ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

愛知)小牧に夢のワイナリー 障害者働く店など併設

2015年04月09日 02時12分17秒 | 障害者の自立

 知的障害などがある人たちが栽培したブドウでワインを醸造、販売する「小牧ワイナリー」が7日、愛知県小牧市野口に誕生した。開設に助言をした寛仁親王妃信子さまら約140人が、お祝いに駆けつけた。

 開設したのは社会福祉法人AJU自立の家(名古屋市昭和区)。2003年から、岐阜県多治見市の多治見修道院のブドウ畑でワイン造りを手がけてきた。障害者が自立できるだけの収入を得るため、自前の醸造設備を持つワイナリーを新設した。近隣休耕地などを借りた畑3ヘクタールを10年後には10ヘクタールにして、年間20万本の生産を目指す。月額平均約6万円の工賃を15万円にするのが目標だ。

 ワイナリーの敷地2100平方メートルは小牧市から無償で借りた。鉄骨造り地下1階地上2階建て、延べ床面積は約1600平方メートル。世界の修道院ワインなどを扱う店とカフェも併設し、5月3日に開店する。接客や販売も経験し、障害者の仕事の選択肢を広げる狙いがあり、最大40人が利用できる。

 完成式では、AJU自立の家の山田昭義専務理事が「愛知に小牧ワイナリーありという仕掛けをつくるよう頑張る。夢を実現して、彼らが地域の中で生活できる野口地区にしていきたい」とあいさつした。

写真・図版

開設した小牧ワイナリー=愛知県小牧市

2015年4月8日   asahi.com

 


「大切なものは目に見えない」。視覚障害者のキャロライン・ケイシーから学ぶ「限界の向こう側」

2015年04月09日 01時52分28秒 | 障害者の自立

私たちは、無意識のうちに自分の限界を決めてしまっていないでしょうか?

活動家のキャロライン・ケイシーが、TED Talksで自らの視覚障害について打ち明け、「限界を作らずに自分を信じることで、何でも成し遂げられる」と語っています。

17歳まで障害に気が付かなかったこと、仕事での挫折、本当の自分探しの旅など、自身の人生を振り返りながら私たちに自分を信じることの大切さを教えてくれています。

彼女が言いたいことを3つにまとめると、

1. 信じることが大事
たとえ障害があっても、自分にはできるんだと信じたからこそ、本当になんでもできる。限界を超えたければ、とにかく信じ続けること。

2 .弱点や欠点を認めることで、前に進む
人は誰でも自分の欠点や弱点を認めるのは難しい。でもそれを認めて、一歩踏み出すことで、限界を超えられる。

3 .自由とは、自分に自信をもつこと
心からありのままの自分を信じられたとき、限界を超えた驚くべきことが成し遂げられる。できるないことより、できることに目を向けよう。そして、

ここからは視覚障害があるなんて信じられない、説得力あるスピーチを紹介します。

 強い信念があれば、 世界は変えられる

私の17歳のときの夢は、バイク乗りの女の子になることでした。カーレースやカウガールに憧れたし、ジャングルブックの物語にでてくる少年モーグリみたいになりたかった。みんなとても自由に見えたから。

そして17歳の誕生日に、私の憧れを知っていた両親は、運転レッスンを誕生日プレゼントにしてくれました。同じ日、いつものように視覚障害のある妹が眼科専門医に行くのに付き添いました。すると医師が、私が誕生日であることに気がつき、こう聞きました。「誕生日はどうやってお祝いするんだい?」だから私は興奮して「車の運転を教えてもらうの!」と言いました。すると、嫌な感じの沈黙がおこりました。

医師は私の母に「まだ彼女に話していないの?」と言いました。私は17歳の誕生日、初めて真実を知りました。私は生まれた時からずっと視覚障害者だったのです。

でも両親は私を特別支援学校ではなく普通学校に入学させました。さらに両親は私に見えるんだということを教えることにしたのです。両親は、信じる力をくれました。絶対に自分にはできるのだと信じさせてくれる力です。

だから、医師に言われた時もショックは受けましたが、すぐに立ち直りました。涙を流す母を見てこう自分に、「私は運転できる。できるに決まっている!」と、言い聞かせました。

