藤ノ木古墳には二体の成人男性の遺骸が埋葬されていました。
何度も主張していますが、この二体の被葬者を、文武天皇と長屋王(天皇)と考えています。長屋王も天皇だった、と考えています。
そして、崇峻天皇のモデルとします。
モデルは二人です。
崇峻天皇の即位年553年 長屋天皇の即位年724年
724-553=171=19×9 19年は繰り返し
崇峻天皇の崩御年592年 文武天皇の崩御 . . . 本文を読む
崇峻天皇陵も春日大社-談山神社の線上にありそうです。
崇峻天皇は「日本史の中で、臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。」とのことです。
しかし、何度も主張しますが、私の考えでは「崇峻天皇」には「文武天皇と長屋王(天皇)」が投影されていると考えています。
「日本書紀」の崇峻天皇の五年十一月条に「馬子宿禰、群臣を詐めて曰はく、「今日、東国の調を進る。」という。乃ち東漢直駒(やまと . . . 本文を読む
忘れていることも多々あり、進歩がありませんが,ともあれ続けます。
以前もやっておりますが、「729年長屋王の変」で物部氏は登場していないようです。
しかし、おかしい。
物部氏は勝ち組についているはずですから、長屋王の変では藤原氏と協同していなければ変です。
物部連麻呂は藤原宮に留守居役として残ったことにされていますから、平城京で起きた乱には参加できなかった、ことにしたかったのでしょう。
(それ以 . . . 本文を読む
蘇我氏は方墳を造ったそうです。
その他には「出雲国造家」だけが方墳を造るのを許されたそうです。
関裕二氏は「蘇我氏と出雲に関係があるはずだ」、という推測を書かれています。
私の推測でも、スサノヲと卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は朝鮮から戻ってきて、出雲にいついていた、ことになっています。
蘇我は「蘇る・我」「よみがえるわれ」で、卑弥呼臺与(トヨ)の復活と重なります。
「神武東征の謎」
出雲神話の裏に隠 . . . 本文を読む
あくまでも空想です。あしからず。
以前にやっているように、
石見一宮物部神社の位置は出雲大社と宇佐神宮の直線上にあります。
なぜ、物部氏の神社がこの位置にあるのでしょうか。
普通に考えると奇妙です。
というのは、この石見一宮物部神社の位置は、卑弥呼臺与(トヨ)の復活を防ぐものに見えます。
「宇佐」は卑弥呼臺与(トヨ)が北九州からスサノヲの元に向かった出発地点です。「因幡の白兎」とは「卑弥呼臺与(ト . . . 本文を読む
以前に、△高市山-宇佐神宮-長岡宮跡が直角三角形であることをみています。
そして、高市山-長岡宮跡の線上に、いろいろのっていることをみています。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/9bedff8031228013d8df98389fb62ccc
高市山→二上山・大津皇子墓の延長線上に長岡宮跡 2020年10月02日
整理して付け加えると
龍田大社、磐 . . . 本文を読む
物部氏に引っ掛かって、進みません。
石上神宮や石見一宮物部神社が特異な位置にありそうなことは今までもやってきました。
今回もその続きというだけです。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/ce2e3b88acb1a8214926451c35eb2070
熱田神宮-石上神宮を一辺とする直角三角形Ⅰ 2015年05月12日
https://blog.goo . . . 本文を読む
間違えて消してしまいましたので再送します。
前回は、石見一宮物部神社-諸塚山・高千穂峰の直線に対し直角となるのは吉備津彦神社と考えました。
そして、石見一宮物部神社→吉備津彦神社の延長線をみてみました。
その線は七里御浜とされる辺りに行き着きそうです。
七里御浜は
https://www.kankomie.or.jp/spot/1733
熊野市から紀宝町に至る約22Km続く日本で一番長い砂礫海岸 . . . 本文を読む
「神武東征」は神武天皇が西から東に向かいヤマトを征服した話です。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は部下の長髄彦(ナガスネビコ)を殺して、神武天皇に帰順します。
《『日本書紀』では長髄彦であるが、『古事記』では那賀須泥毘古、また登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記される。》ウィキペディア
なんとなく変な筋書きのような気がする人は多いでしょう。
. . . 本文を読む
前回は石見一宮物部神社から皇大神宮(伊勢神宮内宮)、高千穂峰までの距離は同一に設定されている、としました。
今回は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)から石見一宮物部神社までの距離は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)から鹿島神宮までの距離と等しい、ことがわかりました。。
また、石見一宮物部神社から鹿島神宮までの距離は石見一宮物部神社から平壌(ピョンヤン)までの距離とほぼ同じです。
だからどうなんだ、ですが、とりあ . . . 本文を読む