指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「サイズについて」

2023年11月01日 | その他

今日の朝日新聞の夕刊に、「男性性器のサイズ」についての悩みが出ていた。

少年のみならず、青年たちも「13センチ以下云々」で悩んでいるのだそうだ。

                     

思い出すのは、大島渚が、1976年に本番映画『愛のコリーダ』を準備していたときの話だ。

男女の俳優を多数オーディションしたが、女性はほとんど問題なく、早い時期に松田英子に決まったそうだ。最初に申し出たのは、なんと小山明子だったそうで、これは本当にやる女優がいなかったら、だったそうだ。

だが、男優には、非常に苦労し、多くの男が、

「私のあそこは小さいので・・・」と出演辞退するのが多いのに驚いたそうだ。

「1にジャンアント馬場、2にデイック・ミネ、3,4がなくて5に馬」と言われたものだが。

その俳優を決めるのは本当に大変だったようで、プロデューサーの若松孝二からの推薦で、藤竜也に会うことになった。

大島渚は、ある夜、藤竜也と新宿を呑み廻り、深夜をすぎて、明け方になった。

ついに大島は、おそるおそる聞いたそうだ、

「ところで藤さんは出ていただけるのでしょうか」 藤は答えた、

「出ないのだったら、こんなにずっと付き合っているわけはないでしょう・・・」

思わず大島も、若松に電話して「バンザイ!」を言い合ったそうだ。

 

そして、映画『愛のコリーダ』は、大島渚の晩年では傑作になった。

しかも、これは本質的に女性映画であり、その意味では松竹大船的な作品だったと思う。

撮影所の伝統は、バカにならないものだ。

 

 


横浜港駅プラットホームが出てくる傑作『紅の流れ星』

2023年11月01日 | 映画

横浜港駅ポラットホームが出てくる傑作映画がある。

それは、舛田利雄監督の1967年の『紅の流れ星』である。

これは東京で、ある組のボスを殺した五郎の渡哲也が、神戸に逃げてくる話だが、そのほとんどが横浜で撮影されている作品である。

この頃、もう日活は、脇役に神戸まで行く金が出せなかったのだろうとわかる。

行ったのが明確に分かるのは、渡哲也、浅丘ルリ子、宍戸錠、藤竜也、山田真二くらいで、その他大勢の杉良太郎らは神戸に行っていないと推測される。

この映画の中では、脚本の池田一郎で、刑事の藤竜也と渡哲也の、粋な台詞のやり取りがあるのだが、それは、新興ふ頭のプラットホームの前なのだ。

                      

(上の写真の左の遠くに見えます)

当時は、ホームとしては使用されていなくて、野積み場の一部で、石材等が積まれていた。

この映画は、日活アクション映画でも、間違いなく大傑作であり、ぜひ見てほしいと思う。

 


伊藤君を思う 横浜駅プラットフォーム

2023年11月01日 | 横浜

みなとみらい新興地区に、横浜港駅プラットフォームがある。

                  

ここは、その名の通り、横浜港駅があったところで、戦前、大さん橋ができるまでは、ここから客船に乗り換えて海外に行き、外国から来た人も、ここから列車に乗って各地に行ったのだ。

もちろん、戦後はほとんど使われなくなっていて、廃物化していた。

だが、ここでイベントをやろうとした男がいた。

伊藤孝君である。

彼は、新興ふ頭事務所から港湾局港営課に来ていて、もう一人の伊東真介と共に、

港営課の二人の「いとう」だった。伊東真介は、後に港湾局長となる伊東である。

さて、この伊藤孝君は、「プラットフームでイベントをやろう」と考え、なんどかやったはずだ。

今や、みなとみらいの各所でイベントがさかんに行われている今日、彼の考えは、非常に先進的だったわけだ。

だが、彼は酒が大好きで、腎臓を壊していたが、腎臓透析を受けていたが、それでも酒がやめられないという方だった。

そして、何度目かの入院の後、死んでしまった。30歳くらいだったと思う。

残された奥さんと子供のために募金が募られ、もちろん私も寄付した。

今、みなとみらいが大きく発展しているとき、伊藤君を思い出すのだ。