古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

⊿都農神社-下鴨神社-百済・武寧王陵が直角三角形

2016年03月16日 22時11分32秒 | Weblog
藤原宮・平城宮の位置は天武系(高句麗系)・天智系(百済系)両方の意に沿うものであったはずです。
しかし、それだけでなく、各豪族の意向も考慮されていたのではないか。
そうでないと、分裂してしまうのではないか、という危機的状況。
平城京の位置の決定には、不比等が主導したものでしょうが、なるたけ全員の総意・納得を取り付けようとしたのではないでしょうか。
不比等の独断や百済系の都合だけで決められたものではないと思えるのですが。

都農神社-瀧原宮の測地線と直角三角形をつくるのは出雲大社・佐太神社・元伊勢・下鴨神社(賀茂御祖神社)と数多くありました。
(その他に辺津宮・宗像大社もそうなりそうです。ただし、都農神社で直角ですから、形は違っています)








⊿都農神社-下鴨神社(賀茂御祖神社)-百済・武寧王陵が直角三角形になりそうです。
(⊿都農神社-下鴨神社(賀茂御祖神社)-瀧原宮も直角三角形でした。)



都農神社→武寧王陵
 Ⅰ319°56′29.44″  Ⅱ137°25′46.50″ Ⅲ619,583.228(m)
都農神社→下鴨神社(賀茂御祖神社)
 Ⅰ50°37′21.05″  Ⅱ232°57′33.36″  Ⅲ497,530.226(m)
武寧王陵→下鴨神社(賀茂御祖神社)
 Ⅰ98°49′51.80″  Ⅱ283°53′51.41″  Ⅲ798,727.761(m)

都農神社での角度
 360°-319°56′29.44″+50°37′21.05″=90°40′51.61”≒90.6810度
下鴨神社(賀茂御祖神社)での角度
 283°53′51.41″-232°57′33.36″=50°56′18.05”≒50.9383度
武寧王陵での角度
 137°25′46.50″-98°49′51.80″=38°35′54.70”≒38.5985度

都農神社
北緯32度15分47.48秒 東経131度33分31.15秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=321547.48&l=1313331.15
32°15’47.48”N,131°33’31.15”E

下鴨神社(賀茂御祖神社)
北緯35度02分20.96秒 東経135度46分22.90秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350220.96&l=1354622.90
35°02’20.96”N,135°46’22.90”E

武寧王陵
北緯36度27分38.94秒 東経127度06分45.76秒
36°27’38.94”N,127°06’45.76”E

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