成田山新勝寺-高尾山薬王院の線上に、都庁の建物が目につきました。
都庁にすると、川崎大師平間寺とも位置の関係づけができそうです。
おおざっぱに見ると、都庁は真言宗智山派の関東三大本山と関係づけられる位置になりそうです。
さて、それに意味があるのかどうかですが、都庁の位置は元は淀橋浄水場があったところです。
偶然かもしれませんが、真言宗の始祖の弘法大師空海には水に関する伝説があります。
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2014/0404ron.html
日本各地には弘法大師伝説の水(弘法水)が多数存在している。これらは弘法大師が発見した水として、次のように伝えられている。
「弘法大師が日本各地を巡錫の折、ある村で喉が渇いた大師が老婆に水を所望する。老婆は遠方から水を運び快く水を提供したので、大師は水に不自由なこの土地に同情し、御礼に錫杖で地を突いて清水を出した」
弘法水の中には、眼病、皮膚病、胃腸病などに効能がある、などという"薬水伝説"が多数存在する。





淀橋警察署が今の新宿警察署のようです。



そういえば、スカイツリーのスカイも「空」でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%A9%8B%E6%B5%84%E6%B0%B4%E5%A0%B4
淀橋浄水場
明治維新以前の江戸の水道は玉川上水と神田上水を水源とした7つの分水組合によるものであったが、東京府が設置されて組合が解散した後もこれら2系統による給水が続いた。・・・
このような混乱により東京では上水の水質悪化が問題になり始めた。
1886年(明治19年)、東京で1858年にコレラが大流行し[2]、同年8月7日付の東京日日新聞(現在の毎日新聞)は「清潔法の骨髄は、飲料水の改良と下水の改良にある」と報じて上水改良と下水道網の整備を訴えた。東京におけるコレラ大流行は近代水道の必要性を一般国民に広く認識させ、政府は水道改良事業計画の策定を加速させる契機となった。
後の『東京水道改良計画書』では内務省技師補・東京市水道技師中島鋭治工学博士が再検討を行い、浄水工場は千駄ヶ谷村から淀橋町に変更、給水工場は麻布・小石川から芝・本郷に変更、・・・・・・・
1965年3月31日廃止
この貯水場の広大な跡地は再開発が行われ、東京都庁、新宿NSビルを始めとした高層建築街となっている。
要するに、江戸時代の玉川上水・神田上水では不潔で水道水に向かなかった。
最初、浄水工場は千駄ヶ谷に造る予定であったが、淀橋町に変更になった。
なぜ千駄ヶ谷から淀橋町になったかは、ここからはわかりませんが、弘法大師空海の力が必要だと考えた可能性もあります。
偶然なら面白いですが、・・・。
川崎大師平間寺
北緯35度32分01.54秒 東経139度43分46.12秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=353201.54&l=1394346.12
都庁
北緯35度41分22.50秒 東経139度41分31.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354122.50&l=1394131.01
高尾山薬王院
北緯35度37分33.23秒 東経139度15分01.02秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=353733.23&l=1391501.02
成田山新勝寺
北緯35度47分09.85秒 東経140度19分05.71秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354709.85&l=1401905.71
元淀橋浄水場(だいぶ広いのでとりあえずこの位置にしました)
北緯35度41分34.61秒 東経139度41分42.53秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354134.61&l=1394142.53
高尾山薬王院-都庁-成田山新勝寺は一直線になるでしょうか。
高尾山薬王院→都庁
Ⅰ79°51′05.58″ Ⅱ260°06′32.45″ Ⅲ40,612.800(m)
成田山新勝寺→都庁
Ⅰ259°28′58.11″ Ⅱ79°07′01.18″ Ⅲ57,658.790(m)
高尾山薬王院→成田山新勝寺
Ⅰ79°16′10.15″ Ⅱ259°53′34.05″ Ⅲ98,268.018(m)
40,612.800(m)+ 57,658.790(m)=98,271.590(m)
98,271.590(m)-98,268.018(m)=3.572(m)
ちょいと離れすぎています。
一直線とはいいがたい。
しかし、都庁が建設される前に存在していたのは『淀橋浄水場』でした。
その淀橋浄水場は、新宿中央公園以上の大きさだったならば、淀橋水道場は
成田山新勝寺-高尾山薬王院の線上といってもいいと思えます。
ちょっと長くなったので、どうということはありませんが、続けます。
淀橋浄水場の画像検索結果
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B7%80%E6%A9%8B%E6%B5%84%E6%B0%B4%E5%A0%B4&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiNkuKolb7MAhVjF6YKHWTXCxgQsAQIKg&biw=1031&bih=597
都庁にすると、川崎大師平間寺とも位置の関係づけができそうです。
おおざっぱに見ると、都庁は真言宗智山派の関東三大本山と関係づけられる位置になりそうです。
さて、それに意味があるのかどうかですが、都庁の位置は元は淀橋浄水場があったところです。
偶然かもしれませんが、真言宗の始祖の弘法大師空海には水に関する伝説があります。
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2014/0404ron.html
日本各地には弘法大師伝説の水(弘法水)が多数存在している。これらは弘法大師が発見した水として、次のように伝えられている。
「弘法大師が日本各地を巡錫の折、ある村で喉が渇いた大師が老婆に水を所望する。老婆は遠方から水を運び快く水を提供したので、大師は水に不自由なこの土地に同情し、御礼に錫杖で地を突いて清水を出した」
弘法水の中には、眼病、皮膚病、胃腸病などに効能がある、などという"薬水伝説"が多数存在する。





