なぜ精神障害者の寿命は、健常者より20年も短いのか? メンタルヘルス業界が抱える不都合な真実
精神科医のVikram Patel(ヴィクラム・パテル)氏は、世界で精神疾患患者が増え続けるなかで、メンタルヘルス業界の深刻な人手不足を指摘します。従来までの医療モデルに捉われず、国ごとに適したケアモデルを考える「タスク・シフティング」の重要性を訴え、その事例と成功の鍵を紹介します。(TEDGlobal2012より)
精神疾患による寿命の差
ヴィクラム・パテル氏:皆さん、想像してください。ラウルとラジブという2人の男性がいます。2人とも同じ地区に住んでいて、学歴も同じで似たような職業に就いています。その2人が近所の救急病院へきて、鋭い胸の痛みを訴えます。ラウルは心臓疾患の処置を受けますが、ラジブは帰されてしまいます。
ほぼ同様の病状の2人なのに、なぜ医療の対応に差がでたのでしょうか? それは、ラジブが精神疾患を患っているからです。受けられる医療の質の差は、精神疾患を患う人の寿命が精神障害者でない人よりも短い理由のひとつです。
設備の整った先進国でさえ、寿命の差は20年にも及ぶと言われています。そして開発途上国ではさらに大きな差があります。もちろん精神疾患が直接的に死につながることもあります。最も明白なのは自殺です。皆さんも驚かれると思いますが、私が驚いたのは若者の死因で最も多いのが自殺で、世界の最貧国を含めてどの国でも第1位だということです。
健康状態が寿命に及ぼす影響だけでなく、日々の生活の質にも関心を持っています。さて、健康状態が寿命と生活の質、その両方に及ぼす影響を分析するにはDALYという測定基準を使う必要があります。DALYとはDisability Adjusted Life Year(障害調整生命年)の略です。
これを見ると、世界的な視点から精神疾患について驚くべきことが見えてきます。例えば、様々な精神疾患は世界中で障害を引き起こす主な原因だということです。例えば、うつ病は下痢と肺炎と並んで子どもの障害を引き起こす要因の第3位となっています。
医療の需給ギャップ
精神疾患を総合すると、世界の疾病負担の約15パーセントに及びます。そして、精神障害は人々の生活に大きな打撃を与えます。疾病負担だけでなく絶対数で考えてみましょう。世界保健機関は地球の人口のおよそ 4~5億人が何らかの精神疾患で苦しんでいると推定しています。
この数字に驚かれた方もいるかもしれませんが、精神疾患というものは広範囲に及びます。幼少期の自閉症や知的障害、成人のうつ病やパニック障害、薬物乱用や精神病、そして高齢者の認知症も含まれます。この会場の方々も、身近にそのような精神疾患を患っている人を最低1人はご存知だと思います。頷かれている方もいますね。
しかし、この驚異的な数字よりも保健医療の観点から見てとても懸念されることは、このように苦しんでいる人々の大半が、人生を変えられる治療を受けられないという実体です。薬剤や心理学的介入、社会的介入など様々な介入をすることで大きな効果が得られるという確たる証拠があります。
しかし、ヨーロッパのように医療資源が整った諸国でさえ、苦しんでいる人々のおよそ50パーセントが治療を受けられていません。私が関わっている国々では、いわゆる「医療の需給ギャップ」はなんと90パーセントにも及びます。
ですから精神障害者に話を聞くと、彼らが生涯抱える心の苦しみや恥、差別などについて耳にすることになります。しかしなによりも悲痛なのは、最も基本的な人権の侵害が日々起こっているということでしょう。
メンタルヘルス分野における、深刻な人手不足

例えばこの写真の少女が体験しているような人権侵害は、日々起きているのです。残念なことに、 精神障害者をケアすべき精神病院でもこのようなことが起きているのです。
このような不正な実態を改善し、精神障害を患った人々の生活を変えることが私のミッションとなりました。私が特に注目しているのは、彼らの人生を変える知識や効果的な治療と、それを実際に活用するギャップを縮めることです。
私が直面した大きな課題は、メンタルヘルス専門家の深刻な人手不足でした。例えば、精神科医や心理学者などの専門家が、特に途上国では著しく不足していました。
私はインドで医学を学び、その後精神医学を専門として選択しました。母や家族は「優秀な息子が脳外科へでも進んでくれれば社会的にも見栄えが良いのに」と落胆したようです。しかし私は精神医学の勉強を続け、さらにイギリスの最先端の病院で研修を受けました。
私が共に働いたチームのメンタルヘルス専門家はとても有能で思いやりがあり、そして最も重要なことに、高度な訓練を受けた人たちでした。私は訓練を終えた直後にジンバブエへ行き、その後インドで働きましたが、そこで全く新しい現実と直面したのです。その現実とは、メンタルヘルスの専門家が殆ど存在しない社会でした。
例えば、ジンバブエには12人程度しか精神科医がいませんでした。その大半はハラレの街に住み、そこで働いていました。つまり残りの2人くらいで、地方に住む900万人のメンタルヘルスケースを担当しなければならないのです。
インドも同じような状況でした。わかりやすく説明すると、イギリスと同じ割合の精神科医がインドにいると計算すると、インドにはおよそ15万人の精神科医がいることになります。実際にはどうだと思いますか? 実際の数字は、およそ3000人で、15万人の2パーセント程度です。
