ちょっと思いつきです。
日本書紀での推古天皇の和風諡号は
「豊御食炊屋姫尊」(とよみけかしきやひめのみこと)です。
そこで、例によって、
《阿蘇(あそ)は飛鳥(あすか)から「か」を抜いたものです》と、同様に
「豊御食炊屋」(とよみけかしきや)から「カ行」を抜いてみました。
(とよみけかしきや)→《とよ・みしや》
推古天皇(卑弥呼臺与(トヨ)の子孫として)はミシヤ・メシヤ・メシアと読み替えてもいいのではないでしょうか。
「魏志倭人伝」は、勘違いで、卑弥呼臺与(トヨ)の墓が造られた後で卑弥呼臺与(トヨ)が登場したことにしてしまいました。
臺与(トヨ)は死後復活したことになったわけです。
それ以前の歴史で、イエス・キリストも復活していました。
すると、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は、信じるか信じないかはさておき、キリスト教に興味を持ったはずです。
そして、確かに、興味を持っただろうといえるのは、聖書に表現方法の違う旧約聖書と新約聖書があるように日本にも表現方法の違う古事記と日本書紀があるからです。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2-141311
メシアMessiah
救世主
原意はヘブライ語で「油をそそがれし者」の意。ヘブライ人の王が祭司に油をそそがれて即位した儀式に由来し,のち「神に祝福されし者」を意味した。ヘブライ人は,モーセ以来,メシアが救世主としてこの世に現れることを待望していた。その後,イエスをメシアと考える人々によって,いわゆるキリスト教が生まれた。
推古天皇をメシア・救世主とするわけですが、推古天皇治世とされる年代(推古元年592年)あたりに、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫がヤマトに戻って来た、という風に考えています。
すると、推古天皇に当たる方は救世主・メシアとなってもいいでしょう。
ただし、このときの卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は、女性ではなく男性だったと考えています。
(継体・欽明天皇は年代を古くするために、引き延ばされて創られたと考えています。)
最初《便宜上、最初といっています》の卑弥呼は247年に殺され、卑弥呼臺与(トヨ)は279年に殺されたと考えています。
そして、300年以上過ぎた6世紀後半に、時の王権に対抗した豪族に担ぎ上げられた卑弥呼臺与(トヨ)の子孫はヤマトに、浦島太郎のように戻って来ました。
考えてみれば、浦島太郎の話だって「生まれ変わり」のようなものです。
日本書紀での推古天皇の和風諡号は
「豊御食炊屋姫尊」(とよみけかしきやひめのみこと)です。
そこで、例によって、
《阿蘇(あそ)は飛鳥(あすか)から「か」を抜いたものです》と、同様に
「豊御食炊屋」(とよみけかしきや)から「カ行」を抜いてみました。
(とよみけかしきや)→《とよ・みしや》
推古天皇(卑弥呼臺与(トヨ)の子孫として)はミシヤ・メシヤ・メシアと読み替えてもいいのではないでしょうか。
「魏志倭人伝」は、勘違いで、卑弥呼臺与(トヨ)の墓が造られた後で卑弥呼臺与(トヨ)が登場したことにしてしまいました。
臺与(トヨ)は死後復活したことになったわけです。
それ以前の歴史で、イエス・キリストも復活していました。
すると、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は、信じるか信じないかはさておき、キリスト教に興味を持ったはずです。
そして、確かに、興味を持っただろうといえるのは、聖書に表現方法の違う旧約聖書と新約聖書があるように日本にも表現方法の違う古事記と日本書紀があるからです。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2-141311
メシアMessiah
救世主
原意はヘブライ語で「油をそそがれし者」の意。ヘブライ人の王が祭司に油をそそがれて即位した儀式に由来し,のち「神に祝福されし者」を意味した。ヘブライ人は,モーセ以来,メシアが救世主としてこの世に現れることを待望していた。その後,イエスをメシアと考える人々によって,いわゆるキリスト教が生まれた。
推古天皇をメシア・救世主とするわけですが、推古天皇治世とされる年代(推古元年592年)あたりに、卑弥呼臺与(トヨ)の子孫がヤマトに戻って来た、という風に考えています。
すると、推古天皇に当たる方は救世主・メシアとなってもいいでしょう。
ただし、このときの卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は、女性ではなく男性だったと考えています。
(継体・欽明天皇は年代を古くするために、引き延ばされて創られたと考えています。)
最初《便宜上、最初といっています》の卑弥呼は247年に殺され、卑弥呼臺与(トヨ)は279年に殺されたと考えています。
そして、300年以上過ぎた6世紀後半に、時の王権に対抗した豪族に担ぎ上げられた卑弥呼臺与(トヨ)の子孫はヤマトに、浦島太郎のように戻って来ました。
考えてみれば、浦島太郎の話だって「生まれ変わり」のようなものです。