猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

価値観転倒の転倒、不登校やひきこもりで何が悪い

2019-06-18 22:01:51 | こころ

6月14日の朝日新聞『耕論』で、藤田孝則が
「川崎の事件も、元農林水産事件も、日本社会に根強い「1つだけの価値観」に苦しんだ末の犯行であるように思えてなりません。「男は働いて稼ぐもの」「家庭問題は自分で解決する」という価値観は、いまだに社会規範のように捉えられています」
と言っていた。

たしかに、ニーチェの言う価値観の転倒が必要である。
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国の「ひきこもり」の定義は、「仕事や学校などの社会参加を避けて家にいる状態が半年以上続くこと」であるようだ。

面白いことに、「仕事」も「教育を受けさせること」も、日本国憲法で「義務」とされる。国は、何か偏見をもって「ひきこもり」を見ているのではないか。

「避けて家にいる」という表現は、「自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」人や「近所のコンビニなどには出かける」人を、「ひきこもり」に含めたいからだ。すなわち、「仕事」に行け、「学校」に行け、と強要したい意図が、見え見えである。

とすれば、「ひきこもり」という生き方は、人にとやかく言われる筋合いはない。本人がそれで苦しんでいるときのみ、なんとかしてあげたい、と思うのが筋である。

本人が苦しくなるのは、(1)周りから非難される、(2)孤独になる、(3)生活費にことかく、が主な要因である。

周りからの非難には、逆に周りを非難すればよい。ネットに書くと炎上するかもしれないから、話の通じるところに集まって、本音を吐けばよい。そうすると孤独も解決する。
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私のNPOにくる子に、不登校の子がいる。

中1のときは不登校ではなかった。ブラスバンドに入部したが、勉強は全くダメでつらそうにしていた。中3になった彼に再び会ったら、すごく元気である。そして、悲しんでいる他の子に寄り添うことができる。

ところが、NPOの同僚に聞くと、彼は、不登校になったとのことである。家族は、不登校を受け入れている。本人は、「トラック運転手になって、家の農業をひきつぐのだ」と言っている。

だから、学校に行かなくとも、居場所があれば、何も問題がない。
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人にバカにされたくない、人に負けたくない、と思っている子はなかなか安定して元気にならない。価値観の転倒が行えていないからだ。気持ちが上がり下がりしてしまう。抗うつ薬など飲んでいると、気分の波が倍増する。

ニーチェが「家畜の群れ(畜群)」とバカにするが、居場所で「群れる」ことも、だいじなことだ。そして、「社会参加」ではなく、「社会活動」をとおして、「生活費」の不安をも解消していく。

「ネット右翼」は、自分より弱い者を攻撃することで、群れる。そうではなく、自分より弱い者に寄り添うことで、「喜びを与える喜び」を得ることで、あえて、「畜群」になるのだ。

ニーチェは価値観の転倒と言ったが、「価値観の転倒」の転倒を行うと、生きていくのが楽になる。