古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

肥の河・斐伊川・大刀洗川(筑後川)・初瀬川(大和川)

2015年01月13日 12時36分14秒 | Weblog
気になったことがありましたので、またもや戻ります。
相変わらず行き当たりばったりです。すみません。
以前やっていますように
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1da68fc2e7cf45fa19037bfebe28e758
八俣の大蛇と稲羽の素兎 2005年03月24日

須佐之男命は出雲の肥の河でヤマタノオロチを退治し、肥の河は血に染まりました。
この肥の河は斐伊川と解釈されています。
しかし、この肥の河とは、九州の肥前・肥後の間を流れる筑後川のことであると考えました。(肥前・筑後・肥後)
特に、支流の大刀洗川という名前に惹かれます。
この《須佐之男命は出雲の肥の河でヤマタノオロチを退治し、肥の河は血に染まった》という事件は、出雲ではなく、247年九州で起きた卑弥呼・卑弥弓呼とスサノヲの対決・戦争の時のことだと考えました。当時千人余り死んだと「魏志倭人伝」に書かれた戦争です。











今でも、これは間違いないと考えています。
しかし、「あれ」と突然思いつきました。
出雲大社を軸として、九州・近畿を対比させているというのが私の考えです。
《浮羽・不破》《中原・名張》など、いろいろやっています。
(なぜならば、「魏志倭人伝」が北九州の「奴国」と近畿の「邪馬臺国」を混同したためにです。その原因は一世代離れた卑弥呼・臺与(とよ)が九州から近畿に移動していたことを「魏志倭人伝」が知らなかったからです。二人の卑弥呼がいたことを知らなかったからです。卑弥呼とは個人の名前ではありません。)

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/aa914435e69d4f483b3740dd4f38109b
神武東征の東西対称性はどこからきたのか 2014年08月25日

それならば『肥の河』は近畿にもなければなりません。
纏向遺跡・箸墓の傍を通る大和川が候補に上がります。
でも「肥の河」の「肥」に近い字はでてきません。
http://academic3.plala.or.jp/dou-e/kokuannai/kawa.hashi/yamatogawa/yamatogawa/yamatogawa.html
奈良盆地の水を集めた川
 大和川の幹川流路の上流は初瀬(はせ)川とされ、奈良盆地
を西に向かって流れながら、佐保川、飛鳥川、曽我川、葛城
川、高田川、富雄川、竜田川など、奈良盆地内の河川を集め
て1本の本流となり、生駒山地と金剛山地の間の谷を抜けて
大阪平野に出て行きます。・・・・・
 名前のとおり、大和の国の水を集めて流れ来た川と言って
よいでしょう。つまり、「大和川」というのは、大阪側から
みて付けられた呼び名だと思われます。
 古代には、都のある飛鳥や奈良と難波の津を結ぶ重要な水運路でもあったのです

箸墓は卑弥呼・臺与(とよ)の墓であり、臺与は、参列していた者たちと一緒に、旧暦8月15日十五夜の宴の時に、`磐の姫’の配下の者の襲撃による火災のために、一酸化炭素中毒で亡くなった、と考えております。
(COでは不安定でCO₂になろうとするためにO・酸素が奪われるそうです。)

しかし、斐伊川の「斐」、肥の河の「肥」に相当する字・言葉が大和川にあるのでしょうか。
大和川という名称は大阪側から見て付けられた、ようです。
大和川の支流には飛鳥川があります。その「飛鳥」の「飛」は「斐」、「肥」と同様に「ひ」と読めます。
飛鳥川が「飛の川」だったなら良いのですが、「飛鳥川」では箸墓や纏向遺跡と離れています。
箸墓辺りは大和川ですが、初瀬川(はせがわ・はつせがわ)ともいうようです。







初瀬川で「Ha」で始まるとはいえ、「Hi」ではありません。
で、少々強引かとも思えますが、初瀬川辺りに卑弥呼・臺与(とよ)が居住していたとすると、初瀬川を「日の川」と呼ぶこともありなんではないでしょうか。
(しかし、卑弥呼・臺与(とよ)は屋敷内で亡くなっているはずですから、初瀬川が血で染まるということもないでしょうけれども)

(また、古代では「日」「火」「斐」「肥」「卑」などの発音が違っているかもしれません。ですが、区別がつかなくなっている時代に、書かれたとすればありえます。また、発音が違っていたとしても、それを聞きわけられたのは朝鮮の人たちだという説があるようです)

出雲大社から大刀洗川、初瀬川までの距離は、どうかといいますと、とる場所によっても違いますが、ほぼ同一距離になりそうでもあります。
まぁ、強引でしょうが、・・・。



大刀洗川
北緯33度19分47.57秒 東経130度33分24.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=331947.57&l=1303324.29

初瀬川
北緯34度32分30.58秒 東経135度49分19.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343230.58&l=1354919.29

出雲大社
北緯35度24分07.36秒 東経132度41分07.45秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352407.36&l=1324107.45

⊿出雲大社-大刀洗川-初瀬川
出雲大社→大刀洗川
 Ⅰ221°01′53.72″  Ⅱ39°49′46.99″ Ⅲ301,937.773(m) 
出雲大社→初瀬川
 Ⅰ107°31′23.47″  Ⅱ289°19′16.95″ Ⅲ301,896.322(m)
大刀洗川→初瀬川
 Ⅰ73°06′08.86″  Ⅱ256°02′36.51″ Ⅲ504,945.512(m)

出雲大社での角度
 221°01′53.72″-107°31′23.47″=113°30′30.25”≒113.5084度
大刀洗川での角度
 73°06′08.86″-39°49′46.99″=33°16′21.87”≒33.2727度
初瀬川での角度
 289°19′16.95″-256°02′36.51″=33°16′40.44”≒33.2779度



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