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猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ほかに手段があるのに人類共有の海洋に「処理水」を放出するな

2023-08-22 22:37:28 | 原発を考える

きょうから2日後の8月24日から福島第1原発からの処理水を海洋に放出すると日本政府が決定した。メディアはこれを科学的判断だという。

海洋は人類全体の共有財産である。そうなのに、ほかに手段があるのに、日本の経済的理由のために、トリチウム(三重水素)を含む放射能汚染水を海洋に捨ててよいものだろうか。

科学的判断というが、政策は選択であり、倫理にもとづいて政策を決めるべきである。

薄めても放出するトリチウムの総量はかわらない。放出は少なくとも今後30年放出する。放射能汚染水が今後も続くので、処理水の放出がいつ終わるのかは、実際にはわからない。

IAEAが日本政府の判断を支持したというが、IAEA(国際原子力機関)は原子力(核分裂連鎖反応)の利用を推進する国際機関である。もともとIAEAは海洋を原発から出るゴミ捨て場にしたい立場であるから、IAEAにお伺いをたてればOKサインがでるのがあたりまえである。

東電側が検討した汚染水の廃棄方法は、(1)海洋放出 (2)地層注入(地中への圧入) (3)大気への拡散 (4)地下埋設だという。これに加え、ライターの牧田寛は(5)大型の恒久タンクを提案している。大型恒久タンクを地下に埋設することも考えられる。

このなかで「海洋放出」と「大気の拡散」は人類共有財産を汚染することになる。私は、地層注入処分が最適だと考える。

このように色々な手段が可能なのに、政府と東電は安易な廃棄方法を取った。2日後の海洋放出では、トンネルを通して、福島第1原発の1000メートル沖の表層に放出するだけである。汚染水が、潮流にそって、どこに、流れていくのか調査した痕跡はない。

適切な廃棄方法を選ぶこととともに、放射能汚染水が発生しない対策を政府はしないといけない。メルトダウンを起こした原子炉建屋の地下室に地下水が流れ込まないようにし、デブリの冷却を循環水型にすべきである。じっさいには、建設費をけちって建屋のまわりを凍結することにしたため、いまなお、地下水が地下室に流れ込んでいる。

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日本政府は、デブリから発生する汚染水をどう抑え込むのか、どこに敷地内に貯め込んだ汚染水をどこに廃棄するかを、公に議論せず、2021年4月、全国漁業協同組合連合会(全漁連)が反対する中で処理水を海洋放出する方針を決定した。そして、政府は結論だけを先に決め、国民に結論を理解せよ、と言ってきた。

首相の岸田文雄は、きのう、8月21日、ふたたび全漁連と面会した。岸田は「漁業者が安心してなりわいを継続できるよう、たとえ数十年にわたろうとも全責任をもって対応することを約束する」と理解を求めたが、全漁連側は反対の姿勢を崩さなかった。そして、きょう、政府は、2日後に海洋放出すると決定した。

「数十年にわたろうとも」漁業者に補償するというが、具体的に誰にどれだけいつまで補償するのか、という話しが聞こえてこない。そんないい加減な約束を岸田が言っていいのか。岸田も、安倍晋三と同じく、怒った誰かに殺されるべき人間のようだ、

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過去の自分の大失策がいま分かった、「迷惑をかけてごめんなさい」の手紙

2023-08-22 00:53:07 | こころの病(やまい)

先日、妻の本棚から、榊原洋一の『アスペルガー症候群と学習障害』(講談社+α新書)、岡田尊司の『パーソナリティ障害がわかる本』(ちくま文庫)を見つけた後、つぎつぎと同種の本が見つかった。

斎藤環の『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書、初版1998年、第25刷2003年)、笠原嘉の『精神病』(岩波新書、初版1998年、第13刷2005年)、中井久夫の『最終講義 分裂病私見』(みすず書房、初版1998年、第14刷2005年)、斎藤環の『生き延びるためのラカン』(木星業書、初版第1刷2006年)。

私が会社を定年退職したのが2007年の暮れである。中井久夫の『最終講義』に息子の手紙がはさまっていた。「迷惑をかけてごめんなさい」で始まる一枚の走り書きである。息子が苦しんでいた問題の本質が書かれていた。

「自分が人間でないことに気づいても、なかなか、人間になろうと思えない。約20年生きていたことを全否定して、新しいことをするなんて、ものすごい決意がいる。」

「毎日、自分を否定しつづけるのは辛い。人間になれなくて本当にごめん。」

べつに「人間」になるのに自分を全否定する必要がない。苦しむ必要がない。薬を飲んだからといって「人間」になれるわけではない。誰がオカシナことを息子に吹き込んだのだろうか。和光高校か?河合塾大検コースか?妻か?

当時、息子は和光高校に通えず、出席日数が足りず、2年留年して中退した。河合塾大検コースを妻が見つけてきて、息子はいやいや千駄ヶ谷の校舎に通った。そこで、プロテスタント牧師と称する男の主催する課外活動(畑を耕す)に参加した。ある日、突然、息子からの「追われている」との電話を私が受け取った。その畑から逃げているというので、私は妻と迎えに行った。渋谷か新宿で落ち合ったと思う。

なぜ、この手紙を妻が私に見せなかったのか。たぶん、当時、私は、世間と闘っていると、妻や息子に恐れられていたのだろう。妻や息子と意志疎通がとれていなかった。私の大失策である。

啓蒙書など一人で読んでも役にたたない。出版はビジネスである。精神科医やカウンセラーも職業である。自分の頭で考えない限り、知識は役に立たない。人間関係はいつもユニークな出来事で、マニュアルで扱えない。