録画しておいたのを見る。
『にっぽん戦後史・マダムおんぼろの生活』2005年09月24日 | 横須賀で米兵相手の売春バーをやり、財をなした女のドキュメンタリー。制作、日映新社、戦後の大事件のニュースを見ながら監督今村昌平が聞く。『にっぽん昆虫記』の実録版。世界映画史上、これほどまでに下品な女が、あけすけに人生を告白する作品もないだろう。中国地方の肉屋(富裕だったが、差別はあった)の娘の赤座が、戦後地元での商売のために結婚した(検挙情報等の入手のため)警官から逃れるために上京し、横須賀でぼろいバーを買う。買値をけちったので、名前は変えられず「おんぼろ」とする。母親も間もなく上京し、同じく横須賀に売春宿を開く。妹もバーで働き、米軍の高級将校と結婚する。主人公はいつも行き当たりばったりで(その実計算はすごい)、下級米兵との関係を繰り返し、最後は20歳以上も年下の米兵と結婚して、サンディエゴに移り住む。ここで、私たちが打たれ、またひどい不快さに襲われるのは、戦後ずっと日本が「アメリカの愛人」的存在である現実の姿である。頭では分っていても、現実に見せられると少々つらい。ここでも創価学会への入信がある。
このすごい映画を見て、もう一つ考えたのは、この製作者で、後に東宝分割で青灯社の社長になった堀場伸世がいることだ。この青灯社は、1960年代の東宝分社化のなかで、唯一なにも作れずに潰れた会社で、その理由が、社長の堀場が、「レイテ戦記に金を使って資本金がなくなった」という話だ。
そこで、ここであるいは、堀場は、日映のフィルムと売春婦の証言から「レイテ戦記」を作る構想があったのではないかという想像である。
兵士と娼婦は、どこでもついて回るものだったので、娼婦から戦争を語るというのは、今村昌平にとっても、堀場らにとっても画期的だったのではないかと私は思う。
今からでも遅くはない、「港の娼婦から戦争を見る映画」を作る人は出てこないものだろうか。
沢地久枝さんには、できない企画だと思うのだが。