昨日述べた天皇制の廃止以外は、憲法改正の緊急の課題はないと思う。憲法記念日のきょうは、朝日新聞のインタビュー記事、石川健治の『これからの立憲主義』について検討したいと思う。
というのは、彼の言いたいことが、まずむずかしくて、私にはよくわからないのである。君主制のもとの立憲民主主義というものを彼が可能と考えているのか、という疑念すら私は持つ。
彼は言う。
〈憲法は条文のかたまりではなく制度のかたまりです。条文の字面ではなく、それが演出している制度の実態をみなくてはなりません。〉
この意味がよくわからない。法学の徒は「制度」というものをどのように定義しているのか。世の中に「法」があっても、法を決める主体とその法を施行する行政府があり、その施行実態に異議を唱えることができる「議会」があり、施行の1つ1つの事例について当事者が異議を申し立てる先の「司法」がある。「制度」というのは、その枠組みのことを言うのであろうか。
明治憲法は、形式的には君主(天皇)が定めた憲法であり、実質的には徳川幕府を転覆させた維新勢力の幹部たち元老たちによって作られた。当時、憲法制定に先立つ議会がなかったのである。明治憲法が制定される前に、勅令(天皇の命令)の形で、つぎつぎと政治や軍事の枠組みを決めていっている。松澤幸太郎の研究ノート『明治憲法の制定過程と天皇制』とを見る限り、『立憲民主主義』から 明治憲法は ほど遠い。
明治憲法下で天皇が象徴であったかどうかの議論は、昭和天皇の戦争責任を曖昧にする以外に、意味がない。政治は、明治維新と言うクーデータを起こした一部の集団のなかの争いと妥協の中で行われ、憲法は、形式的なもので、集団のなかの強者が天皇の勅令という形で、制定された。形式的には絶対君主制で、実態的には一部集団の支配、寡頭制である。天皇の影で一部集団が強権を振るえる欠陥を明治憲法はもっていたのである。
石川健治は、日本国憲法第2条と第9条はペアであるとインタビューに答えている。アメリカ政府(GHQ)の日本統治をやりやすくするために、第2条で世襲制の天皇制を温存して、そのかわり、植民地主義や軍国主義を封印するために、第9条で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とした、と彼は言う。
私が納得できないのは、「民主主義」を重んじるならば、当然、天皇制を廃止すべきであって、第9条の価値は天皇制を廃止してもありつづける、という点である。
今回のロシア軍の侵略にあたって、ウクライナ政府の高官がインタネット上に、ヒトラー、ムッソリーニとならんで昭和天皇の写真を、侵略者として掲げたことを、日本政府が抗議したが、昭和天皇が植民地主義、軍国主義の象徴であったことは間違いない。日米戦争の敗戦後、昭和天皇は、敗戦で広大な領土を失ったことを先祖の天皇たちに申し訳ない、と侍従に語ったとされる。敗戦後も、植民地主義、軍国主義に奉じていたのである。どうして、彼が罰せられなかったか、について私は不満に思う。
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