猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

道徳教育で「善悪」を教えることは怖いことだ

2019-06-10 12:01:17 | 教育を考える


2年前に、放送大学で、発達心理学を道徳教育の効率化に利用しようと言っていた。これは怖いことだと私は思う。

発達心理学によれば、多くの子どもたちが言葉の奴隷になりやすい。考えるより、言われたとおりに、行動する子どもの特性を利用することが、怖いのである。

何が「善」で、何が「悪」かは、自明ではない。それなのに、学校の道徳教育は「善悪」を教えようとする。

「善悪」を教えるより、人の言うことを疑い、自分で考え、自分の気持ちに素直になるべきか、それとも人の意見を取り込むか、判断できるように、育てた方が良い。教育は子どもの自立を助けるということである。

権力を志向する者は自分が正しいと思っており、自分は誰かに命令されるのは嫌いなくせに、人に命令するのが好きだ。帝王学とは自分は何をやっても良い、暴君になっても良いという秘義を授けることである。

「善悪」が自明でないということは、権力者以外にとって、道徳教育で、言葉の奴隷になるだけでなく、命令大好きの権力者の奴隷になることだ。権力者は直接命令するだけでなく、忖度する側近者や部下にそれを代行させる。

小学校の道徳教科書に、いまだに、監督の指示に従わず、バンドしなかった選手を責める話が載っている。上からの指示に従わないことを「悪」とする考えが、子どものときから叩き込まれているから、いまだに、安倍晋三の逆らう者を「非国民」という、トンデモナイ人たちがいる。