風子ばあさんのフーフーエッセイ集

ばあさんは先がないから忙しいのである。

お中元

2010-07-21 14:37:29 | 口は災いのもと
 本来、お中元とは目上の人や、お世話になっている人へのご挨拶である。
友だちどうしなら、暑中見舞いの方が堅苦しくない。

 今日、風子ばあさんは、親しい友に、お気に入りの水ようかんとゼリーの詰め合わせを送った。
 売り場を離れて歩きはじめたら、息を切らせて担当者が追ってきた。
 申し訳ございません、暑中お見舞いは間違いで、残暑お見舞いでした。
 彼女は、マニュアルともいうべき一覧表を手にしている。
どらどらと覗くと、なるほど、暑中見舞いに×印がついて、残暑見舞い、と太字で書いてある。
 いやあ、まだ七月ですからね、暑中見舞いでいいはずですよと、ばあさんは念のために、その一覧表を手にとって見せてもらった。
 少し読みにくい書式で、お中元を過ぎたら残暑見舞い……と書いてある。残暑の太字に彼女は反応しすぎたのである。
 いえ、まだ暑中見舞いでいいんですよと言うと わかりました、申し訳ありませんでしたと彼女は恐縮した。

 ここで終わらないところが風子ばあさんである。
あなた、よかったじゃない、これでひとつ利口になったのよ、と得意になって言ったのである。大きなお世話である。
 
 ついでに言えば、暑中見舞いから残暑見舞いに切り替わるのは、お中元をはさんで、ではない。立秋を過ぎれば、どんなに暑くても残暑なのである。
 この手のことに限れば、ばあさんたちはかなり詳しい。なんでも訊いてください。

 あ~ ふーふー。

110番

2010-07-20 16:23:52 | 時事
 暴力はいけない、まして無抵抗な赤ちゃんへの暴力など許されるわけがない。分かり切ったことである。
それを承知で、だが、しかし、である。
 
 少し前に、一歳児のわが子の後頭部を叩いたとして、三十代の夫が暴行容疑で逮捕されるという事件があった。
 110番したのは、同じ三十代の妻である。
夫婦喧嘩のあげく、妻への腹いせに子供を叩いたと夫は供述しているらしい。
 平手で一発とあるし、子供に怪我はなかったというから幸いである。

 おそらく、夫婦喧嘩のあげく、夫は、かっとして子供を叩き、妻もまた、かっとして、警察に言ってやるゥ!、とかいうことになったのであろう。
 夫は新聞に実名が出たから、会社も首になったかもしれない。いや、温情ある雇い主で、無事に勤務しておられることを祈る。
  
 暴力は悪い、悪い……が、何を隠そう、風子ばあさんだって、息子たちが小さかったころ、一度ならず、頭のひとつやふたつ小突いたことはある。
 夫は一一〇番をしなかったが、出ていけ! とは怒鳴った。
 今は、「出ていけ」も、言葉による暴力のひとつなのだという。

 風子ばあさんが、まだ可愛いフーちゃんだったころ、夫婦喧嘩のあとは、泣きながら実家の母に訴え、子供と一緒にデパートの食堂へ行き、気晴らしに美味しいものでも食べて、わざと夕方遅く帰ってきた。
 まだ、むっと怒った顔をした夫の、しかし、妻子が帰ってきたことで、内心、ほっとしたような、すまなそうな顔をみて、それでひとまず一件落着となったものである。
 
 なんでも警察沙汰というのもどうかと思うし、それがすぐに新聞沙汰になるのも、風子ばあさんはまたどうかと思うのである。

お客様は神様

2010-07-19 12:04:14 | 口は災いのもと
 通りかかった喫茶店の前で、若い男がチラシを配っていた。
 チラシを持って入れば、何パーセント割引というようなことだった。差し出されたチラシを受け取らずに、有難う、とだけ言って通り過ぎた。
 
 すぐに背後で、ありがとうは貰ってから言え、貰わないでありがとうなんて言うな! バカ! と声がした。

 なるほどなあ、上手いこと言うなと感心した。言われてみれば、その通りである。なんでもかんでも有り難う、なんていうのはかえって失礼な話だったかもしれない。
 
 けどなあ、それにしても、バカ、は余計だろう。
 
 お客さまは神様というのは古い話だが、店に入らなければ、お客様でないわけで、ありがとうの遣い方も知らないバカにバカと言って何が悪い……と言われればそれまでである。

東国原英夫知事

2010-07-17 12:09:03 | 時事
 基本的に、タレントが政治家になることには疑問を感じている一人である。
 そのまんま東氏が知事になったときも、醒めた目で見ていた。
 ひところ、彼が国政に食指を動かしているらしき記事を見ても、なにやってんだか……と批判した。
 しかし、今度の口蹄疫問題では,知事はよく頑張った。

