冒頭10分くらいは見損なうが、19868年山下ふ頭全盛時代の映像である。
1967年の傑作『拳銃は俺のパスポート』の最後の宍戸錠と若親分杉良太郎との対決のシーンが、本牧のDふ頭なのだから、この時期、すでにコンテナーふ頭への転換は進行していた。だが、岸壁では人力とフォークリフト等による沿岸荷役が行われていたのだ。
脚本山崎巌、監督江崎実。主演はもちろん、渡哲也で、横浜で出会う女は松原智恵子、その父親は、高品格。彼は、元はヤクザだったが、足を洗って昼間は、山下公園で売店をやり、夜はレストランをやっている。
松原は、レストランでピアノを弾き、
高品は「ピアノ目当てに客が来やがる・・・」と喜んでいるが、彼女が弾くのは『月の砂漠のみ』
内田良平、渡辺文雄、内田朝雄、名和宏、郷英治らも出てくるが、意外にも内田良平は、善玉で、一番悪いのは渡辺文雄である。また、扇千景がここでも出てくる。
港湾運送事業は、法で規定され、沿岸、船内、筏、はしけ、エゼント、検数・検定、検量などの区分されていて、それが公共岸壁の1つづに定められている。完全な規制業種だが、これは1940年代の国家総動員法に決められたもので、兵員や武器を能率的且つ安全に輸送することが最大の目的だった。
だから、基本的に日本人以外には免許は与えられておらず、明治以降横浜のはしけ事業で莫大な財をなしたヘルム一族も免許を取り上げられたので、すべての財産を不動産にして、それが本牧のヘルム山となり、今ではエレベーターのあるマンションとなっているのだ。
私は、このときに、ドナルド・ヘルム氏と港湾局の境界査定を担当した。このとき、付いてきて通訳をやったのは、中国人のロバート・ジー氏で、「これが買弁か」と思ったものだ。
全盛期の山下ふ頭の荷役の様子が出てくるので、かなり貴重な映像である。
荷役事業の内、一番重要なのが船内で、これは危険で、さらに荷の据え付けには経験と工夫がいるので、港湾荷役事業では一番幅を利かせていたが、藤木企業は、船内の会社である。
こうした区分を消したのがコンテナー荷役だが、それでも元船内が偉いようにみえる。
例によって悪辣な渡辺の仕業にたえられず、渡は、渡辺と内田朝雄の作業場、あのハンマーヘッドクレーンの周囲のようにみえる。そこから彼らの倉庫に追い詰めて、決闘になる。
そこは、塗料の缶が詰み上げられているが、それが崩れてひっくりかえり大量のペンキが床に流れる。
その油性の塗料の上で、渡哲也と渡辺文雄は、すべりながら戦う。
黒澤明の『酔いどれ天使』の最後の三船敏郎と山本礼三郎のアクション・シーンのように。
ここは、脚本の山崎巌や監督の江崎実生らが、黒澤明から受けた影響の大きさがわかる。
最後、渡は、本来は扇千景に渡るはずだった300万円を新興ふ頭内の牛乳屋に預けて、万国橋から去って行く。