猫じじいのブログ

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佐伯啓思の『社会秩序の崩壊と凶弾』は安倍晋三へのラブコール

2022-08-27 23:22:19 | 政治時評

佐伯啓思のきょうの朝日新聞異論のススメ『社会秩序の崩壊と凶弾』に何か不快なものを感じる。結局のところ、佐伯は「保守の精神」の優位性を自慢しているだけのように思える。彼は自己独自の言葉の定義に基づき、怪しげな論理を積み重ねているにすぎない。

佐伯の問題提起は、安倍晋三の殺害は「政治的テロ」ではないということである。彼はテロを「政治的目的をもって暴力的な恐怖を与える」と定義する。しかし、「政治的目的」とはなんであるか、私にはわからない。

佐伯は、この「奇妙なテロ」の不気味さは、「政治的意図を持たない私的な復讐心が、開かれた公共空間へ銃弾を撃ち込んだ点にある。交わるはずのない、私的な復習と政治的な公共空間が重なりあったのだ」と言う。

人間は私的な思いで行動するのが普通であると私は思うので、べつに奇妙と思わない。犯人からすれば、街頭演説のために安倍が公共空間に現れた瞬間しか、殺害のチャンスがなかったことにすぎない。

安倍は、政敵をつぎつぎと撃破したことで、奢りからくる油断があったのではないか。最初の銃撃のあと、致命傷となるつぎの銃撃のあいだに2.7秒があったという。自分が恨みをかっているという意識があれば、咄嗟に物陰に隠れるはずである。

安倍が死んだおかげで、日本の政治に統一教会が入り込んでいることが明らかになった。安倍が死んで良かったのではないか。

佐伯は、問題提起の後、突然、「リベラルな価値」を定義する。「リベラルな価値」とは、「民主主義」「言論の自由」「法の支配」「公私の区別」「権利の尊重」など、相互に連結した普遍的価値を総称したものであると言う。確かにそれらは関連があるが、相互に異質のものでもあり、連結したとまでは言えないと私は思う。「法の支配」や「公私の区別」がどうして「リベラルな価値」となるのだろう。「権利の尊重」とは何を言うのだろうか。

佐伯のいう「リベラルな価値」とは、もしかしたら、アメリカやイギリスで普遍的な価値と思われていると佐伯が思いこんでいるものをいうのかもしれない。

さらに佐伯は「今日、日本だけではなく世界的にも、あきらかに『リベラルな秩序』が崩壊しつつある」と言う。そして、「リベラルな秩序」は「リベラルな価値の普遍性によって担保されるのではなく、……、人びとが、『目に見えない価値』を頼りにして営む日常の生によって実現されていく」と言う。

それでは、「リベラルな秩序」とは何かという疑問が湧くが、「リベラルな価値」が実現される社会秩序のことかと推定される。佐伯の「リベラルな価値」の定義自体が、外的形式の羅列なので、そう、私が推定しただけである。

もしかしたら、アメリカやイギリスの社会のことを漠然と言っているのかもしれない。そうすると、「リベラルな秩序」が崩壊しつつあるとはどういうことなのだろうか。佐伯は妄想の世界にいるのではないか。

そして、佐伯は「『目に見えない価値』を醸成し維持するものは、人々の信頼関係、家族や地域のつながり、学校や医療、多様な組織、世代間の交流、身近なものへの配慮、死者への思い、ある種の権威に対する敬意、正義や公正の感覚、共有される道徳意識などであろう」と結論する。

佐伯はレベルの違う概念をまたもやズラズラと並べる。「ある種の権威に対する敬意」とは何を言いたいのだろうか。

佐伯は「『目に見えない価値』を重視するのは『保守の精神』なのである。それがなければ、リベラルな価値など単に絵にかいた餅に過ぎなくなるのであろう』と言う。

佐伯は論理が逆立ちしている。人間は幸せになりたいのである。そのために、どうしたら良いのだろうかということで、制度的なもの、政治的なもの、思想的なもの(価値観)が出てくるのだ。

殺害犯にとっては、自分が不幸であるのは統一教会の存在であり、それを日本に持ち込んだ岸信介の孫が統一教会の広告塔になっていれば、安倍を殺したくなるのは当然のことではないか。

つづいて、佐伯は安倍晋三を弁護している。

「この混沌たる世界にあって、安倍氏は、可能な限り日本の国力の向上を目指した。」「安倍氏とりわけ政治力や経済力に関して日本の国力を強化しようとしたし、着実に一定の成果をあげた。」「安倍氏は、もともと日本社会の土台となる慣習や道徳価値の再生を強く意識していた。だが、グローバル世界への積極的適応がむしろ逆にその崩壊に手を貸すことにもなった。」

なんだ、佐伯は、殺害された安倍晋三へのラブコールのために、この逆立ちした論理をのべているわけだ。

私的な恨みで安倍を殺害することは何も不思議なことではない。今の世の中で勝ち誇っているものは、豪華な私生活を見せびらかさないよう、もう少し慎重であったほうが良い。