それまでの11年間、きっと誰も私が見えないことに気づかなかったと思います。信じる心をもって私にしかできないやり方で人生を生き抜いてきたからです。

考古学者、レストランのマネージャー、マッサージ師、庭師も経験しました。そしてビジネススクールにもいきました。その後、グローバル企業でコンサルタントになりましたが、彼らも障害には全く気が付きませんでした。信念があれば驚くようなことが起きるのです。

インドへ、自分を探す旅にいく

コンサルタントとして2年半ほど働いた28歳の時のことです。突然視力がぐんと下がってしまいました。仕事でトップを目指し、日々突っ走っている、そんな時でした。

私は人事に足を運び、それまで絶対に言うことのないと思っていた言葉を口にしました。「すみません。目が見えないんです。助けが必要です。」みなさんもご存じの通り、助けを求めるというのは、本当に難しいことです。障害でなくてもそうですね。誰でも、自分の弱点や欠点を認めることは辛くて、とても怖いことです。でも、私は打ち明けました。

それから眼科医を紹介されました。この人が私の人生を変えるきっかけをくれました。

その眼科医は私の目を検査せず、セラピーのようなことを行いました。たくさん質問をしてきました。「どうしてそんなにがんばって本当の自分にならないように戦っているんだい?」「自分のやっていることが好きかい?」「小さい頃はなにになりたかったの?」と。仕事が好きかと聞かれた時は、喉が苦しくなり答えられませんでした。

帰りぎわに彼は私を呼び止めて言いました。「キャロライン、そろそろ戦うのをやめて、なにか別のことをする時なんじゃないかな?」と。

ズキンと胸が痛みました。そのまま家に帰りましたが、胸の痛みがどんどんひどくなったので走りに行こうと思いました。いつもよく行く障害物を把握しているコースです。なのに私は、泣きながら走っていたせいか、一度もぶつかったことのなかった岩に突っ込んで転んで倒れ込んでしまいました。私は怒りに満ち、もう感情はめちゃくちゃでした。

今までは、信念があったら私はいろいろなところに導びかれていきました。でもこの時の私は、信念を完璧に失ってしまっていたのです。

それから考え始めました。「何になりたい?何がしたい?小さい頃は、何になりたかったの?」時間をかけて、繰り返し自分に問いかけました。

すると、突然浮かんだのが、「ジャングルブックにでてくる少年モーグリは?」それが浮かんだとき、嬉しくなりました。周りの意見や男か女かなんて何も関係ない、ただとにかく駆け出してみようと思いました。

勢い良く岩から起き上がり、家に帰って私の大好きな本「私のゾウに乗る旅人」を読み直しました。

「これでモーグリになれる!ゾウの背中に乗ってインドを歩き回って、ゾウ使いになってみせる!」と思いました。どうやってゾウ使いになるのかなんて知らないし、ヒンドゥー語もしゃべれないし、インドに行ったことすらなかったけれど、気持ちだけは決まっていました。決断をする時と状況が正しければ、宇宙が導いてくれるのです。

岩で転んだあの日から6ヶ月後、カンチという名前のゾウと出会いました。それからインドで1000kmもの道のりを共にしました。

自分を信じた途端、すべてが自由になった

最も言いたいことは、私はそれまで何も達成しなかったわけじゃなくて、間違ったものを信じていたということです。自分自身を信じていませんでした。この中で一体どれだけの人が自分とは違う人のふりをしているのでしょうか?自分を信じることができれば、本当に驚くようなことが起こるのです。

私はカンチと1000kmの旅をしながら、6,000人の白内障患者が手術できるだけの寄付金を集めました。そしてカンチとの旅を終えたとき、私はコンサルタントの仕事を辞め、社会的起業家になり、アジア象の保護活動をする組織などを設立しました。

私は活動を通じて、障がいの見方を変えるような仕事がしたいと思いました。これが私が本当やりたかったことでした。それ以降もう一度も「できない」ことについて考えなくなり、可能性だけが見えるようになったのです。

車やバイクに乗ることが自由になることじゃなかった。「真に自分自身でいること」が自由になるということだったのです。それが見えるようになるためには、目は必要ありませんでした。必要なのは、ビジョンと信念です。心から信じていれば、変化を起こすことができます。

