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自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

『学担にこだわる教師』が増えて欲しい。

2007年08月29日 08時57分22秒 | 学校・教育
 ヒトから人へ、そして人間へと成長していくのをサポートしていくのが広い意味での教育である。家庭教育・学校教育・社会教育、さらに自己教育を通して人間としての存在,Human-Beingに向けて。一生学び続けるのが人間というものだろう。教育の世界は本来、効率や損得とは無関係である。市場万能主義が教育にも手を伸ばしているのが現状であり、『無限の努力で、小さな成果を期す』という教育の原理が通じなくなってきているとの危機感を感じる。責任のない旧教育基本法に責めを押しつけ、国会の多数決で改定されてしまい、子どもと共に未来を築こうとしている良心的教師にとって、憂えは日々増大してきてるのではないだろうか、、、。
 学校という場で、子どもたちの人間的成長の手助けする教師という道を、職業として選んだものとして、『やってきりがない』というこの仕事に魅力を感じながら、誇りを持って励みたいものだ。教師の醍醐味は、直接生徒と関われる担任じゃないと味わえないものだし、担任であり続けることにこだわる教師でありたい。しかし、学級王国や“女王の学級”になっては発展性がないし、生徒同士が、“切磋琢磨”し合える学級造り、という普遍性を目指すべきであろう、、、。
 教師生活を続ける中で、直接的ふれあいから間接的関わり(主任・主管・教務・副校長・校長)になるのもやむを得ないことではあるが、そういう立場に立っても、何時でも担任に戻りたいという気持ちは持ち続けたいし、そういう循環があれば、立場が違っても担任の立場を考えた仕事に徹することが出来るし、教育の荒廃など起きる余地がなくなる。