(修道士の隠遁生活の跡、ブルガリア)
いま、ウクライナ歴史の本が人気で、図書館に予約してから借りだせるのが半年先である。しかたがないから、近くの国ブルガリアの歴史の本を借りた。R. J. クランプトンの『ブルガリアの歴史』(創土社)である。
私が知らないことがいっぱいあった。ブルガリアはロシアやウクライナより歴史が古いのである。人類は10万年前から存在するのだから、国の歴史とは、そこに定住して独自の文化を形成し社会を組織していることをいう。その意味で、ブルガリアはキエフ太公やモスクワ太公の国より古いのである。また、どこそこの国の歴史といった場合、その国は現在の国となんらかの意味でつながっていないと意味がない。
ブルガリアの地は紀元前にはトラキアがあったが、マケドニアの属国になり、ついで、ローマ帝国の属国となり、民族としては消滅してしまった。紀元5世紀になると、色々な諸民族がバルカン半島に略奪を目的に侵入し、通過していく。紀元7世紀になると、ブルガリア人が定住し、国を形成する。ブルガリアはチュルク語で「混ぜ合わせる」という意味の語「ブルガール」からきた。
現在、ヨーロッパで使用されている文字は、ラテン文字、ギリシア文字、そしてキリル文字である。このキリル文字がブルガリアで創られたのである。キリル文字はギリシア文字、ヘブライ文字に近いが、文字数はヘブライ文字、ギリシア文字、ラテン文字より多い。キリル文字は、ブルガリアだけでなく、ロシアやウクライナなどで現在使われている。
キリル文字を創ったため、ギリシア文化に吸収されずに、独自のブルガリア文化が形成された。
ブルガリアは、スラブ族とブルガール族の混成である。統一をはかるために、キリスト教を、ローマ帝国にならって、国の宗教として導入した。そこでのキリスト教とはギリシア正教である。ところが、キリスト教の異端とされる一派も入ってきて、民衆レベル(農民)ではこちらのほうが影響力が強かった。
クランプトンの説明によると、この異端派は世の中を悪と善との闘いとみる。グノーシス主義に近い。世の中をはかなむから、組織性が弱い。クラプトンは、ほかの国と戦うための団結を求めるには、この異端派の教えは役立たない、と書く。
ところが、ブルガリアが国として敗れたとき、キリル文字とこの異端派は役立つ。国が敗れると人々は山あいの僻地に逃げてひっそりと暮らす。異端派は国の政治と無関係であり、もともと、修道士としてひっそりと自活して暮らすから、国が敗れてもこたえない。国に迫害されないから、国が敗れたほうが好都合である。隠れて暮らす人々のために、子どもたちの学校を開く。こうやって、キリル文字とブルガリア文化は、国が何度倒れても守られた。
いい話ではないか。トルストイやドストエフスキーの小説には、教会と関係せず隠遁して生活する聖人の話が出てくる。組織化された教会はどうしても国家権力と妥協し、共存を図る。国に味方をし、戦争を肯定してしまう。ロシア正教とプチーンと結び付きが良い例である。
オスマン帝国の支配下のブルガリアには一定の自治とは宗教の自由とがあった。しかし、イスラム教徒にくらべ重い税が課された。物ではなく子どもの徴用があった。7歳から14歳までの男の子が選ばれ、親からも故郷から離れた地でイスラム教に改宗され、歩兵常備軍イェニチェリの戦士に仕立てられる。親からすれば涙なしには語れない話である。
『ブルガリアの歴史』には、もう1つ注目すべき話しがでてくる。第2次世界大戦中、はじめのうちは、ブルガリアは中立を宣言するが、ドイツ軍が迫るとドイツ側に入る。その結果、ドイツが敗退していくと、アメリカは、日本やドイツの都市に行なったと同じく、ブルガリアの都市に無差別爆撃、空襲を行う。私は、アメリカが空襲をすべきではなかったと思う。そうしなければ、ブルガリアはロシアの属国にならず、ロシアとアメリカとのあいだに立つ、中立国として、戦後、存在しえたのではないかと思う。日本人は、アメリカ中心の歴史観に毒されすぎていると思う。
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