変化を起こしましょう。レッテルを貼ったり、制限をかけたりするのはやめて、自分の限界を超えていきましょう。私たちはみんな特別でかけがえのない人々なのです。どうもありがとうございました。

TABI LABO    2015/04/09


障害者権利条約の実施状況は 来年2月までに国連へ報告

2015年04月09日 01時44分17秒 | 障害者の自立

 障害者権利条約を批准してからの実施状況を国連へ報告するため、内閣府の障害者政策委員会(委員長=石川准・静岡県立大教授)でモニタリングの議論が始まった。条約を結んだ国は4年に1度報告書を提出するが、初回は2年以内にという規定がある。昨年1月に批准し2月に発効した日本は、2016年2月までに提出しなければならない。それを基に国連の審査を受けることになる。

  3月27日の会合では、外務省が政府報告の準備を説明。各省と協力して6~7月ごろ1次案をまとめ、8~9月に政策委員会の意見を聴取。さらに各省と調整し、パブリックコメントをへて英訳、完成させたいという。

  審査するのは国連の障害者権利委員会で、条約に反する実態や法制度に不備があれば勧告される。ただ報告書の審査を待っている国が多く、提出してから数年待ちと見られる。

  条約は、障害種別や性別、年齢、都市と地方の差などで比較できるデータを収集することや、障害者がモニタリングに参画することを求めている。報告書には「障害のある女性」「障害のある児童」「自立した生活および地域社会への包容」など各条文について、実施したことや達成できたことを盛り込む。

  例えば建物や交通機関、情報通信の利用しやすさに関しては国土交通省、総務省、厚生労働省、警察庁が担当というように、さまざまな省庁がかかわる。

  このため政策委員会は、「精神医療」「インクルーシブ教育」など監視する分野が多岐にわたるため密な議論が必要だとして、小委員会の設置を検討。知的・精神障害の当事者ヒアリングもする。

  なお、報告書は政府によるものの他に、NGOがまとめるパラレルレポートがあり、国連は障害者団体などが指摘する実態報告も踏まえて審査に当たる。

委員会の様子

委員会の様子

 2015年0407日   福祉新聞編集部


障害者向け地下鉄マップ完成 福岡市営全36駅

2015年04月09日 01時38分15秒 | 障害者の自立

NPO法人「バリアフリーネットワーク会議」(沖縄県沖縄市)は、福岡市営地下鉄の全36駅について、障害者らに役立つエレベーター(EV)やトイレなどの情報をまとめた冊子「えきペディア地下鉄バリアフリーマップ福岡」を作成した。駅や観光案内所などで7000部を無料配布している。

 障害者や高齢者らが外出する際の計画を立てやすくし、移動時の不便さを解消することが狙い。同会議が2014年6月から約半年かけて、駅構内のEVや車いす用トイレの設置場所などを調査。公共交通機関のバリアフリー案内情報の充実に取り組むNPO法人「まちの案内推進ネット」(大阪市)の協力や、同年度の日本郵便年賀寄付金の助成を受けて作った。

 片手で持ちやすいB6判でフルカラーの116ページ。市営地下鉄の空港、箱崎、七隈線の全駅を網羅し、駅構内を立体的に示した。EVの場所や多目的トイレの設備(車いす、オストメイト対応、ベビーベッド付きなど)のほか、他線との乗り換え案内、地上出口付近の写真や周辺の地図も添えた。

 市内の特別支援学校やボランティアセンターなどに8000部を寄贈。残り7000部を福岡中央、博多郵便局など26郵便局で配布するほか、市営地下鉄の天神、博多、姪浜駅などでも手に入る。同会議の親川修理事長は「ストレスがない移動に役立ててほしい」と語る。

 日本筋ジストロフィー協会の溝口伸之・県支部長は「障害がある人が外出した際に最も不安なのはトイレ。こうしたマップが欲しいと思っていたので、本当にありがたい」と話した。