 とくに、最後まで種牛を守ろうとした菰田さんの側にたって、国と対峙した姿勢は評価したい。

 七月八日にもここでふれたから、ちょっと省略するが、法は法でも、六月に出来たばかりの特措法での殺処分に私は納得できない。この種牛は健康なのである。ほかの飼育者も健康な牛を殺処分したというが、菰田さんだって、肥育牛は四〇〇頭の殺処分をしているのである。

 彼が、「今も納得できない」と言っているのは当然だろうと思う。だけど、これ以上、県民に迷惑をかけたくないから殺処分に応じることにしたという。

 これまで知事はなんとか菰田さんに寄り添おうとした。国の方針に従わず、断固、菰田さんを守ろうとした。知事は今も国の頑なさを批判しているが、涙を呑んだ。結果は殺処分に同意することになったが、その知事の姿勢がいくらかでも、菰田さんの慰めになったのではないかと想像する。

 それにしても、菰田さんって、男らしくてカッコいいじいさんだなあ。彼が映ると、テレビを食いいるように眺める風子ばあさんであった。
 あ、それから、タレント知事はどうも……などと言いながら、宮崎に旅行したときは、県庁舎前の知事の人型に並び、ハイ、チーズ! マンゴーも買って、立派なミーハーをしてきました。
 頑張れ! 菰田さん! 頑張れ宮崎! 頑張れ! 東国原!

水害

2010-07-16 11:33:33 | 歳月
 大雨による被害が各地で続出している。死者、行方不明者もいてまことに心が痛む。

 風子ばあさんも、その昔、荒川土手の氾濫による水害を経験している。
 昭和二十三年、ようやく疎開から東京へ戻ったばかりのころだった。
 小学生だった。
 すぐ下校するように言われて、川のようになった道路をじゃぶじゃぶと面白がって歩いた。
 
 またたく間に、床上浸水 仕事のある父をおいて、母と子供たちは埼玉の叔母の家へ避難した。
 父は、しばらく屋根の上で過ごした。仕事にはボートで通ったと聞く。

 着の身着のままで、叔母の家に着いた私たちは、いとこ達の衣類を借りて数日を過ごした。

 今のように、スーパーへ行けばすぐに衣類が手に入る時代ではなかった。
 日本中が、今日の食べ物にさえ困窮していた。パンツも配給だったと記憶する。

 それでも、一日二日は子供どうし、無邪気にはしゃいていたが、三日も一緒にいれば喧嘩になる。

 お互い、それぞれの兄妹どうしが固まって向きあった。
 ばあかあ、かばあ、ちんどんやあ……。
 そのあと、向こうのいとこが言ったのである。
 パンツ返せえ!
 私と妹は、いとこの下着を借りて穿いていたのだ。
 
 あのときは、悔しかったねえ、と今も妹と二人で思い出しては歯がみするのである。

少子化対策

2010-07-15 10:04:35 | 家族
 所用があり、思いがけず手間取った。
 夜の九時近くになってバス停に立った。情報システムの会社や、医療、マスコミ関連などのビルが建ちならぶオフィス街である。周りでバスを待つのはほとんど若い男性だった。

 満員のバスの中も男ばかりで、みんなひどく疲れた顔をしていた。ばあさんに席を譲ってくれる気配など、微塵もなかった。
 それはいい、風子ばあさんはこう見えてもまだまだ元気である。
 ばあさんの心配はほかのところにある。

 彼らはバスのその先もまだ電車に揺られないといけない。
 これから家に帰りつけば十時だろうか、十一時だろうか。
 帰りつけば、食事もしなければならない、風呂も入らなければならない、ちょっとはテレビも見ないと世間の話題についていけない。忙しいよねえ。

 政府は少子化対策、少子化対策というけれど、ことは簡単な話である。この男たちを早く家に帰らせればいいのである。
 定時の五時きっかりに帰らせる、夕飯を食べてもすることがない、早く寝ようか、ということになる。 

 五時にみんなを退社させて仕事が終わらないのなら、ハローワークにすぐ電話して、社員をふやすべし!
 すなわちワーキングシェアである。
 
 昔から、貧乏人の子沢山というではないか。貧乏では困るが、するべきことには、それなりの時間がかかるのである。
 疲労困憊の男どもに囲まれて、ばあさんはいらぬ思案をしながらため息をつくのである。

ホームレス

2010-07-14 21:33:52 | 時事
 昨夜、友だちと、喫茶店に寄った。
 まもなくオーダーストップの時間で、店内は私たちだけだった。
 お喋りに夢中になっていたところ、プーンと異臭がして、顔を上げると、紙袋と手さげを両手に提げた、あきらかにホームレスとわかる男性が入ってきた。
 
 店員は、マニュアルどおりに、いらっしゃいませ、と言い、彼に水を差しだした。
 彼は、ほっとしたように、深く椅子に座り直した。
 ひげも、髪も伸びきっていて、コーヒーを待つ間も、激しい咳を繰り返した。
 
 店内は冷房がしてあるが、それでも七月のこの蒸し暑さだ。
 私たちも店員も半袖を着ているのに、ホームレス氏は、ネズミ色になったカッターシャツに撚れて細くなったネクタイをしている。背広まで着ている。
 
 ネクタイと背広、彼は今も、サラリーマンの制服のままのホームレスなのである。
 
 哀しいじゃないか! 

