古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

何度目かの《江戸城・日光東照宮と朝鮮の位置関係》

2020年07月18日 16時23分33秒 | Weblog
足踏み状態でまとまりませんが、とりあえず投稿します。
さて、徳川家康は朝鮮とのどんな関係を強調したかったのでしょうか。
なぜ、江戸城・日光東照宮は高千穂峰・諸塚山を通して、朝鮮と関係あるかのような直角三角形を構成するのでしょうか。
このために、実質的ではなくとも、形式的なものではあっても、朝鮮を支配しているかのような見せかけが必要だったと思えます。

それは,秀吉のような武力にもとづく支配をねらったものではありません。。
それは、ろくな結果をもたらしませんでした。
ただし、日本としては朝鮮を支配下にあるということにしたかった。
「朝鮮通信使」なるものが12回送られてきたそうです。
そしてこれは、日本・徳川としては、朝鮮からの日本に対する「朝貢」としたかったようです。
しかし、朝鮮側としては朝貢というつもりはありません。
ですが、朝鮮通信使は,将軍に面会するときに「四拝礼」をするように仕向けられました。
「四拝礼」は臣下の立場であることを表明するようです。
1607年江戸時代の最初の朝鮮通信使が江戸城で国書奉呈の儀式を行います。
「三使臣が朝鮮国書を奉呈し,将軍秀忠の前で四拝礼した。
四拝礼は屈辱だったと思われるが,使臣としては、自国の国書に向かって四拝礼したつもりであった」
(十二回の朝鮮通信使・対馬はなぜ国書を偽造・p48志岐隆重・長崎文献社)

この国書は直前にすり替えられたようですが、使臣としては、自国の国王の書ですから、四拝礼をとるのは,当たり前かもしれません。
一方、幕府側では,朝鮮通信使は,将軍秀忠に臣下の礼をとった、と解釈できますし、そうさせるために、国書を将軍秀忠と使臣の間に置かせたのでしょう。
(形式的に)臣下の礼をとらせることに成功した、といえるでしょう。
秀吉の朝鮮政策ではろくなことはありませんでした。

以前に豊臣秀吉は朝鮮を征服し,当時の中国の「明」までも征服しようとしました。
「豊臣」とは「卑弥呼・臺与(とよ)の臣下」という意味と考えています。
天武系・天智系ともに「卑弥呼・臺与(とよ)の子孫」であり朝鮮から戻ってきた,言い換えれば、300余年経って,朝鮮から追い出されてきたものです。(私の空想です)
朝鮮、百済奪還、再興は,卑弥呼・臺与(とよ)の子孫の悲願であり、百済王・豊璋,不比等の遺言だったはずです。

(魏志倭人伝が、叔母、姪であろう二人の卑弥呼を同一人物と勘違いしたことが全ての始まりです。二人の亡くなった場所も年代も違ったにもかかわらず同一人物にしたために,東西の地理も年代も確定できなくなりました。いずれ何十年かしたら理解されるでしょう)

ですから、トヨの臣下とする秀吉としては、朝鮮に攻め入るしかありません。
ですから、明の征討が難しいとなったときに,最低限というか最も獲得したいのが南朝鮮でした。
そこで、1593年日明和平交渉では、秀吉の示した七ヶ条の和平条件の四条目は
「朝鮮八道を分割し、南四道《京幾道(キョンギド)、忠清道(チュンチョンド)、慶尚道、全羅道(チョルラド)を日本に割譲すること》」《前掲書 p20》
これは,百済再興が狙いだったのではないでしょうか。
(慶尚道はキョンサンド)
また、「将軍家光の時に、朝鮮通信使は日光遊覧を要請され、反発したものの、最後には、日本との友好関係は壊したくないということで、受け入れました。」
(前掲書p99)

△日光東照宮ー諸塚山ー安鶴宮跡が直角二等辺三角形にみえることは2020年6月26日にやっています。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/00ff4da5d0c4adc4cd9ee2b867479551

大して変わりはありませんが、安鶴宮跡の代わりに、グーグルアースのピョンヤン(平壌)の位置でやってみます。より、直角二等辺三角形に近づいていました。


△諸塚山ー日光東照宮ーピョンヤン(平壌)
諸塚山→日光東照宮
 ①56°41′13.40″ ②241°25′37.04″ ③887,843.940(m)
諸塚山→ピョンヤン(平壌)
 ①326°30′07.54″ ②143°15′38.87″ ③867,997.008(m)
日光東照宮→ピョンヤン(平壌)
 ①285°57′43.78″ ②97°26′07.81″ ③1,241,693.309(m)

諸塚山での角度
360°ー326°30′07.54″+56°41′13.40″=90°11′05.86″≒90.1850度
ピョンヤン(平壌)での角度
 143°15′38.87″ー97°26′07.81″=45°49′31.06″≒45.8253度
日光東照宮での角度
 285°57′43.78″ー241°25′37.04″=44°32′06.74″≒44.5352度

しかし、下記が一番直角二等辺三角形に近そうです。
△高千穂峰ー江戸城天守閣ーピョンヤン(平壌)
高千穂峰→江戸城天守閣
 ①60°19′28.25″ ②245°14′51.00″ ③920,030.577(m)
高千穂峰→ピョンヤン(平壌)
 ①330°56′07.34″ ②147°56′11.53″ ③920,942.250(m)
江戸城天守閣→ピョンヤン(平壌)
 ①290°52′54.18″ ②102°21′35.69″ ③1,292,521.778(m)

高千穂峰での角度
360°ー330°56′07.34″+60°19′28.25″=89°23′21.91″≒89.3894度
江戸城天守閣での角度
 290°52′54.18″ー245°14′51.00″=45°38′03.18″≒45.6342度
ピョンヤン(平壌)での角度
 147°56′11.53″ー102°21′35.69″=45°34′35.84″≒45.5766度

日光東照宮
北緯36度45分27.57秒 東経139度35分55.40秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=364527.57&l=1393555.40

江戸城天守閣跡
北緯35度41分17.80秒 東経139度45分16.00秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354117.80&l=1394516.00

高千穂峰
北緯31度53分10.63秒 東経130度55分08.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=315310.63&l=1305508.29

グーグルアースのピョンヤン(平壌)
北緯39度02分21.22秒 東経125度45分45.08秒
39°02′21.22″N 125°45′45.08″E

諸塚山
北緯32度38分04.47秒 東経131度17分13.80秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=323804.47&l=1311713.80
32°38′04.47″N 131°17′13.80″E

安鶴宮跡
北緯39度03分43.64秒 東経125度49分54.27秒
39°03′43.64″N 125°49′54.27″E



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« △諸塚山ー日光東照宮・天智天... | トップ | △江戸城天守閣跡ー日光東照宮... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事