古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

八咫烏の「八咫」は「秦・ハタ」に変化

2017年10月17日 12時03分08秒 | Weblog
神武天皇と桓武天皇には似ているところがありました。
①即位年が辛酉 紀元前660年  桓武即位年781年
   660+781-1=1440  1440÷60=24 
   なお、紀元元年も辛酉の年。
②陵のあるところの地名が似ている  柏原(かしわら) 橿原(かしはら)

続いて 
神武天皇は八咫烏(やたがらす)に導かれました。
桓武天皇は秦氏の地盤とされていた長岡京に遷都します。続いてやはり秦氏の地盤の平安京に遷都します。〈平安宮内裏は秦河勝の宅地跡だったそうです〉
そこで、神武=桓武となるには秦氏=八咫烏(やたがらす)でなければなりません。

カラスはともかくとしても、「秦・ハタ」は「八咫・ヤタ」に変えられます。
カタカナの「ハ」を漢数字の「八」に変えるだけで「ハタ」は「八タ・ヤタ」に変化します。
カタカナがいつできて,いつから使われていたのか、が問題となります。
検索したところ、桓武天皇の時代には使用されていたようです。
カタカナの「ハ」の字体の由来ですが、漢数字の「八」からつくられたようです。
八咫烏はハタ烏と変化しても良さそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D#cite_note-2
片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。
吉備真備(695 - 775年)が片仮名を作ったという説があるが、これは俗説に過ぎない[2]。漢字の一部を使いその文字の代わりとして用いることは7世紀中頃から見られるが[3]、片仮名の起源は9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し付記したものに始まると考えられている。この借字は当初、経典の行間の余白などにヲコト点とともに使われていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E4%BB%AE%E5%90%8D


「ハ」は「八」からできました。
「ヤ」は「也」からできたそうです。
「八咫」は「ヤタ」と読むべきですし、「ヤタ」と読み仮名が振られたのでしょうが、読む人が読めば「八咫」は「ハタ」の暗号になるべきです。

としますと、神武天皇も「八咫烏」に導かれたとはいうものの、桓武天皇と同様に「秦氏」に導かれた,といえるかもしれません。
というよりも,八咫烏に導かれた「神武天皇」には「桓武天皇」が投影されている,例証の一つといっていいのでしょう。

ところで,下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神の賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) の化身が八咫烏です。

理解できませんが,続けてみます。
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