私の兄は、死んだ母を合理的であったという。
しかし、私は、「合理的」という言葉の意味がわからない。「無駄を省く」という意味なら、私は「合理的」であることを善しとはしない。そうなら、「効率」という言葉がある。こちらは銀行家が好む言葉である。
「合理的」という言葉が、社会的慣習や社会的合意より自分の判断を重んじ、批判を浴びても、論理的に言い返すことなら、わからないこともない。
私の祖父を、母の義父であるが、母はとても嫌っていた。ともに、「合理的」人間であるから、対立する。「合理的」だからといって、いいわけでもない。
ある日、祖父が台所の鍋の底をたわしで磨いた。母は烈火のごとく怒り、「鍋の底が黒いと熱をより強く吸収する。磨いたら、ガス代がよけいかかる」と言った。鍋の底が焦げ付いているのが気になって黙って自分から磨く祖父も祖父で変わっているが、母の論理もおかしい。
黒いからといって熱を吸収しない。黒いものは光を吸収する。これを正確にいうと、光を吸収するから、黒く見えるということだ。
祖父は、言い返さなかったのは、ふたりとも科学の知識がなかったこともあるが、祖父のほうが少し大人だったからだろうと思う。
祖父は、神仏霊を恐れぬ人だった。当時としては珍しいことだ。
祖父は尋常小学校を終えるか否かで、新潟の田舎から、歩いて東京に出て、自分の商店をもつまで、成功した人だ。その後、東京の事業に失敗して、知っている人のいない田舎町、金沢に流れてきたのである。
母が言うのは、祖父の実家は禅宗だが、流れてきたとき、町でもっとも多数派である真宗に乗りかえたのだという。宗教は何でも良い人で、ビジネスが最優先だった。
母が祖父をほめるのは、自殺者が出て、祟っていると恐れられている家を安く買い、質屋から神主の衣装を借り、みんなの前でデタラメのお祓いをし、買った家を人に貸したことである。
母は、祟りを恐れぬ人は、成功すると言う。
祖父は、自分で自分の墓をデザインした。たぶん、ヨーロッパの墓の写真を見て、気に入ったのだろう。日本の墓は低い台座の上に、縦の石がたっている。祖父がデザインした墓は、箱のような高い台座の上に、横の石が載せられ、横書きに自分の名前がはいっている。石も、通常の墓はすべすべに磨いた御影石を使うが、祖父の墓石は茶色の石(凝灰岩だと思うが)で、台座の箱は四角に切られたその石を組み合わせたものである。たぶん、値段の安さで石を選んだと思う。
祖父は器用であるが、うそつきである。子どもの私に、実家は庄屋で刀を賜っていたという。見せられた刀は軍刀である。しかも、足が悪いと言って、日露戦争にも第1次世界大戦にも行っていない。庄屋もウソだと思う。新潟の実家のために、畑や山を買い与えていた。見掛けにだまされる方が悪いという考えの人だった。
母と父はお見合い結婚である。父は美男子だが、おとなしい人である。母は、お見合いのとき、父が顔をあげられず、一度も自分を見なかったという。だから、ブスの自分でも結婚できたと思っている。
祖父は、田舎町に根つくために、父を使ったのと思う。母は古くからの名家だが、子だくさんで貧しかったから、それに、母に勤めの経験もあるから、良い、見合い結婚と判断したのだろう。
母と祖父はいろいろと対立していたが、互いに一目置いていたと思う。
それより、母は、自分より祖父の言うことを聞く父に、いらだっていたのかもしれない。
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