史をみても愛国心をなくさなかった民族は一時的には支配されても、民族独立を成し遂げている。強国の支配に協力した者は、売国奴の汚名を受けて歴史から退場する。
  わが国の第二次大戦での敗戦をアジアの民衆の抵抗に敗れたのかアメリカの物量に敗れたのか、その双方なのか、そして国民を奈落のそこに落とした責任の所在も曖昧なまま、戦後の国政の中心的役割を果たした勢力は、平和憲法の恩恵を受け、アメリカに依存する中で経済重視の政策を推進し、国力の回復に専念できた。そこから生まれた妙な自信が過信となり、アメリカに貢ぎ続け経済危機に陥り自信喪失になりつつあるのが現在のわが国の状況ではないのだろうか、、、。恩恵を受けた憲法をないがしろにして憲法改正を党是としてきた保守勢力は、育ててもらった親をないがしろにするドラ息子となんらかわりがないと思う、、、。そんな人たちに限って、親孝行や愛国心を声高に主張しているのだから、始末にならない。そして戦後の清算として、念願の憲法改正が政治課題となり、その下準備として、自衛隊の海外派遣を実現、有事法制と言う名の国家総動員法の焼き直し、そして教育による忠誠心の養成を意図する、国旗・国歌の強制、、、。カっては、お相撲の歌と揶揄された“君が代”は法律によって正式に国歌と定められたのは最近のことだが、大日本帝国憲法下では大いにふさわく薩摩藩出身の大山巌の提案によって国歌として用いられて続けられてきたものだ。何しろの歌詞に“いわおとなりて、苔の、、、”とあるし、、、。本来は日本国憲法の成立とともにその精神を体現する新たな国歌が作られるべきだった。 それが出 来なかったのは、戦前、軍部の専制政治に抵抗し、治安維持法違反で牢獄に捕らえられていた人たちを、バスチーユ襲撃によって解放し、その真の愛国者達によって新たな政権が作られなかったからだ。アメリカの変化(リベラルからその追放、・・マッカーシズム)によって、わが国でも公職追放を解除された人たちが政財界に復帰し,変化したアメリカの庇護の下、政治権力を行使するようになった。彼らの意思は戦前回帰でありアメリカの物量には敵わなかったが、アジアの民衆に敗れたわけじゃない、むしろアジアを解放したのだとの考えを持ち合わせている。それ故に、アメリカには頭が上がらないが、アジアに対しては間違った優越感を持つという性癖をいたるところでちらつかせる。今もってアジアの民衆が日本の政治家の独善的な政治発言や行動に批判的なのは、このことと関連がある。
 「新しい歴史を作る会」という団体の日本という国の負の歴史を隠蔽し、自らの長所のみを取り上げ、誇りとする歴史観が多くの国民に受け入れられようとしている現実は気がかりである。己の負の歴史を真正面から捉え、それを克服することがその国民のモラルを高めることになり、それが出来た自国民を誇りに思えるのが愛国心なのではないだろうか、、、。
 最初にあげた定義に戻ると、今愛国心を持つべきでない国はアメリカになる。9-11以降の星条旗を振りかざした熱気が、アフガン、イラク攻撃になったし、解決の糸口も見出せない混乱を地上にもたらしている、、、。さらにその定義を二国間について考えてみよう。日米関係と日朝関係を考えるとき、アメリカに対しては愛国心を持つべきだし、朝鮮に対しては持つべきではないということになる。ところが戦後の日米関係をみると、日本にとっては第二の鹿鳴館、アメリカのものはすべて第二の舶来品、嬉々として受け入れていく状況ではアメリカに対して物申すことは出来なかった。それでも、アメリカから頂いた(改憲論者が主張する)平和憲法を楯にアメリカの要求をやんわり拒んだ政治家もいたし(吉田首相)、それを武器として、戦前からカラフト・台湾・朝鮮の放棄を主張し、日本小国論を唱えた愛国的政治家、石橋湛山の存在もあっのたが、、、。その他の歴代政治家は、日米パートナーシップの美名の下、従属的な関係を深め、現在に至っている。しかもアメリカの大統領が保守派(反リベラル)が選出されと、アメリカの世界戦略の一端を担わされる度合いが強まってくることになる。ジョンソン・ニクソン時代日本で長期政権を維持した佐藤首相は、国内世論もあって沖縄返還交渉を成功させたのだが、彼が国民、特に沖縄県民に約束した、“核抜き本土並み”は平和憲法下の日本への復帰との沖縄県民の願いとは大きくかけ離れてしまっている。ロン・ヤスの時代、ブッシュ・小泉時代を経ての現在、とんでもないところまで来てしまったのではないだろうか、、、。
 アメリカに対してまともな注文も出来ないのに、北朝鮮に対してはやたら強硬路線が主張されているが、体制に問題があるとしても、彼らの自尊心を逆なでするようなやり方では、拉致問題の解決は長引くであろう。
 愛国心には誰も反対は出来ない。自国を誇り愛する気持ちは誰でも持っているからだ。羊頭を掲げて狗肉を売るとは古い故事だが、愛国心を掲げて忠誠心を育てようとしているのが国旗・国歌の教育現場での強制だろう。これとて、アメリカに教育視察の名で出向いた人が、その帰国報告でアメリカの愛国心を育てる方法として、公の機関で朝夕、国歌を奏で、国旗を掲揚するさまを見て、わが国でも、、、と飛びついたのが発端だ。アメリカの国歌・国旗のいわれも不理解のまま、形だけを取り入れようとしたのだ。アメリカの国旗については、50の星、13本の縞は建国以来の先人の歩みを表すものだし、アメリカ人だったら当然誇りに思えるものだ。国歌の方は、建国間もない頃、当時は、相対的に、イギリスの方が強国で、アメリカは弱国であった。イギリスの海上権侵犯にたいして、宣戦を布告した第二次独立戦争の時、一昼夜にわたってイギリスの砲撃を受けたアメリカの砦に、翌朝星条旗(当時は15の星)が翻っているのを見て、感動のあまり一気に作り上げた詩に曲をつけたのがアメリカの国歌である。
 そんなアメリカの歴史を踏まえて、誇りに思える国旗・国歌でも、アメリカのマイノリティにはそれに拒否できる自由も認められている。この国での、卒業・入学という教育現場にとっての最高のセレモニーでのわが国の混迷は国辱ものではないだろうか、、、。


