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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

武寧王陵-高千穂峰-藤原宮跡辺り

2015年05月04日 22時22分17秒 | Weblog
以前やったのは
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/91c2417d43433d37601ac35c0dbec20d
⊿武寧王陵(ムリョンワンヌン)-高千穂峰-高鴨神社・飛鳥,その他
2014年07月29日

武寧王陵-高千穂峰の直線が高千穂峰で直角になるのは、最初、高鴨神社かと思いましたが、飛鳥全体といっていいのだろうと推測しました。
しかし、ここにきて、本当の狙いは藤原宮ではなかったのかと思いいたりました。
検討したところ、確かに⊿武寧王陵-高千穂峰-藤原宮跡での高千穂峰での角度は89.8152度でほぼ直角でした。

武寧王陵(ムリョンワンヌン)
北緯36度27分38.89秒 東経127度06分45.74秒
高千穂峰
北緯31度53分10.63秒 東経130度55分08.29秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=315310.63&l=1305508.29

藤原宮跡
北緯34度30分08.47秒 東経135度48分26.69秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343008.47&l=1354826.69

⊿武寧王陵-高千穂峰-藤原宮跡
高千穂峰→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
Ⅰ326°23′12.22″  Ⅱ144°14′47.38″ Ⅲ616,817.908(m)
高千穂峰→藤原宮跡
Ⅰ56°12′06.96″ Ⅱ238°52′48.37″ Ⅲ540,231.117(m)
藤原宮跡→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
Ⅰ287°53′40.71″  Ⅱ102°50′26.44″ Ⅲ818,077.818(m)

高千穂峰での角度
 360°-326°23′12.22″+56°12′06.96″=89°48′54.74”≒89.8152度
武寧王陵での角度
 144°14′47.38″-102°50′26.44″=41°24′20.94”≒41.4058度
藤原宮跡での角度
 287°53′40.71″-238°52′48.37″=49°00′52.34”≒49.0145度















あまり意味はないと思えますが、遊びついでに、もう少し南の天武・持統陵で検討しました。
すると高千穂峰での角度は90.1484度になりました。
ほとんど直角で、藤原宮と天武・持統陵の中間になりそうです。で、甘樫丘でやってみました。

⊿武寧王陵-高千穂峰-天武・持統陵
天武・持統陵
北緯34度28分07.13秒 東経135度48分28.12秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342807.13&l=1354828.12
高千穂峰→天武・持統陵
 Ⅰ56°32′42.09″  Ⅱ239°13′19.89″ Ⅲ538,339.537(m)
高千穂峰→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
Ⅰ326°23′12.22″  Ⅱ144°14′47.38″ Ⅲ616,817.908(m)
武寧王陵→天武・持統陵
 Ⅰ103°05′21.90″  Ⅱ288°08′29.59″ Ⅲ819,269.055(m)

高千穂峰での角度
 360°-326°23′12.22″+56°32′42.09″=90°08′54.31”≒90.1484度
武寧王陵での角度
 144°14′47.38″-103°05′21.90″=41°09′25.48”≒41.1571度
天武・持統陵での角度
 288°08′29.59″-239°13′19.89″=48°55′09.70”≒48.9194度

甘樫丘
北緯34度28分47.12秒 東経135度48分55.79秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342847.12&l=1354855.79

⊿武寧王陵-高千穂峰-甘樫丘
高千穂峰→甘樫丘
 Ⅰ56°28′15.17″  Ⅱ239°09′09.58″ Ⅲ539,577.179(m)
高千穂峰→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
Ⅰ326°23′12.22″  Ⅱ144°14′47.38″ Ⅲ616,817.908(m)
武寧王陵での角度
 Ⅰ102°59′30.88″ Ⅱ288°02′57.14″ Ⅲ819,557.502(m)

高千穂峰での角度
 360°-326°23′12.22″+56°28′15.17″=90°04′27.39”≒90.0743度
武寧王陵での角度
 144°14′47.38″-102°59′30.88″=41°15′16.50”≒41.2546度
甘樫丘での角度
 288°02′57.14″-239°09′09.58″=48°53′47.56”≒48.8965度

堅塩媛改葬612年、蘇我馬子がその大掛かりな儀式を取り仕切ったようにみえます。
この儀式は、実際には712年に鸕野讃良(うののさらら・持統)を天武天皇と合葬したものだと考えています。
これについては、まだ検討が必要でしょうが、612年の蘇我馬子には712年の藤原不比等が投影されています。
納得されないでしょうが、その場合、その時、高市天皇も文武天皇も鸕野讃良(うののさらら)・持統)もいなくなっていて、長屋王はじっとしていたでしょうから、藤原不比等の権力が最も大きかったとはいえます。
すると、藤原京の位置や平城京の位置、また遷都の場合でも、朝鮮・百済を意識したものになっていることは不思議ではなく、当然かもしれません。
ただし、当時は高句麗系を立てるのが本線でしょう。
《不比等は百済王家の末裔と同時に卑弥呼・臺与(とよ)の子孫でもあります》

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昨日、5月3日、今年もツバメが顔を出しました。
毎年、巣作りできるかと入ってきますが、コンクリートの壁で無理なはずですから、すぐあきらめて、他へ飛んでいきます。
ところが、今年は異様で、何度もチャレンジに来ます。朝の8時半にシャッターを開けるとすぐ飛び込んできました。
泥のようなものをくちばしにくわえて、壁に塗ろうとしています。尾を壁に押しつけたりしています。終わりにはシャッターも閉めなければならないし、コンクリートの壁で無理だから、他に行ってくれ、・・・。途中1時間ぐらいは来なくなっていましたが、再び現れ、ついに、日没の午後6時半ごろまで続きました。二羽のツバメは徒労の一日を終えました。
ウーン、ツバメが巣作りできる場所はもうなくなったのかもしれません。なんとかならないもんか。











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