猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

戦後民主主義が生きていた時代、自由がいっぱいあった

2020-07-12 22:13:23 | 思い出
 
私の子ども時代は戦後民主主義が生きていた。教職員組合も総評もまだ健在でストライキなるものもあった。
 
私が小学1年生のとき、校庭で転んでひざを擦りむいたら、担任の先生がきずぐちをなめてくれた。小学4年のとき、ヤマトタケルノミコトやショウトクタイシが作り話しと先生から聞いてびっくりした。理科の時間に惑星と恒星との違いを先生に尋ねられ、みんな好き勝手なことを言っていた。何が正解だったか覚えていない。とにかく、授業はにぎやかだった。
 
裸足だったので、学校の便所が汚いのが苦痛だった。給食は嫌いのものは食べず、そのおかげで、みんなが食中毒になっても、食べない私だけが無事だった。
家にはテレビがなく、放課後や日曜日にはときどき学校に行って、白黒テレビを見ていた。
 
中学受験なるものはなかった。塾の話しは聞いたことがない。大学付属中学校に進学する子どもはごく少数で、その存在に気づいていなかった。私立中学は女子用で、男女共学を嫌う親のためにあった。
 
中学のとき、国旗掲揚の問題が発生し、校長が毎朝1人で国旗を掲揚していた。
 
そのころ、先生に反抗するのがカッコいいと思い、クラスのみんなを煽って授業放棄を繰りかえした。
中学2年のとき、小学校のときの遊び友達が放送部の部長になり、入部を誘ってくれた。おかげでクラスや学年を越えた女の子たちと知り合えた。面白い子がいて、その子と組んでちょっとエッチなトーク番組を毎日やって、真面目な子の集まる新聞部に批判されていた。
中学3年の後期に、深く考えずに、生徒会副会長に立候補した。放送部にいたことで、不良グループが応援してくれ、当選した。やったことは、はみ出し仲間とともに、ひっきりなしにイベントを企画し実行することだった。
先生方からみると、授業放棄を繰り返すより、イベントを繰り返すほうが、良かったのだろう。講堂を使うための交渉に職員室に行くと先生方が支持してくれた。
 
戦後民主主義は教師などの一部の知的集団の運動、と非難する者もいるが、戦前の規律主義や集団主義から脱却するために、仕方がなかったし、必要だったと思う。
 
戦後民主主義が、まだ、生きていた時代、
国旗や国歌や道徳のある、いまの学校よりも、ずっと自由があって寛容だった。
どこまでも飛んでいけるような、透明で深い空がどこまでも広がっていた。
毎日が祭りの連続だった。


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