淀橋警察署が今の新宿警察署のようです。



そういえば、スカイツリーのスカイも「空」でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E6%A9%8B%E6%B5%84%E6%B0%B4%E5%A0%B4
淀橋浄水場
明治維新以前の江戸の水道は玉川上水と神田上水を水源とした7つの分水組合によるものであったが、東京府が設置されて組合が解散した後もこれら2系統による給水が続いた。・・・
このような混乱により東京では上水の水質悪化が問題になり始めた。
1886年(明治19年)、東京で1858年にコレラが大流行し[2]、同年8月7日付の東京日日新聞(現在の毎日新聞)は「清潔法の骨髄は、飲料水の改良と下水の改良にある」と報じて上水改良と下水道網の整備を訴えた。東京におけるコレラ大流行は近代水道の必要性を一般国民に広く認識させ、政府は水道改良事業計画の策定を加速させる契機となった。
後の『東京水道改良計画書』では内務省技師補・東京市水道技師中島鋭治工学博士が再検討を行い、浄水工場は千駄ヶ谷村から淀橋町に変更、給水工場は麻布・小石川から芝・本郷に変更、・・・・・・・
1965年3月31日廃止
この貯水場の広大な跡地は再開発が行われ、東京都庁、新宿NSビルを始めとした高層建築街となっている。
要するに、江戸時代の玉川上水・神田上水では不潔で水道水に向かなかった。
最初、浄水工場は千駄ヶ谷に造る予定であったが、淀橋町に変更になった。
なぜ千駄ヶ谷から淀橋町になったかは、ここからはわかりませんが、弘法大師空海の力が必要だと考えた可能性もあります。
偶然なら面白いですが、・・・。
川崎大師平間寺
北緯35度32分01.54秒 東経139度43分46.12秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=353201.54&l=1394346.12
都庁
北緯35度41分22.50秒 東経139度41分31.01秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354122.50&l=1394131.01
高尾山薬王院
北緯35度37分33.23秒 東経139度15分01.02秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=353733.23&l=1391501.02
成田山新勝寺
北緯35度47分09.85秒 東経140度19分05.71秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354709.85&l=1401905.71
元淀橋浄水場(だいぶ広いのでとりあえずこの位置にしました)
北緯35度41分34.61秒 東経139度41分42.53秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=354134.61&l=1394142.53
高尾山薬王院-都庁-成田山新勝寺は一直線になるでしょうか。
高尾山薬王院→都庁
Ⅰ79°51′05.58″ Ⅱ260°06′32.45″ Ⅲ40,612.800(m)
成田山新勝寺→都庁
Ⅰ259°28′58.11″ Ⅱ79°07′01.18″ Ⅲ57,658.790(m)
高尾山薬王院→成田山新勝寺
Ⅰ79°16′10.15″ Ⅱ259°53′34.05″ Ⅲ98,268.018(m)
40,612.800(m)+ 57,658.790(m)=98,271.590(m)
98,271.590(m)-98,268.018(m)=3.572(m)
ちょいと離れすぎています。
一直線とはいいがたい。
しかし、都庁が建設される前に存在していたのは『淀橋浄水場』でした。
その淀橋浄水場は、新宿中央公園以上の大きさだったならば、淀橋水道場は
成田山新勝寺-高尾山薬王院の線上といってもいいと思えます。
ちょっと長くなったので、どうということはありませんが、続けます。
淀橋浄水場の画像検索結果
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B7%80%E6%A9%8B%E6%B5%84%E6%B0%B4%E5%A0%B4&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiNkuKolb7MAhVjF6YKHWTXCxgQsAQIKg&biw=1031&bih=597