 年俸が億を超えている社長さんの会社は、派遣や臨時雇いをやめるべきである。下々までを正社員に出来ない社長は、億の年俸をもらってはいけない。
 即刻、分配すべし!

自転車泥棒

2010-07-13 13:43:43 | 時事
 ほんのちょっと、のつもりで、スーパーの駐輪場に鍵をかけずに自転車を置いた。
 数分後に戻ったら、なくなっていた。

 警備員に言ったら、交番へ届けたほうがいいというので、最寄りの交番で被害届を出した。
 自転車のメーカーは? ナンバーは? と訊かれても、自分の自転車なのに、これが分からない。
 
 で、販売店に電話して、教えてもらった。
 販売店のご主人は、多分、ちょい乗りですよ、出てきますよ、一週間ほど待ってごらんなさいと言った。
 
 さ~すがあ。
 出てきました。丁度一週間後に。
 前輪に電話番号を書いていたので、知らせてくれた人がいて、取りに行った。
 やれやれ……。 
 
 どうしようかと迷ったが、ま、念のためと、交番へも報告の電話をかけたら、お巡りさんがすぐに飛んできた。

 被害届の解除が必要で、もし、それをしないで乗っていたら、自分の自転車でも、盗難車に乗っていることになるのだそうである。
もう一度、やれやれ。

句会

2010-07-12 08:57:29 | 歳月
 風子ばあさんが、まだ若くてフー子さんだった頃の話である。
 フー子さんは銀行に勤めていた。妹のビンちゃんは証券会社に勤めていた。
 
 母と仲の良い叔父が亡くなり、母はひどく力を落としていた。なんとか元気づけようとビンちゃんが思いたったのが、母に俳句指導をさせてみたら……ということだった。
 母にも、フーちゃんにも相談なしで、ビンちゃんは新聞に生徒求む、の三行広告を出してしまった。
 
 話を聞いた母が、マア、とあきれているうちに、生徒第一号から電話がかかった。何だかよくわからぬままに、では、×日×曜日にと句会の時間が決まってしまった。

 その×日までに、まだ誰か入会希望者から電話がかかるかと期待したのは、甘かった。
なにせ、母は、どこかの句会には在籍しているが、ときには新聞の投句欄に掲載されて喜ぶという程度のレベルなのであった。
 
 言いだしたビンちゃんは、責任上、生徒になりすまして、その日、そこに座ることになり、お姉ちゃんもつきあいなさい、ということになった。まだ人数が足らないので、わざわざ埼玉から叔母も呼んだ。
 
 当日、母は、にわか先生、こちらの三人は、お互い赤の他人の生徒を演じて、取り繕った声で、母を「先生」と呼んだ。母もビンちゃんのことをビン子さん、と気取った声で呼んだ。

 田園調布にお住まいの生徒一号さんは、上品に句会を楽しみ、お帰りになるとき、みなさん、ご姉妹、よく似てらっしゃいますこと、仲良くて結構ですね、と微笑んで帰られた。
 母はもういないが、齢をとって、とみに顔が似てきたビンちゃんと、どう考えたって、あれは無理だったねえ、と今になって思いだし笑いをするのである。

いまどきの若者

2010-07-11 17:32:40 | ほのぼの
 三丁目で下りるところを、乗り過ごしてしまった。
 義姉の入院している病院へは、何度か来ているが、下りたバス停が違うので、ちょっと迷った。
 通りかかった、旅行用のカートを引いた若い女性に道を尋ねた。
 立ち止まって、ちょっと、考える顔をした彼女は、ついて来てください、と歩きはじめた。
 ご旅行でしたか? と訊くと、ええ、壱岐まで行ってきました、という。何か美味しいものがありましたか……、あ、雲丹とかサザエですね、という会話があった。
 道を曲がったところで、彼女は携帯電話を取り出した。
 それまで機嫌よく喋っていた彼女は、急に黙ってしまい、歩きながら、一心に携帯の画面を眺めた。
 メールかあ、と思った。ま、いまどきの若者だものね、それに、こちらは、連れというわけではないから、彼女が、会話を中断してメールをしたって、咎める筋じゃないものね、とひたすら彼女の後ろを歩いた。
 また、角を曲がった。
 あ、ありました、あれです、と彼女は携帯から目をあげて、目的の病院を指さした。
 彼女は、たまたま道を尋ねたばあさんに、親切に、携帯で検索しながら病院まで案内をしてくれたのである。
 ありがとう、そして、どうもすみませんでした。