日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 お蔭様で、私もようやく仕事納めを迎えることができました。土曜日ですし大晦日(実感わきませんw)、それに私の方が疲労困憊、といっても副業を終えるとすぐ寝つけたりまったりすることができず、毎回クールダウンする時間が必要なので、余熱を散じる意味で雑談に逃げます。

 とりあえず軽い時事ネタをいくつか。

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 まずは先日死去した汪道涵・海峡両岸関係協会会長の告別式が12月30日、上海で執り行われたとのニュース。海峡両岸関係協会というのはその名が示す通り、中共政権における対台湾窓口機関です。で、これに江沢民・前総書記が出席したのですが、ひどく衰えた様子の写真が「新華網」で使われているのは果たして偶然なのかどうか。

 http://news.xinhuanet.com/tai_gang_ao/2005-12/30/content_3990764.htm

 香港紙などで使われている別アングルからの画像だと衰えが目立たないので、わざわざ写真映りの悪い画像が使われたことにちょっと下衆の勘繰りをしたくなります(笑)。ちなみに「新華網」のニュースサイト部分の「要聞」ページでは、12月30日夜時点でこの記事の上に血色のいい元気そうな胡錦涛の写真を載せた記事が並んでいます。勘繰りたくもなるじゃありませんか。

 http://news.xinhuanet.com/politics/2005-12/30/content_3991366.htm

 ちなみに汪道涵の告別式には曽慶紅・国家副主席(党中央政治局常務委員)もわざわざ北京から出向いてきて姿を見せました。故人との関係が深いということもありますが、曽慶紅といえば胡錦涛政権における香港・マカオ問題担当者。このことから、台湾問題に関しても今後は曽慶紅が担当者になるのではないかという憶測が流れています。いやこれは親中紙『香港文匯報』(2005/12/31)がそう言っているので、ただの勘繰りではないかも知れません。

 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0512310004&cat=002CH

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 ところで、前掲の胡錦涛が出ている記事は「党建設における理論研究活動を強化しよう」という集まりのものです。このあたり最近の胡錦涛はちょっと挙動不審でして、中国社会科学院にマルクス主義研究院を開設させたりもしています(『解放軍報』2005/12/27)。

 http://www.chinamil.com.cn/site1/xwpdxw/2005-12/27/content_370951.htm

 そこで思い出すのがこれです。

 ●毛沢東思想で現代中国を斬る=懲役3年(2004/12/27)

 私有財産の保有を認め、資本家が党員になれる現実は、中共の掲げる「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想(以下略)」と相容れるものではありません。その矛盾を端的に示したのが「懲役3年」なのですが、恐らく胡錦涛はこの矛盾を解消する理屈をひねり出して、全党を引っ張っていく上での新たな指導思想を確立させようと模索しているところなのでしょう。

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 それから「新華網」の地方版「浙江チャンネル」に目立たない形で出た記事、「通知:『4.10』集団的事件の責任者を厳粛に処罰」は地味ながら注目すべきニュースです。

 「4.10」集団的事件というのは今年4月10日、浙江省東陽市・画水鎮で発生した農民暴動というべき官民衝突で、農民たちがキレた原因は工業廃水による河川の水質汚染(=土壌汚染)などといった環境破壊に当局も工場側もマトモに取り合わなかったことによります。

 土地収用をめぐるトラブルではなく公害に起因したものということで、当ブログでは「21世紀型農民暴動」などと呼びならわしていましたが、要するにその「責任者」に処罰が下された、という話です。処罰されたのは当時の東陽市トップをはじめ、現場である画水鎮のトップ、また東陽市の関連部門(環境保護局など)も対象になっています。当時の東陽市党委書記(同市のトップ)と東陽市長は現職を召し上げられています。更迭です。

 http://www.zj.xinhuanet.com/newscenter/2005-12/31/content_5943610.htm

 農民の側にも衝突の過程で逮捕者などが出ていたかも知れませんが、この種の官民衝突で「官」である東陽市当局に厳しい処分が下ったというのは特筆すべき出来事です。処分が行われるまでに8カ月を要したことは遺憾ながら、浙江省当局が各部門に対して、

「社会の安定と調和を維持することに努め、この事件を教訓として自らをよく戒め、類似した事件の再発を防ぐよう強調した」

 としている点には留意すべきでしょう。浙江省ではその後、煤山鎮(2005/06/26)、新昌県(2005/07/17)でも環境汚染を発端とした農民暴動が起きていますから、今後も「官」の責任者の処罰が行われるかも知れません。

 ●21世紀型農民暴動。(2005/07/01)
 ●またですよ21世紀型農民暴動。(2005/07/20)