豊かさとは、、、

2009年05月21日 20時52分35秒 | 学校・教育
 教職から離れて10年になる。今回久しぶりに現場を訪ねる機会があったのだが、大きく様変わりしている。過疎地には必然の現象なのだが、その地の文化の中心だった学校が次々に消えていくことだ。そして子ども達は統合された遠方の学校へスクールバスで通うことになる。

 学校の統廃合は、私の現職中にも行われていたが、さらに急速に加速的に進行している。経済成長路線が地方から若年労働力を都市に収奪したのだろうが、かっては農業中心に生活を営みながら、大字単位の歩いて通える学校へ、100~200人の生徒を送り出していたのに、新入生が1人か2人、廃校もやむなしとの故老の嘆きは身にしみる。

 物質的豊かさの原点である物は、全て人間の労働の産物である。経済の論理は効率性が最優先される、その行く先が現在の経済破綻である。この経済危機こそ、人間が、特に先進国と言われる国に住んでいる人間が、物質的豊かさを追い求めてきた今までの生き方を改めるチャンスである。

 物質的に貧しくとも、地域にたくさんの人がいて互いに協力し合い助け合って生きているのが本当の豊かさではないのだろうか、、、。私の現職中(中学校勤務)に、学区には5つの小学校があった。一番規模が小さな学校から来る生徒達が、一番勤勉だったことを思い出す。そして、PTAの会合があると、その学区の父母達は必ず誘い合って全員が参加していた。そうゆう地域の伝統は、当時の生徒、今は親となった人たちにも引き継がれ、地域の子どもは地域みんなで育てるとなっている。つまり、互いが知り合える小さな地域だから実現できるのだ。

 小規模校の良さを象徴できる、ある校長さんのことを思い出す。その方は、より規模の大きな学校への異動を断り、全校生の顔と名前が分かる学校で定年を迎えられたのだが、廊下で子どもと出会うと、腕組みをし大きく股を広げる、すると子ども達は、その股の間をすっとすり抜けてたそうだ。まさに人間的ふれあいの教育の原点があると言えるだろう。

