猫じじいのブログ

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マルキスト山川均と「プロレタリア独裁」

2019-10-05 00:30:13 | 民主主義、共産主義、社会主義

日本人はいつから、私たちのように、思想らしきものをもったのか、そう思い、米原謙の『山川均 マルキシズム臭くないマルキストに』(ミネルヴァ日本評伝選)を手にした。

1880年に生まれ1957年に死んだ山川均は、たしかに、自分の思想をもっている。彼の最終学歴は、同志社を中学4年で退学しただけなのに、留学の経験もないのに、地方で薬屋の店主をやりながら、洋書を読み、1922年の第1次共産党結党のときには、まわりから、マルクス主義の第1人者とみなされるようになっていた。

思想を持つことは学歴とは関係がない。しかし、思想をもつのに、当時は洋書読むことが必要だったのだ。

さて、米倉謙によれば、山川の抱えた問題は、「選挙への参加」と「プロレタリア独裁」への是非である。山川は、はじめ、選挙への不参加を主張し、プロレタリア独裁を容認した。彼は、のちに、この政治的立場を変える。

ここからは、私の憶測がたぶんにはいる。

大日本帝国憲法(明治憲法)は、その第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とし、第4条で「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とする。国の主権は天皇にある。

山川は満20歳で、憲法第3条の不敬罪で逮捕され、3年近く牢獄に閉じ込められる。

では明治憲法を国民主権に改正できるのか。

憲法73条に「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 〇2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」
とある。

天皇自身の命令が、憲法改正の発議に必要なのである。したがって、国民主権に改正することは事実上無理である。戦後の日本国憲法で、国民主権になったのは、まさに「革命」で、大日本帝国が自滅(日米戦争に敗戦)したおかげである。

したがって、共産党が選挙に参加すべきか否かは簡単には決められない問題である。

山川は、のちに無産政党を作って選挙に参加した。憲法改正の可能性よりも、彼は党を非合法組織化にすることで、党が非民主的になることを恐れたのだ、と私は思う。

これは「プロレタリア独裁」の否定につながる。

米倉によれば、ウラジーミル・レーニンは、つぎの2つの理由で「プロレタリア独裁」を主張した。

「1つは資本主義を克服するには搾取者たちの抵抗を容赦なく抑圧する必要があること。第2は小ブルジョアと結びついた旧秩序の退廃的な要素を抑えるためには、時間と鉄腕(iron hand)が必要である。」

レーニンは、急激な国有化政策による経済秩序の混乱に慌てて、ご都合的に「プロレタリア独裁」を主張したのだと思う。「小ブルジョア」とは、生産流通過程を支配した農民と小商工業者のことで、「放縦や無秩序」とは、闇屋・投機・収賄などの横行である。
レーニンの言う「鉄腕」とは、暴力をもって、自分に従わすことである。

じっさいに、この「プロレタリア独裁」が「科学」の名前で独り歩きをし、ヨシフ・スタリーンの独裁を生むのである。

山川はレーニンの主張を1920年の論文で容認するが、その末尾に近い部分で、つぎのように危惧を率直に述べる。

「レーニンのいわゆる『プロレタリアの独裁政治』は、誤った思想であるかも知れぬ。けれども、もしこれをもって誤った思想であるとしたならば、この誤りたる前提の上に、露国の革命を築き挙げて居るレーニンの才幹に至っては、真に驚異に値するものでなければならぬ」

すなわち、レーニンが「驚異」の才覚があるから、こんな危なっかしいことで、共産主義革命が実施できると山川が言っている。

同時代のドイツのマルキストのカール・カウツキーは、もっと はっきりと、レーニンの「プロレタリア独裁」を非難している。米倉は、1918年のカウツキーの『プロレタリアートの独裁』の論文を要約している。それによれば、10項の批判を、レーニンにぶつけている。私はそのすべてを支持するが、とくに2番目と3番目の批判が重要だと思う。

2番目の批判
「(革命)の目的はあらゆる種類の搾取と抑圧を廃止することであり、民主主義は社会主義を実現するための手段ではない。つまり民主主義なしの社会主義は無意味だ。」

3番目の批判
「プロレタリアの階級闘争は大衆運動であり、民主主義を前提とする。つまり大衆は秘密裏には組織できないこと、秘密組織個人あるいはリーダーたちの集団による独裁を生み出し、大衆の自治や独立を促進できない」

ボルシェヴィキ自身が民主的組織でなく、独裁的だったことが、経済混乱の安易な収拾策「プロレタリア独裁」などという、コミュニズム(共同体主義)に反する方向にロシアの歴史を転がしたと言える。レーニンは軽はずみな男と言える。レーニンは、カウツキーの批判にたいし、『プロレタリア革命と背教者カウツキー』をもって答えている。

米倉は、山川がはっきりと「プロレタリア独裁」を否定することで、自分の思想を確立したという。コミュニズムは支配/被支配のない自由と平等の世界を作ることである。

言葉というものを信用しない私は、「言葉」による理屈で正しいか、誤っているかを決めるのはバカげていると思う。


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