昨日の『わが映画人生』を見て感じたのは、井上と舛田のお二人は、松竹系の監督、助監督は意識しておられたようだが、大映系の人は、意識されていないらしいことだった。
たしかに、巷間言われているように、日活には、松竹大船の助監督がたくさん来た。
だが、田坂具隆、古川卓巳、牛原陽一らの大映系の人も多かったのだ。
もともと、大映は、旧日活で、それが戦時中の映画法への永田雅一の便乗で大映になったのだから、製作再会した日活に元の、すなわち大映に人が来るのは当然のことだつた。
中には、森永健次郎のように、大映には行かず、戦後も東映にいて、また日活にもどって来た監督もいた。山崎徳次郎なども似た系譜だった。
そうした大映系の力の象徴の一つとしては、石原慎太郎の最初の『太陽の季節』の監督が古川卓巳だったことでもわかるだろう。
ただ、大映の人は、まじめでやや硬くて、戦後文学のような軽い、風俗的なものは無理で、『太陽の季節』は、筋違いな出来に終わった。
これに比べると、大船出身の中平康が監督した『狂った果実』の方が、軽薄で原作に合っていて、この方向が日活の主流になるのである。