教育回顧

2008年11月27日 21時37分29秒 | 学校・教育
 中学校教師を定年退職し、10年を迎えた。10年ひと昔と言うから参考にはならないかと思うが、変わらぬものもある筈で、実体験を記したいと思う。学級担任を外れて、生徒指導の係を4年間務めたのだが、多くの問題を抱える生徒と関わりを持て、生徒理解に大いに参考になった4年間だった。その中で得た確信は、中学校は第1学年が一番大切であると言うことと、生徒は全て成長したいと願っており、グレて喜ぶものは一人もいない、ということである。

 1学年の時の基本は、行動してのミスは大目に見る、やるべきことをやらない姿勢は是正することである。そして、生徒自身が、私たちは信用されてる、自由にやることが許されている、と感じられることが大切である。イメージとしては、凧揚げであり、先ずは伸ばす、そのためには、全て物事には真正面から取り組む姿勢が大切である。生徒と教師の物理的力関係が最大な時期にこそ、生徒に自由を与えることが必要だし、『自由が最大の規律』を自覚するスタートにすべきだ。当然、勇み足に対するチェックは必要だし、ストッパーとしての教師の役割を放棄してはいけない。服装に関して言えば、男子生徒が最初に見せる規律違反、かっこつけ、は第一ボタンを外す例が多い。そんな時、むきになって叱責するのは能がない。その生徒とコンタクトを取る絶好の機会と捉えるべきだ。先ずは呼び止めて、第一ボタンを留めてやりながら、こうしてると、上から、月火水木金となる、第一ボタンを外してると、月火水木、そしてチーンとなるだろう、と男子の急所をタッチする。そうならないように留めておけ、ぐらいのチェックで十分だ。また見かけたら、その度ごとの、笑みを浮かべながらの、月火水か、、とのチェックは必要だ。そうしてると、今度はすれ違う前に留めるようになるものだ。通り過ぎるとまた外すのも承知しておくことだ。彼なりの精一杯の抵抗だし、他人に迷惑をかける訳ではないから、罰則などは当然必要ない。

 もう一つ思い出したことがある。中3で、勉強は全くの苦手、教室にじっとしてるだけでも苦役といって良い生徒がいた。自習の時間だったので、個別に話すことが出来たのだが、その時、“君だって、将来父親になるだろう。小学校の息子から、分数を教えてくれと言われて、俺分かんない、じゃ格好つかないだろう。”と言ったら、分数は分かるという。それでは、二分の一、プラス三分の一は、と言ったところ、即答で、五分の二、と答えた。正方形の図を描いて、それを縦半分にし、その半分を二分の一というのだ、同じく、横に三等分して、その一つを三分の一という。同じ形じゃないと足せないし、縦に半分したのに横三等分すると、二分の一は、6分の3となり、同じように、三分の一は、6分の2となる。だから、6分の5が正解だ、と説明したら、“わかった! 別な問題出してくれ!”となった。これこそ、分かることが、学習意欲の原点であることの証明となる。 

神田高校問題に思う。その3

2008年11月25日 21時06分45秒 | 学校・教育
 配置転換された元校長の言、乱れた服装、ピアス、茶髪、等で入学試験に参加するのは、この学校に入りたくないとの意思表示だ、というのは間違っていないと思う。それでいて、その学校の合格基準を超えていたのだから、もう一度、再教育というか、立ち直りの機会を与えても良かったのかもしれない。

 問題なのは、その生徒を送り出した中学校側の3年間にわたるその生徒への教育にあるのではないだろうか。個性発揮の仕方の誤りを正す努力を続けていたのだろうか、、、。中学時代に、服装、身なりや行動面で問題を起こしていても、入学試験の時、心機一転、きちんとした身なりで受検し、合格して3年間の自己教育の場を確保でき、その3年間で努力し続けることが出来れば、中学時代の崩れは、人間の幅を広げる授業料となる。