 ともあれ画水鎮の一件はこうして農民側の勝利ともいえる珍しい展開になったのですが、当局がそういう展開にせざるを得ないほど現場の空気は緊張している、ということなのかも知れません。「現場」とは画水鎮だけでなく、農村の最前線といった意味です。

 あるいは、浙江省のトップである習近平・省党委書記は「太子党」(二代目)グループの一員ですから(父親が習仲勲)、その履歴に傷がついて出世が遅れるのを懸念しての措置という線もあります。

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 そして、前回の『新京報』『南方都市報』の両紙及び『百姓』誌に対する権力の介入、そして『新京報』の記者・編集者が決起してストライキに入った、というニュース。……なのですが、未だに確定情報らしきものは出ていません。もちろん中国当局が何らかの発表を行う可能性は考えられません。

 そういう中でオフィシャル的な存在となると、香港の親中紙でしょう。『香港文匯報』(2005/12/31)がストライキ(サボタージュ)が行われたことに言及しているのでこの点は事実なのでしょう。

 http://www.wenweipo.com/news.phtml?news_id=CH0512310014&cat=002CH

 ただ、それが今も続いているのかどうかは不明、というより「続行中の模様」と「終息した」という両極端の情報が出ているので確認できません。ストライキの発端となった人事(編集長らの解任)が『新京報』従業員の強い反発を受けてどうなったかについても諸説あるため、これも結論が出せない状態です。香港紙『太陽報』(2005/12/31)は「副編集長2名の解任を撤回することでストライキが終息した」としています。

 http://the-sun.orisun.com/channels/news/20051231/20051231020607_0000.html

 ところが前掲の『香港文匯報』によると、編集長及び副編集長2名の解任はすでに決定事項で、親会社である『光明日報』から4人が出向して『新京報』の要職に就く、となっているのです。ストライキについては「一部の記者と編集者によるもの」としていますが、この抗議行動にピリオドが打たれたとは書いてありません。私は唸るばかりです(笑)。

 ちなみに、やはり香港紙の『成報』(2005/12/31)によると、『新京報』の件に対してはネット世論も熱烈な声援を送ったようですが、例によって削除職人が登場しサクサクと仕事をしていった模様です。

 http://www.singpao.com/20051231/international/797919.html

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 大晦日ですからこの一年を振り返ってみますと、かなりタガが弛んできたなあ、これならもうあとひと押しかも。……といった感想が湧きます。

 以前コメント欄にも書いたのですが、中共政権はその一党独裁で広大な中国全土を統治するために、統治システムに負荷をかけてきました。余計なコストといってもいいのですが、例えば国有企業や学校や役所には必ず党委員会があります。その組織を養うだけで制度としてはコスト高だと思うのですが、そういう負荷やコストをかけて求心力を維持し続けないと、きっと中国はバラけてしまうのでしょう。あるいはバラけた姿こそ本然、なのかも知れません。

 皮肉なことに、中共政権の延命のためにトウ小平が導入した改革開放政策が統治システムにいよいよ負荷をかけることになりました。「改革・開放」は分権化と競争原理の導入を骨子としているのですから、例えば分権化が進むことで地方政府たる「諸侯」たちの裁量が拡大し、中央の求心力は低下します。「諸侯」については本来別の手段でその暴走を抑え込むつもりでいたのが、それがまだ整っていない。一方で競争原理を持ち込むのですから様々な格差が発生するのは自然な成り行きです。『新京報』の事件にしても、一党独裁制と競争原理が撞着を起こしている、という見方をしてもいいでしょう。

 その矛盾が一度沸点に達したのが1989年の民主化運動と天安門事件です。軍隊を投入した流血の弾圧によって一応リセットされはしましたが、求心力の低下は覆うべくもありません。そこで江沢民が反日風味満載の愛国主義教育をスタートさせた。そのうちに歪んだ形ながら経済成長が始まり、国民の士気もある程度回復しました。

 ……ところが最近になって、その魔法の効果が薄れてきてしまっています。経済成長の歪みの部分が噴出して都市暴動や農民暴動が頻発し、一方では「反日」が逆効果になりつつあります。社会状況が悪化し、「民」による「官」(中共政権)への不満のボルテージが高まっていく中で、「反日」がそれを後押ししている部分が少なからずあるように思います。

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 「反日」で民衆を煽ることができなくなった、下手に煽ると自分の方に鉾先が向けられるかも知れなくなった、ということです。2003年には新幹線導入反対や化学兵器問題に関するネット署名があり、珠海での日本人による集団買春事件にネット世論が一大反発を起こし、さらに西安の寸劇事件も起きています。いずれも「民間組織」主導によるもので、中共当局が表立って宣伝キャンペーンを打った訳ではありません。

