新約聖書『ヨハネの黙示録』8章10-11節に次のようにある。
「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」(新共同訳)
フョードル・ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章に、イエス再臨の舞台設定として、イワンにこの節を引用させている。
このとき、イワンに「大きな星」を「教会」と解釈させている。
「星が空から落ち」という句は、『マルコ福音書』にも『マタイ福音書』にもあるが、この場合、単に「大災害」「天変地異」を意味しているだけである。
似た句に、旧約聖書の『イザヤ書』14章12節の
「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ」(新共同訳)
がある。
この場合は、「明けの明星」が、明らかに、バビロンの王をなぞらえている。
『イザヤ書』は、ユダ王国を滅ぼしたバビロンへの怒りを書き綴った書だ。
『ヨハネ黙示録』が、バビロンであるかの装いながら、実はローマに呪いをかけていることから、「大きな星」はローマの王、皇帝をさすと考えるが自然である。
ドストエフスキーが、『ヨハネ黙示録』を引用して、
「『松明に似た、大きな星が』つまり、教会のことだが、『水源の上に落ちて、水は苦くなった』ってわけだ」
とイワンに言わしたのは、天国の扉を管理する「教会」に、大きな怒りがあったからではないか。
イワンの口を借りて、「異端」への同情を示していたのではないだろうか。