 中学時代の誤った自己顕示に対する最悪の対応が、『そんな格好、態度だと、高校へ行けないぞ。』を口にすることである。高校へ進学の意志を持つ者に対しては特効薬かもしれぬが、内心では納得していない。まして、高校へ進学する意志のない生徒に対しては、興奮剤、さらなるエスカレートは目に見えている。

 服装その他で目立とうとする生徒に対して、先ずは容認してやることだろう。『もしかしたら、君は国際的なファッションデザイナーになれるかもしれない。そのために英語は得意なんだろうな。さらに人間についても深い洞察力を持たないといけないから、最低高校や大学を出る必要があるだろう。そのためには中学校で、今勉強している内容の70%は自分のものにしてないと高校に進んでも、高校の勉強について行けない、ましてその上の専門の教育は難しかろう。』そして次に追い打ちをかけることだ。『今の服装で、高校入試も行くんだぞ。もちろん悠々合格点をとり、服装身なりは奇抜でも、生活行動面ではきちんとして、、、。それで、もし高校側が、不合格にしたのなら、裁判をすることだ。裁判になれば裁判所は証拠を強制的に提出させる権限があるし、君の入試の点数も不断の生活行動も明らかになり、見かけだけで、不合格にしたのは、不当であるとの判決も得られると思う。その裁判の費用は、先生が持ってもいいし、応援もするよ。』

 中学校での生活指導は一つのゲームであり、こちらの作った土俵での勝負だけでは、見逃し、見て見ぬふり、見捨て、を何ら恥じない、まずいことは、生徒や親や社会の所為にする臆病な教師集団を作ってしまう。時には相手の土俵に登り、負けてやることも教師の度量の見せ所だ。

神田高校問題に思う。その2

2008年11月23日 14時18分29秒 | 学校・教育
 前回に続き、教育現場への提言をしたいと思う。中学校の現場を体験したものとして、Teen-ageの前半を、前に述べたように『皆と同じ格好で、ピカリと光る』個性の伸長に努めていたなら、『石の上に三年』とあるように、経験は少ないかもしれないがそれなりの精神的成長のある中学卒業生を高等学校へ送り出すことが出来るし、そうであれば、もう高校では制服を用いなくても済むだろう。その場に相応しい服装、身なりを選択できる能力を付けるのも、学校だけではなく、家庭・社会教育の大切な要素だろう。

 残念なことにこの国では、明治以降の近代化の歩みの中で、欧米崇拝が国是となり、服装面でも、首の長い欧米人には似合っている(防寒の意味もあるのだろうが)襟の高い服装を、ハイカラとして受け容れてきた歴史を持つ。そうであったとしても、この国の教育の課題は、流行に弱い、盆の上の豆、的体質の是正にある。

 中学3年間で、制服を強制しながら、個性の伸長、その場にあった身なり、服装を選択できる力を付けさせていれば、teen-ageの後半部の高等学校では制服などは必要なく、些細な指導で精力を使い尽くしてしまうことはなくて済むだろう。教師が本来の職務で喜びを感じられない状況が、日々進行しているのが、残念ながら今の現状だろう。

 集団生活を営む場である、社会生活では、過ちは許されないし、場合によっては罰則があるのもやむを得ないが、同じ集団でも社会生活の構成員を育成する場である学校では、過ちから学び、より賢くなる、と言う観点で、愚行と非行の区別をした対応が必要である。社会生活のおける“法”の役割を果たすものが、集団生活を営む上で、より良い人間関係、その中の切磋琢磨を通して個性の伸長を測るべく“基本的生活習慣”というものがある。つまりその集団の約束事であるのだが、その徹底にあたって、大きな誤りがある。教育現場では、法と同じ、守ることを目的にしているので、不要な荒れをもたらしている面がある。あくまでも手段であってその約束事を守れるようにする中で、生徒にどのような力を付けていくかがおろそかにされていると思う。