 翌2004年にはやはり「民間」主導によるサッカーアジアカップでの対日ブーイングやプチ騒乱がありました。これまた当局主導ではありません(政争の存在が背後にはあったかも知れませんが)。ただこのあたりから、中共政権は「民間」による反日活動を警戒するようになります。好き勝手にやらせていたら統治システムへの負荷がいよいよ高まるのではないか、という懸念によるものです。

 折から発足した胡錦涛政権はそれ故に「民間」の活動を抑え込み、現実的な対日路線を志向しましたが、意外に強腰な日本の対応にぶつかってそれが頓挫。「反日」が踏み絵になってしまい(例えば靖国参拝停止を必ず求める、など)、対日外交における選択肢が少なくなってしまったのは、江沢民が残した負の遺産といえるでしょう。

 ●分水嶺・上(2005/10/06)
 ●分水嶺・下(2005/10/07)

 その一方、中国国内で各種の官民衝突が相次いで発生したのは記憶に新しいところです。

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 そうしたことの一切を身を以て思い知らされたのが2005年、ということになるでしょう。まずは春先の反日騒動ですが、政争の反映であるにしても、事態が予想以上に拡大し深刻化して、「反日」を掲げて政争を仕掛けた側まで青くなってしまった。それ以降はもう「民間」を使って何かさせるという江沢民時代のやり方が怖くてできなくなり、小泉首相が10月に靖国神社を参拝しても十数人による官製の「なんちゃってデモ」が1度行われただけで、民間有志の活動は徹底的に抑え込まれました。

 国内では官民衝突が止まりません。上述したように、とうとう公害問題に起因する農民暴動まで出てくるようになりました。それらを抑え込むごとに当初の胡錦涛政権に対してあった「庶民派」というイメージが薄らいでいったことでしょう。「諸侯」という単語が記事に頻繁に登場するようになったのも印象的です。中央の統制力低下を示すものに他なりません。

 打つ手がないのです。日中関係は冷却化したままのため、表向きは「反日」の看板を下ろすことができません。だからメディアには反日報道を許してはいるものの、民間有志の先走りは絶対に抑え込まなければならない。「調和社会の実現」という旗印を掲げてみせても、現実に発生した暴動は鎮圧しなければならない。広東省では農民による民主化運動が抑え込まれ、農民暴動に武警が突撃銃で掃射する事態まで起きました。

 胡錦涛政権は自然に逆らって無理を重ねている、といってもいいでしょう。でもそれをやらなければ、中共政権の一党独裁は瓦解しかねません。だから無理をする。民間の反日活動を許さないのも、暴動を武力鎮圧するのも、農民が賢くなる(民主化)のを叩き潰すのも、対日外交で譲らぬ姿勢を堅持しているのも、全てが無理です。そもそも集団指導体制による一党独裁、というスタイル自体、効率最悪の無理ではあります。それでも江沢民時代は何とかごまかすことができたのです。

 いまはそれができなくなりました。そういう大潮流が背景にありますから、トップが胡錦涛でなくても同じ結果になったことでしょう。様々な「無理」のひとつひとつが、統治システムに対する負荷を増大させていくことになります。そしてその統治システム自体がそろそろ負荷に耐えられなくなってきたのではないか、機能不全を起こし始めたのではないか、という気配を感じることができた。……それが2005年だと私は思います。

 具体的なイメージを結ぶとすれば、2つ挙げることができます。第一に、4月には限界ギリギリながらも一応展開できた「民間」による反日活動が、半年後には禁忌になっていたこと。もうひとつは汕尾市紅海湾の官民衝突です。土地強制収用に抗議する広東省の農民たちを、武装警察が突撃銃の実弾射撃で薙ぎ倒してしまった。しかもそれが全世界に報道されたというのに、中央政府は「諸侯」に対し厳しい咎めだてを行うことすらできなかった。……この2つの出来事で中共政権の2005年を象徴できると私は考えています。

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 最後になりましたが、この一年間、駄文にお付き合い下さった皆さんに心から御礼申し上げます。

 当ブログは春の反日騒動でアクセス数が激増しました。「反日バブルだ」などと配偶者と言い交わしていたのですが、その後も変わることなく皆さんの御愛顧を頂けたということに、私自身がものすごく驚いております。来る2006年の中国情勢はいよいよ面白くなりそうですが、堅実に更新を重ねつつ、皆さんと歴史的な事態の推移を眺めていけたら幸いです。

 あ、もちろん当ブログは「チナヲチ」(中国観察の真似事)であって「反中共」が主題ではありませんから、中共が潰れようがバラけようが消滅しようが、私自身が飽きない限りは継続していきます。

 それでは、皆さんにとっての2006年が、いい年でありますように。



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