良く知られているように、山下ふ頭の山下公園側は、国の整備で、その後に横浜市港湾局が埋立して整備したので、中央から新山下側は、横浜市の財産だった。
ただし、そうした横浜市が整備したところでも、岸壁、桟橋部分は、国が建設した。
それは、港湾法によって、外貿ふ頭の外殻施設、つまり防波堤、岸壁、さん橋等は、国が整備すると定められていたからだ。だから、本牧ふ頭のD4 などの公共バースも、国の整備だったはずだ。
だから、山下ふ頭では、もともと全部が国のものだったのである。
良く知られているように、山下ふ頭の山下公園側は、国の整備で、その後に横浜市港湾局が埋立して整備したので、中央から新山下側は、横浜市の財産だった。
ただし、そうした横浜市が整備したところでも、岸壁、桟橋部分は、国が建設した。
それは、港湾法によって、外貿ふ頭の外殻施設、つまり防波堤、岸壁、さん橋等は、国が整備すると定められていたからだ。だから、本牧ふ頭のD4 などの公共バースも、国の整備だったはずだ。
だから、山下ふ頭では、もともと全部が国のものだったのである。