土地に合わせたケアモデルを考える「タスク・シフティング」の事例
私は「自分が教わったようなヘルスケアのモデルを実践することはできない」とすぐに気づきました。専門分野の限られた高額な精神医療の専門家に頼ったメンタルヘルスケアは、インドやジンバブエのような国では提供できないのです。そこで私は元来のシステムとは違うケアモデルを考えなければなりませんでした。
その時、私はこれらの本に出会いました。これらの本の中で、世界の医療においての「タスク・シフティング」という発想に出会ったのです。
この発想はとても簡単なものです。もし専門家が不足している医療分野があれば、その地域の人材を訓練して医療介入を行うというものです。
本にはいくつものすばらしい例が紹介されていました。例えば、一般の人が訓練を受け、出産に立ち会い助産をしたり、初期の肺炎を効果的に診断し治療するといったものです。もし一般の人が訓練を受けて、複雑な医療処置を施すことが可能であるならば、メンタルヘルスの分野でも同じことができるかもしれないと思いました。
この10年間で喜ばしいことに、開発途上国でメンタルヘルス関係のタスク・シフティングを実現してきました。今日はその内の3つの事例をお話ししたいと思います。それらはすべて精神障害の中で最も多い、うつ病に関するものです。
ウガンダの地方で、ポール・ボルトン氏とその同僚は「村人がうつ病患者のために対人精神療法を行うことができる」と証明しました。ランダム化比較試験の結果、この介入を受けた約90パーセントの人々の症状が回復したのに比べて、比較対照の村での回復率は約40パーセントにとどまりました。
同様にパキスタンの地方で行われたランダム化比較試験では、アティフ・ラマン氏とその同僚たちが、パキスタンの医療システムで働く母体管理担当の女性保健師が、うつ病である母親に対して認知行動療法を行った結果、回復率が著しく改善することを証明しました。
約75パーセントの母親が回復を見せたのに比べ、比較対照の村の回復率は約45パーセントでした。
そして、私自身がインドのゴアで行った実験では、訓練を受けた地域の一般カウンセラーが、うつ病や不安神経症に対して心理社会的介入を行った結果、約70パーセントの回復率を見せました。それに対し、比較対照の保健所では50パーセントでした。
タスク・シフティング成功のための5つの鍵
このような実験の結果や多数のタスク・シフティングの結果を分析し、タスク・シフティングを成功させるためには、どのような要素が鍵となるのかを明確にし、教訓を学ぶ必要があります。そのために「SUNDAR」という単語を作りました。「SUNDAR」とは、ヒンズー語で、「魅力的」と言う意味です。
タスク・シフティングが効率的に行われるには、5つの重要な要因があると考えています。
1つ目は、メッセージを簡潔にし、医療分野がつくり出した難しい専門用語をなくすことです。
2つ目は、複雑なヘルスケアの介入手法を分割して、専門家でない人にも伝授できるようにすることです。
3つ目は、ヘルスケアを大きな施設だけでなく、患者さんの住んでいる地区でも提供することです。
4つ目は、その地域ごとに低コストな人材を活用してヘルスケアを提供することです。
そして最後に大切なのは、能力開発や指導ができる専門家を、必要な地域へ配置することです。
「すべての人々に健康を」
私にとってタスク・シフティングとは、世界的に重要な意味を持つ発想です。開発途上国の人手不足を補うために生まれた発想ですが、これは環境の整った国々でも重要であると思います。
なぜでしょうか? それは先進国においても医療費は急上昇し、大きな課題となっており、その大半を占めているのは人件費だからです。同じく重要なのは、医療分野が非常に専門化されてきたため、地域社会とはかけ離れた存在になってしまったということです。
私にとってタスク・シフティングが最も「SUNDAR(魅力的)」だといえる点は、医療が誰にでも利用でき手頃になることだけでなく、根本的に人々を力づけられるというところです。普通の人々が、もっと効果的に地域社会のヘルスケアを行うことが出来れば、自分の健康をも守ることができるのです。
私にとってタスク・シフティングとは、医療知識の民主化の極みであり、医療の力の極みでもあります。
30年以上前、世界の諸国がアルマ・アタで、この象徴的な宣言をしました。ご承知の通り、期日から12年過ぎた今日、この目標には遠く及びません。しかし、一般の人々を訓練すればあらゆる医療介入を効率的に行えるようになるのです。
十分な指導とサポートを提供しその知識を共有すれば、この目標に達成することが夢ではないかもしれません。「すべての人々に健康を」のスローガンを実行するには、すべての人々を巻き込む必要があります。メンタルヘルスの分野においては、特に精神障害の患者とその介護者の協力が必要です。
そのために、数年前に国際的精神保健運動がプラットフォームとして設立されました。私のような専門家と精神障害を患っている人々がネット上で肩を並べて一致団結し、精神障害患者が人生を変える治療を受け、尊厳を持って生きる権利があると主張するために設立されました。
最後にこの忙しい数日間、またその後静かなひと時があれば思い出してください。先ほど思い浮かべた精神障害で苦しんでいる人々のことを思い、気を配ってあげてください。ありがとうございました。