 荒れる生徒のスタートは、学校の約束事から外れることにある。見守りとストッパーが欠かせないし、見逃し、見て見ぬふり、挙げ句の果ての見捨てが有ってはいけない。中学生の生活指導に当たっていた時、初期のツッパリを見せる生徒に対して、「上履きつぶしは、だらけの始まり。ファーストボタンは、不良の始まり。ファーストキスは恋の始まり。古来からは、嘘つきは泥棒の始まりと言うのを知ってるか。」と諫めたことがあるが、上履き、ボタンでは、嫌な顔を見せても、三句目では警戒を解いて来るものだ。教師は、“荒れる”をマイナスイメージで捉えるのでなく、“活力がある”と考えるべきである。その身に余るエネルギーを、安易な自己顕示に向けるのでなく、自己開発に向けるよう、適切な助言と支援をするのが教師の役割である。学ラン、という名の制服を採用している中学校が大勢だと思うが、前にも述べたように、ハイカラの延長であって、この国の若者の体型にフィットするには問題がある。TVの「ツッパリ学園」ものの影響を受け、さらにそれを作製し、商売にする大人もあって、実際にそれを購入し着用するものはごく少数だが、内心では、許されるならそんな格好をしてみたいと思うものは少なくないはずだ。

 間違った自己顕示には、ストップをかけなければならないが、火事でも初期消火が決め手だし、暴走まで見逃しておいての、一発レッドカードでは困るし、その危うさを持つ者への、今回の神田高校の事前のレッドカードも問題だろう。
 背伸びしたい年頃の、最初の表現が、第一ボタンを外す場合が多い。そんな時、無気になって叱責するようでは、あまりに能がなさ過ぎる。余裕を持って、ゲーム感覚でそれとなくチェックしておくことが大切だ。そういう生徒を見かけたら、呼び止めて、ボタンを全て留めておくと、順番に、月火水木金とカウントできる。君が第一ボタンを外していると、月火水木、チーンとなるだろうと、男生徒の急所にタッチする。だから、きちんと止めておけ、ぐらいの注意で十分だ。もちろんこの指導で徹底することがないのも事実だし、同じことを繰り返すのも仕方のないことだ、大切なことは、その見かけるたびごとに、笑いながら、月火水、、、か、とチェックすることは必要だ。そのうちに、すれ違いそうになると、自動的にボタンを留めるようになるものだ。

神田高校問題に思う。

2008年11月22日 20時11分31秒 | 学校・教育
 神奈川県立神田高校入試の合否に関して、服装、身なり、態度を加味して判断したことが問題となっている。その責任者の校長が転出させられ、親や生徒から復帰を求める署名活動も行われている。色んな人がコメントし、賛否両論なのだが、このことをきっかけに、この国の中等・高等教育に役立つ提言がなされなければならないと思う。

 人の人生において、最大の分水嶺が、TEEN-AGE(13才~19才)の7年間だと思う。この時期に何をやったか、何をやらないで過ごしてしまったかは、後になればなるほど、大いなる誇りにもなれば、取り返しのつかない悔いともなるものだ。この時期の人間性の体得に関わり、支援していく大人が、中学校・高等学校の教師であり、その責任は重大であるといえるだろう。肉体的には大人に近く、背伸びしたい時期でもあるし、さらに大人に対する反抗を、英雄視する傾向もあるし、校則だから、決まりだからといって、一律に徹底させようとすれば、様々な軋轢が生じるものだ。

 服装に関して言えば、この国ではほとんどの中・高では制服が決まっていると思う。この制服の意味を、中学1年で、小学校時代の私服から制服に替わる時に、きちんと伝えておく必要がある。これからは、外見より中身を充実させる時であり、制服に象徴されるように、『皆と同じ格好をして、ピカリと光る自分を創る時期なのだ』ということを徹底することだ。そして、学校は多様な価値観を認め合う場であり、お勉強が出来るのも素晴らしいことだが、Bestではなく、One of them、とすべきである。学校から、ドロップアップするものの大部分は、現在の学力偏重が原因であり、勉強が出来ないと、『俺は、私は、ダメな奴』と思いこまされることにある。

