ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(岩波書店)の第2部は、「虚脱ー疲労と絶望」「敗北の文化」「言葉の架け橋」の3章からなる。「虚脱ー疲労と絶望」は町に食べるものがないというという戦後の流通経済の混乱の話であり、「言葉の架け橋」は混乱期のベストセラーの話である。「敗北の文化」は意外にもセックスの話である。
読んで思ったのは、占領軍総司令部(GHQ)は、一般の日本人がどう思いどう行動するかには関心がなく、実際の統治は日本の旧来の支配層にまかし、日本の支配層をアメリカ政府に忠実なる下僕(しもべ)にすることに専念したように私には思える。
第3部によれば、日本に民主主義を押しつけたマッカーサー最高司令官は、「総司令部の外にはほとんど姿を現さず、(日本の)一般庶民と接することはなかった。」「マッカーサーと2回以上話をした日本人はたった16名しかいなかった。」「マッカーサーの話を直接聞くことが許されたのは、政府高官や彼に畏敬の念を抱く名士だけであったし、マッカーサー自身も帝王のような態度で命令をくだし、いっさいの批判を許さなかった」。
太宰治の『冬の花火』と言う物語で占領軍の検閲によって削除されたのは「日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、一人残らず捕虜なのに」という箇所である。日本政府のうえに占領軍総司令部があることは、誰の目にも明らかなのに、当時、口に出していけなかったのだ。
「敗北の文化」は慰安婦の話から始まる。アメリカ軍兵士のあいだに性病が蔓延するのを防ぐために、占領軍総司令部は、日本政府にいわゆる「慰安所」を作ることを命じた。ところが、「プロの売春婦」が慰安婦になりたがらなかった。日本政府は、「女性事務員、年齢19歳以上25歳まで。宿舎、衣服、食料支給」という看板をたて、素人の女性を募集した。
そうして集めた女性たちが、いままで、ほとんど性交を経験したことのない女性たちが「1日に相手にした米兵の数は、15人から60人であった。元タイピストで19歳の女性は、仕事をはじめるとすぐに自殺した。精神状態がおかしくなったり、逃亡した女性もいた」。
すざましい話である。
プロの売春婦は、日本軍が戦地で創った慰安所で、占領された国からの慰安婦がどのような扱いを受けるか、見聞きしていたから、アメリカ軍兵士の慰安婦になることを断ったのであろう。通常の売春婦であれば、一晩に2、3人を相手にすれば十分であるから、慰安婦は割に合わない。
同じ時期、セックスを扱った雑誌がいっぱい出版される。とても安っぽい紙に印刷されており、「カストリ雑誌」と呼ばれたという。この名前は、安い粗悪な酒「カストリ焼酎」からきている。「カストリ焼酎」は3合も飲めば必ず意識をうしなうことと、「カストリ雑誌」は3号以上続けて発行されることがないことをかけた言葉遊びからくる。
ジョン・ダワーは、なぜ「カストリ雑誌」が3号以上も続けて出せないのか、説明していないが、警察の取り締まりが厳しかったのだろうと私は思う。この厳しい取り締まりは、日本政府に指令よるものか、占領軍総司令部からくるものか、興味あるが、ジョン・ダワーは言及しない。私は、総司令部は日本語を読めないし、日本の庶民に関心はないし、日本政府が単に戦前の道徳規範を維持するために、取り締まったのだと思う。
いっぽう、性器や性交位を扱ったヴァン・デ・ベルデの『完全なる結婚』の完訳本は発禁処分を受けなかった。それどころか非常に売れたので、この手の本が日本の出版物の1つのジャンルとなった。
昔、私は、この本のことを話しには聞いたことがあったが、見たことも読んだこともないので、図書館に予約をしておいた。
思うに、『完全なる結婚』は、結婚した夫婦の行為ということで、大目に見られたのであろう。当時の日本政府には、結婚していない男女の性行為を禁じたいという思いがあったのだろう。が、慰安や売春が合法の世界で、文字表現で猥雑な気持ちを高めるもの(それは文学というのだが)を禁じるのは、日本政府も頭がオカシイと、私は思う。たとえ、慰安や売春がない社会でも、性行為の文学は認められるべきである。