きょうの朝のテレビで、自民党候補が共産党と立憲民主党が選挙協力をしたから立憲民主党候補を倒さないといけないと言っていた。自民党候補は長島昭久で、立憲民主党候補が菅直人(かんなおと)である。
テレビがこれを取り上げたのは、菅直人も長島昭久も かつて 同じ元民主党議員であるのに、さらに、長島が衆議院に初当選するときに、菅が選挙応援したという恩義ある関係なのに、今回、自民党に鞍替えしたため、菅を落とす鉄砲玉として、わざわざ、同じ選挙区から出るはめになったからである。
もっとも、自民党に鞍替えしたのだから、忠誠心が試されるのは しかたがないだろう。
私の興味をひいたのは、立憲民主党が共産党と組んではいけないと長島が言ったことである。共産党は別にばい菌ではない。日本は小選挙区制である。野党が選挙協力として、候補調整をすることは、仕方がないことである。自民党が別に批判できることではない。自民党と公明党の連立のほうが、ずっと矛盾している。
日本が、二大政党制を実現するために、1996年に小選挙区制を国会で選択したことのほうが、間違いである。当時、小選挙区制を国会議員が選択した理由は、選挙にお金もかからず、二大政党制になって、政治も安定するからだった。本音は、自民党内で争う必要がなく、お金がかからないということであった。
二大政党制が決して良いわけでない。二大政党制を支持する論理は、政治が中道よりに収束し、政治が安定することだという。アメリカの民主党と共和党の争いを見ているとそんなことはない。両極端に政治がぶれ、国民に分裂が起きる。それに、中道が別に正しいわけではない。
新しいもの考えかたが政治に取り入れられていくためには、極左であろうと、極右であろうと、人々の多様性の幅に合わせて、代弁者として、国会に取り込まれていくべきであろう。政治に不安定を招くからといって、マイノリティの意見を国会から排除するというのはおかしい。マイノリティを排除していけば、変化の芽を摘むことになり、逆に暴力しか自己表現する道がなくなる。
小数の政党が多数生まれることは、別に、悪いことではない。かえって、意見の相違が明らかになり、話し合って多数意見を形作る練習になる。政治は、安易に、効率を求めるべきでない。話し合って最善の策を生み出すことを、体験をつうじて、人々はもっと学ぶべきである。話し合いは、国会の中で、公開されながら、行うべきである。どこか秘密会合で物事が決まってはいけない。公開は、NHK中継だけでなく、YouTubeに動画を投稿することだって、できる。
立憲民主党が共産党と選挙協力したからといって、自民党が立憲民主党を攻撃するのは おかど違いである。それより、少数派を排除する小選挙区制を廃止した方が良い。
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