2015年04月08日    読売新聞

エレベーターやトイレなどの場所が掲載されている「えきペディア地下鉄バリアフリーマップ福岡」

エレベーターやトイレなどの場所が掲載されている「えきペディア地下鉄バリアフリーマップ福岡」


発達障害があっても働ける環境づくりを

2015年04月09日 01時33分38秒 | 障害者の自立

 世田谷区の砧公園と環状8号線をはさんだ上用賀アートホールの2階に、「発達障害者就労支援センター/ゆに(UNI)」の新しい場がオープンしました。先立って行われた内覧会には、100人もが訪れました。世田谷区からの委託を受けて事業を担うのは、社会福祉法人トポスの会。足立区ですでに「ウィズユー」という発達障害者を対象とした通所施設を運営しています。

 その5日後の3月29日付朝日新聞の東京版に「発達障害の若者に仕事を 世田谷区、専門家連携し支援」という見出しで、世田谷区の取り組みを紹介するかなり大きな記事が載りました。

<男性は専門学校を卒業した2001年から引きこもりの状況だった。学習能力には問題はなかったが、初対面の人とのコミュニケーション能力が低く、突発的な出来事への対応が苦手だったことなどから、就職活動はうまくいかなかった。
 周囲が男性の発達障害に気づいたのは卒業から10年以上たった12年。正式に診断を受け、障害者手帳を得たのは昨年のことだ。
  発達障害が学校や社会で認識されていないことが原因とされる。過度な物事へのこだわり、対人交渉や状況判断能力の欠如など、障害の内容や程度は幅広い。「変な人だな、程度の認識で見過ごされている」(世田谷区障害者地域生活課)という>

 この男性は「せたがや若者サポートステーション」で発達障害の疑いを指摘され、その後、発達障害就労支援事業の「ゆに(UNI)」に通うようになり、短期アルバイトから始めて、いまではフルタイムの契約社員として郵便物の仕分けにあたっています。

 世田谷区では、09年に子どもの発達障害支援として、相談や療育を行う「げんき」を国立成育医療センターの中に開設したものの、成人期の発達障害に関しては具体的な支援の事例も乏しい状態でした。そこで、12年から新たな取り組みをはじめることになりました。その開始時に開いたシンポジウムには、当事者がパネリストとして登壇して、こう発言しています。

 「計算は苦手だけれど、陳列されている商品の説明はすぐに覚えることができるので 、その特性を理解してもらって商品の説明係をやっていて重宝されています。ただ、以前は『なんだ計算もできないのか』と言われて辛い思いをしてきました」
「仕事が長続きしないので悩んでいます。集中して物事をやるのは得意ですが、同時に話しかけられたりするとパニックになることもあり、予定外のことをやるように言われると行き詰まります」

 30代、あるいは40代になって、発達障害の特性に気づいた人たちの発言でした。

 池尻にある「世田谷ものづくり学校」内にある「せたがや若者サポートステーション」に集う若者の中には、なかなか仕事が見つからなかったり、社会になじめなかったりするなど、発達障害の特性が認められるケースもあり、「みつけば」という会を月2回始めることになりました。自分の特性を理解して、その特性を抱えながら社会に向き合っていくための方法を「みつけ」、モチベーションを高めるための場です。自ら発達障害を持つ若者が何人か入るピアサポートのかたちで、ワークショップを続けてきました。

 一方、区の施設の一角では前述した「ゆに(UNI)」(トポスの会)には、この3月までに28人(男性19人・女性9人)が利用していました。「みつけば」やハローワーク、さらには区内の支援機関などから紹介されてきた人もいます。その8割が広汎(こうはん)性発達障害や自閉症と診断されたり、疑いのあったりする方たちでした。最終学歴(中退を含む)は短大・専門学校7人、大学15人と、8割が高等教育機関に進学しながらも就労経験者は2割と低いのが特徴でした。

 「ゆに(UNI)」が約300平方メートルの広さの専用スペースでスタートしてからの2週間の間に、電話相談は67本、面接は13件(予約32件)、通所利用者は25人を数えました。「こんな場ができるのを待っていた」という声もあり、就労の場を求めながら、きっかけが得られなかった当事者や親からの相談が多いとのことです。

 全国でもまだあまり例のない取り組みです。一人ひとりの個性を大切にして、その特性を職場の人たちにも理解してもらって働くことのできるような環境づくりをこれからも支援していくとのことです。

2015年4月7日     asahi.com