古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

出雲大社-伊勢神宮・内宮と東尋坊-高市山の交点

2009年06月25日 14時01分50秒 | Weblog
















東尋坊・・東尋坊タワーとの中間点あたり。
海のように見えますが、撮影時に視界が悪かっただけです。
測地線が高松塚古墳の中心を通る地点にしています。



伊勢神宮・内宮-長屋王邸-平城京・朱雀門-出雲大社-公州(コンジュ)《公山城(コンサンソン)・武寧王陵(ムリョンワンヌン)》などが一直線上になることは既に何度も確認しています。

また東尋坊-高市山の線上に、キトラ古墳、高松塚古墳、天武・持統陵がのることもみています。(中心線ではなくとも、かすめています)
《東尋坊と高市山の直線について・・2007・4/20》
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/9218466663e8a2c505ac999865f1b404

《高松塚古墳の被葬者は高市皇子です・・2007・4/17》
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/65e9a5db805b07cb1438ad762e363cd2

そして、この二つの直線の交点についても、何度も見たことは見たのですが、小学校の校庭にしかなりませんでした。
何かあってもいいはずなんだが、と考えました。
ですが、何もないのは、当時の測量が未熟で交点を見つけられなかったか、または交点の位置を間違えたのではないか、または交点はそれほど重要ではなかったか、などと考えました。

今度もこの小学校(国立奈良教育大学教育学部付属小学校)の校庭になります。
(エー、今一度確かめましたら、小学校はこの東南の校庭が小さいところのようです。すると、ここは奈良教育大学になるのでしょうか。)

グーグルアースのギャラリーをチェックするとここにYou・Tubeが張られていました。ポイントすると《新薬師寺旧境内遺跡・現地見学会》とでました。
投稿した方が張る位置を間違えたのかと疑いましたが、間違いありませんでした。
そして、おとといの6/23の新聞にも発掘の記事が載っていました。
新聞のリンクは何ヶ月かで消えてしまいます。

http://www.nara-np.co.jp/20090623103659.html
2009年6月23日 奈良新聞
《あれ?中門がない!? - 新薬師寺旧境内》
 《奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内)で、奈良時代中ごろの瓦が入った溝跡などが見つかり、同大学が22日、発表した。想定されていた中門や回廊の遺構はなく、伽藍(がらん)がさらに広いか、金堂だけだった可能性が浮上した。
調査地は昨年見つかった金堂とみられる巨大基壇の南側約50メートル。地形などから中門が想定されていた。
溝は幅約2メートルで、南北に約20メートルを確認、底に瓦の破片がたまっていた。焼けた瓦もあり、直行する幅約5メートルの自然流路に分断される。主要伽藍が廃絶する10世紀に埋まった可能性が高いという。軒瓦は興福寺と同じ文様で、創建時に使ったとみられる。》

asahi.com> マイタウン> 奈良> 記事
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000906230002
2009年06月23日
《新薬師寺旧境内 南北に通る溝出土》
《東西幅52メートルの階段を備えた金堂らしい長大建物跡が出土した奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内)で、建物の南約50メートルの地点から南北方向の溝が出土した。同大学が22日発表した。建物を囲む回廊か中門の推定地だったが、それらしい遺構は見あたらなかった。現地説明会はない。
 運動施設整備に伴い約110平方メートルを発掘した。担当の金原正明准教授(環境考古学)によると、溝(幅1・5メートル、深さ0・4メートル)は建物跡の南約20メートルの場所から南に伸び、さらに南にあって東西に流れていた水路か川の跡(幅約5メートル)につながっていた。
 溝の中には、興福寺で造営当初(710年)に使われたのと同じ型の軒丸瓦(8世紀)などが多数あった。962(応和2)年に大風で寺全体が倒壊した際、近くにあった別の建物から溝に落ち込んだらしい。
金堂と見られる建物跡の規模から見て、回廊か中門があった場所ではないかと期待されていた。出土しなかった理由について、金原准教授は「元々回廊や門を持たない特異な構造だったのか、後世に破壊されたのか。今回の調査だけでは何とも言えない」と話した。7月にも隣接地を発掘し、さらに調査する方針》

まとまっていませんが、ともかく、交点に何かあって良かった、ていうところです。
これから、初の泊まりの勤務。
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