古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

△江戸城天守閣跡ー日光東照宮ー関ヶ原

2020年07月22日 15時53分49秒 | Weblog
江戸城ー日光東照宮の直線と何処を結びつければいいのか、いままでわかりませんでした。伊吹山にしろ、琵琶湖周辺にしろ、ピッタリきませんでした。
しかし、関ヶ原がありました。ここなら意味は充分あるでしょう。
最終決戦地の碑のあるところでやってみましたが、もっと南の方が良さそうです。






そして、徳川・江戸幕府に測量能力があったことは、日光・陽明門と北極星の写真からも了解できるはずです。
陰陽師の流れを継いでいるものたちが徳川幕府に仕えていたのでしょう。

2年前録画していましたものが以下です。
林修のニッポンドリル 5月30日 2018
「人生で一度は訪れたい日光の社寺!また奇跡の撮影許可!」
江戸城は日光東照宮の真南ではなく6度ずれています。
日光東照宮のパワーを江戸城に送るために鳥居と参道が6度ずらされている、そうです。(諸説あるそうです) 
陽明門の上に輝く北極星、その周りを回る幾多の星たち


ネットにも数多く出ていました。
https://www.bing.com/images/search?q=%E9%99%BD%E6%98%8E%E9%96%80+%E5%8C%97%E6%A5%B5%E6%98%9F&qpvt=%e9%99%bd%e6%98%8e%e9%96%80+%e5%8c%97%e6%a5%b5%e6%98%9f&form=IGRE&first=1&scenario=ImageBasicHover&cw=1117&ch=457


△江戸城天守閣跡ー日光東照宮ー関ヶ原
江戸城天守閣跡→日光東照宮
 ①353°19′00.19″ ②173°13′28.91″ ③119,484.895(m)
江戸城天守閣跡→関ヶ原古戦場
 ①264°13′27.97″ ②82°18′38.02″ ③300,705.563(m)
日光東照宮→関ヶ原古戦場
 ①242°21′21.27″ ②60°30′31.33″ ③321,794.160(m)

江戸城天守閣跡での角度
 353°19′00.19″ー264°13′27.97″=89°05′32.22″≒89.0923度
日光東照宮での角度
 242°21′21.27″ー173°13′28.91″=69°07′52.36″≒69.1312度
関ヶ原古戦場での角度
 82°18′38.02″ー60°30′31.33″=21°48′06.69″≒21.8019度

関ヶ原古戦場よりも南で良くなります。




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ついでですが、関ヶ原の真東は富士山頂。
関ヶ原古戦場→富士山頂・剣ヶ峯
 ①89°38′19.34″ ②270°57′00.25″ ③205,886.546(m)


取り立てていうほどのことはないかもしれませんが、家康は富士山がすきだったということで、もしかすると意味はあるのかもしれません。
剣ヶ峰・富士山頂
北緯35度21分39.25秒 東経138度43分37.67秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352139.25&l=1384337.67
35°21'39.25"N 138°43'37.67"E

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