 こんなことを言っては失礼に当たるが、神田高校は、いわゆる名門進学校ではなく、底辺層の生徒たちを救済する役割を果たしていたのだと思う。不本意入学者も多かったろうし、前に述べたような、俺はダメな奴と思いこまされた生徒の入学も多かったのだろう。そういう生徒の自信を回復させ、ピカリと光る己の発見の手助けをするのが、本来の教師の勤めなのだが、それまでは、繕う空しさしか味わえず、創る楽しさには、ほど遠い学校だったのかもしれない。
 来春、神田高等学校を受験する生徒さんに伝えたいことがある。世間的には、名門校、2流、3流校、との評判はあるかもしれないが、その学校のレベルは、来春入学する君たちが、3年間でどれだけ頑張るかで決まるのだ、と言うことを、、。

ハチドリの一滴、教育への一滴

2008年11月17日 11時08分52秒 | 学校・教育
 九州からの帰り、気ままに車を走らせながらカーナビの画面に中学校が現れると、飛び込みで訪ねるのも良いものだ。訪ねるにあたって以下のような挨拶文を携えたのであるが、学校によって対応の仕方も様々であった。

 仙人にはなれないことを悟り、生活の糧を教育に求めたのは、『土と子どもは嘘をつかない。』という詞とM・ゴーリキーの言『仕事が楽しみなら、人生極楽、苦しみなら、地獄。』が心に響いたからだと思う。希望が叶って中学校教師として定年まで勤め上げることが出来たことにささやかな喜びを感じています。退職後は自由人として、また地球の一間借り人として、静かに生活させて貰っていますが、さりとて世捨て人にもなりきれず教育の現状にも心を痛めております。子どもと共に未来を築こうとしている良心的教師にとって、その砦であった教育基本法も改定されて、憂えは増大し続けているのでは、との危惧の念を持っています。
『当たり前のことを当たり前に、、、』というのが私の教師生活における信念でしたが、その当たり前の私のつたない教育実践を、3年ほど前に『中学生への伝言板』という形でまとめました。中学生に対して、三年間を見通して、どう関わったかを週単位のメッセージで表し、教師側の願い希望を綴ったものでした。それに対して生徒がどう応じてくれたかをまとめてみたのが、今回、前著の対書としての『中学生からの伝言板』です。
 今現場で苦心されてる先生方への私なりの応援歌のつもりです。そして少々口幅ったい気がしないではないのですが、日本の全ての中学生が恵まれ、いい時代を過ごせる上で大いに参考になるものがあるのではないかとの自負心は持っています。著者としてではなく、読者として読み返してみて、多くの中学生、中学生を持つ親、中学教師に読んでいただきたいものだと思います。
 読んでいただけた方からのご意見を大いに歓迎いたしたく、メールアドレスを記しておきます。

 挨拶の文を読んで頂き、丁寧に対応してくれ、玄関まできちんと見送ってくれる学校もあるし、忙しいのだろう、さっさとお引き取り願いたいとの意志がはっきりしている学校もある。共通しているのは、授業時間中、職員室で空き時間の先生方のほとんどが、キーボードを叩いておられる風景である。教師にはゆとりが必要であり、一見すると、お茶を飲みながらお喋りしてるのだが、そのお喋りの中身が、生徒のこと、教材のこと、そんなことであれば、これこそが最重要な教育におけるゆとりであり、そんなお喋りのある職員室であって欲しいと思う。校長さんや教頭さんが対応してくれたところでは、若い先生方が中学生といい時間を共有できる学校づくりに、、、と注文をしておいた。

化石政治家は孤立していない。

2008年10月07日 13時57分14秒 | 学校・教育
 今日の新聞によると、中山氏の日教組に関する意見は神髄をついてるとの発言をしたのが、前官房長官、最大派閥の継承者、町村氏である。教育現場のメディア好みの、モンスターペアレンツの出現も、現場の混乱も、日教組が道徳教育粉砕運動をしていたことのツケであるとのご高言、恐れ入るばかりである。中山氏は何故辞めたのか、町村氏は自分の政治生命をかけて中山氏を守るべきだったのではないだろうか。

 文部大臣の経験者でもあり、自民党文教族の一員でもあり、日教組とも深く関わったはずだし、日教組の組織率もどのくらいかは把握しているし、戦後間もない頃の勢いがないことぐらい知っていての発言、別な意図があるようですね。日教組を悪者にすれば、長年政権を維持し、予算をバックに、自らが(文教族)進めてきた長年にわたる文教政策の失敗を認めなくて済むことにある。

