古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

大津皇子の~Ⅲ 秋山の位置

2010年04月09日 15時29分15秒 | Weblog
 ところで、「人麻呂の暗号」で、「秋山」があることがわかりました。
「東の山際にうっすらとかかった靄が、稜線づたいに染まりながら尾をひいていく。まさに「炎」が朱を滴りおとしながら、周囲の山々に燃えうつっていくのである。
私たちはわずか数分前にはじまったそのようすを息を殺して身まもっていた。太陽は左端の秋山にかくれたまま、まだ現われないが、「炎」は風に乗って秋山を染め、右端に見える高見山に燃えうつろうとしている。それも、灰色から薄い紅に、赤味をおびた橙から濃紺へと色を変え、形を変え、層をなしてひろがっていくのだ。風に流され上の方は淡い藍の紗をひきながらひるがえる羽衣のような美しさである。」p91

「炎・かぎろひ」というのはこれなんでしょう。

 そういえば私も去年の12/29朝7時前に、携帯で写した写真は「炎・かぎろひ」の反射だったのかな。


 この「秋山」を調べてみますと、戦国時代の武将の名前のようですが、たぶんもともと「秋山」という山の名前だったのではないでしょうか。
 阿騎野の山で「秋山」と呼ばれていた地域だったのでしょうが、後の武将が「秋山」と名乗った、または呼ばれていたのは、その山の名前からきたにもかかわらず、武将の名前からその山が「秋山」と呼ばれたと勘違いされたのではないでしょうか。
 いまは松山地区というらしいです。
 ですが、「人麻呂の暗号」では「秋山」とありますから、現在でも「秋山」と呼ぶ人はいるのでしょう。

‘ウォッちず’で松山城を検索すると5件ヒットし最初に
● 宇陀松山城跡 (うだまつやまじょうあと) / "奈良県宇陀市"
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342853&l=1355616

http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kinki/ouda.html
宇陀松山城跡(別名・秋山、神楽岡城)
―― 大和の国に残る近世城郭の三城の一つ ――
松山城は、旧名秋山城と呼び、南北朝時代から戦国時代にかけて、宇陀三将のひとり秋山氏の居城としての築城にはじまる。・・・

 地形図では城山と出ています。見つからなかったはずです。
 で、この秋山と高見山はずいぶんと離れていますし、どういうところから見ると、「人麻呂の暗号」の「炎」が見られるのかわかりませんが、「かぎろひを観る会」というのがあるようです。旧暦の11/17だそうです。今年の場合、12/22のようです。(去年の場合、(というか今年というか、)今年の1/1だったようです)















 高市皇子が伊勢から戻る大津皇子を待ち伏せるには絶好の場所のように見えます。
 この秋山の南の街道、榛原(はいばら)街道というのでしょうか、伊勢街道というのでしょうか、秋山の西の南北の道路は伊勢本街道とあるようですが、どちらの道から来ても、大津皇子はこの合流点に来るわけです。
 そして、北に上り、長谷寺方面から三輪山を下り、飛鳥に入ろうとしたのではないでしょうか。
「知られざる古代」(水谷慶一)p41では、
 「だいたい、この長谷寺というのは昔から伊勢神宮と奇妙に縁が深いのである。お伊勢参りの専用道路、伊勢街道は長谷寺の門前を過ぎてから伊賀越えと宇陀越えのふた手に分かれ、伊勢への参詣はかならずといっていいほど、まず隠り口(こもりく)の初瀬に寄るのを習わしとした。注意ぶかい人は長谷寺の本堂に「天照皇太神」の扁額がかかげられているのを記憶しているだろう。」
 しかし、高市皇子は飛鳥から吉野に向かい、そこから北に上がって阿騎野に向ったのではないでしょうか。(室生寺方面の道にも襲う人を配置していたかもしれません)
 伊勢から戻る大津皇子を襲うとは見せかけないために、迂回したのです。
 (ドラマからで申し訳ないですが、「ソドンヨ」では、別働隊が阿佐太子を襲い、プヨソンは別の場所に行っています)
 ところが、この進路は(架空の)壬申の乱のときの天武天皇の進路と、また(架空の)神武天皇東征の宇陀のあたりとオーバーラップしそうです。
 宇陀はスサノヲの宇佐からの進路を近畿に変えるものと考えていましたが、それだけでなく、大津皇子を襲ったときの状況も重ねあわされているかもしれません。

まだまだ「ホンマかいな」で、いいです。
次は月が高市皇子かどうかです。

・・・・・・・
昨日だったか一昨日だったか
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