 私が教職に就いた時、日本の教師として、多くの日本の教師たちと、民主主義教育にあたろうと考え、日教組に加盟したのだが、その時には私の住む県では、日教組は壊滅状態であった。初めは、一部のイデオロギーに左右される組合からの脱退を迫り、ついで、全逓が、ILOに提訴し、結社の自由が国連から日本国政府に勧告され、脱退した教師たちを、政治的中立(文部省に従った教育活動をすること)を謳った新組合を作り、その新組織への加盟を強制した。中山氏や町村氏の発言で、新任教師の時を思い出してしまったのだが、新任教師の研修会で、先輩教師の道徳の授業を参観し、そのあとの研究会で自由に発言しろと指名されたので、“道徳教育の必要性は理解できる、しかしそれは、家庭・学校・社会全般で、より高い倫理観を身につけさせねばならないことで、教えて身に付くことではないと思う。正直に言って、学校でそうゆう人間を育てていくために、1時間と特設された時間が必要なのか、そういう時間がない方がやりやすいのかお訊ねしたい。”と発言したのだが、その研究会での発言が、『文部省の道徳教育に反対する輩』として教育委員会にに伝達されたようで、後に直接の上司であった校長から、“あなたは文部省の道徳教育に反対だから担任を持たす訳にはいかない”と言われたのを思い出した。私自身は、当時はやっていた、植木等の“分かっちゃいるけど、止められない”が道徳教育の根底になくてはならないと思っていた。やればいいと思うがやれない、やってはいけないと思うがついついやってしまうのが人間だし、いかにしてその乖離を縮めるかが個々人にとっての永遠の課題であり、それを助言する立場の教師としては、教えることは不可能だ、現場でのあらゆる師弟共同の場で伝える以外にないと考えていた。

教育界の刷新に、大分(大きな痛み)に耐えよ!

2008年09月09日 15時38分07秒 | 学校・教育
 2学期が始まった9月1日、総理大臣が辞めても関係ないけど、担任の先生が突然辞めることになった生徒たちにとって、ショックは大きいだろうし、実情を説明されて人間不信に陥るかもしれない。まして生徒たちと良い関係で、慕われていた教師もいたようだし、周りの大人に、「偽教師」にされながらも、1学期間関わった生徒たちと離れがたい感情を持ち、現任校で講師としてでも残りたいと思えた人は、十分に教師になる資格があると思う。

 少子化が進む中で、教員の採用枠も年々縮小され、教師志望と採用とのバランスが崩れたのが不正の温床なのだろうが、各県で実施している採用試験の基準がはっきり公表されていて、その判定に携わる側も私心のない公平な判断が出来る人物でないといけない。今回の大分県での問題は、たまたまバレタに過ぎないし、しかも昨年度の採用試験で、20名からの不正採用が明らかになっただけで、その前の年のデーターは無くなっているし、それ以前の検証も出来ないまま、トカゲの尻尾として切られることになった若い教師こそ被害者といえるだろう。退職願を強要し、それに応じれば講師として採用し、拒否すれば採用取消処分を断行する教育委員会に問題があるのではないだろうか。そのような教師に対して、採用、異動、昇進等の決定権を持つ立場の人物が、その立場に付くまでに情実や不正が皆無だったのかもの検証も必要だろう。

 教育は国家百年の計といわれてるのだし、これから100年をかけて、島国で培われた負の遺産を克服しなければならない。大学や高校の教師であれば、専門知識が重視されねばならないが、小中学校教師の大切な資質は、人間(子ども)が好きであること、そして一緒に身体を動かすことが好きであることである。このことを最優先して、採用の第一条件にすべきである。最もそれを見抜くことの出来る試験官がいないと困るのだが、、、。ペーパーテストで優秀なものが、教師に向いてるとはいえない現実が今の教育現場で多々見られることを知らなければならない。

 バレタら頭を下げ謝罪する、トカゲの尻尾切りで本体は生き延びる、ほとぼりが冷めたら再登場、『正直者が馬鹿を見て、悪い奴ほどよく眠る』との現実の打破に大きな痛みに耐えていこう!