美しい国からの転載です。
古雑誌のコラムから引用です。
明治天皇様は、和歌のことを「しきしまのみち」とお呼びになった。
私は浅学でよくわからないが、「しきしま」という言葉の起こりは、欽明天皇が大和の磯城嶋に皇居をさだめられた時だそうである。そこから「しきしまのやまとの国」という言葉が生れ、『万葉集』では「しきしまの」が「やまと」の枕言葉として何度も出てくる。はじめは「やまと」という地方の名だったが、やがて日本のくにのことになると同時に、「しきしまの」も日本の枕言葉になる。『万葉集』にある有名な
しきしまの やまとのくには ことたまの たすくるくにぞ
という言葉は、「しきしまの」が日本国の枕言葉になっている。そうして、次には「しきしまの」が単独で「やまとの」(日本の)の意味になった。だから、「しきしまのみち」は、「日本国の道」ということだ。
そうしてこの日本国の道が和歌なのだ。これは考えてみると、じつに大へんなことである。正月の元旦に明治神宮にお参りすると、(中略)。その行列に身をおいて、玉砂利の音もすがしく歩を進めると、いつも「しきしまのみち」という明治天皇さまのお言葉が心に浮かんでくる。明治天皇さままでは、やまとのくに日本の道は、やまと歌(和歌)だったのだと思う。これは大へんなことである。漢語の「道(どう)」は、なんとなくいかめしいが、日本ではその道(みち)が歌だったのである。
いまは和歌を和歌といわずに短歌というが、どうも今の短歌は、日本の道と縁がうすれているように思われる。むろん『万葉集』に長歌があり、これにたいして短歌というなら、それでよいわけであるが、そうであれば双方とも日本の道でなければならないのである。ところが、今の短歌には「みち」の感じ方が行方不明になっている。つまり、それは明治天皇の「しきしまのみち」を遠く離れて、ただの趣味や慰みのわざに落ち、せいぜい浅い意味での風流になっている。
趣味でもよし、慰みでもよし、風流でもよい。それらを、かたくなに排除すると歌にならないが、それでもそこに、おのずから「みち」の感じ方があって、その趣味も慰みも風流も心の向上の働きになっていないと、この頃の新聞の歌壇みたいに、多くは小才のきいた、ちょいと面白いというだけのものになる。
これのみぞ 人の国より 伝わらで 神代を承けし 敷島の道(千載集)
こうした歌の伝統が歴代天皇の御製の核心だった。これだけが人の国からきたものでなくて神々から受け継いだものだ。それが敷島の道すなわち和歌だという心である。
明治天皇の「道」と題する御製は、明治三十九年の御作であるが
ひろくなり 狭くなりつつ 神代より たえせぬものは 敷島の道
とある。この道は広くてそこを通る人が多いときもありまた仏教や儒教に道をけずられて狭くなり、そこを通る人が少なくなることもあったが、神々の御代から一貫して断絶しないもの、これぞ敷島の道であると詠みいでたもうたのである。
道であるから、そこを歩いて行くのでなくてはならない。傍観して眺めているだけでは、この道につながらないのだ。敷島の道は、日本の学問、本居宣長の言葉で言うと「もの学び(まねび)」の核心である。同じく「道」と題する翌明治四十年の御製には、この心を次の一首に表現したもうた。
いとまあらば ふみわけて見よ 千早ぶる 神代ながらの 敷島の道
ふみわけて見るのは、「もの学び」である。この道をふみわけて学んでゆけば、千早ぶる古えの神々の源流につながるというみこころが、いとおおらかに、青空の澄みわたるような調べの中に現れている。
天皇の御製は、このように、さらりとして、すこしの滞りもない。不思議なことに、このような歌なら、誰でも作れそうに一応は思えるのだが、さて実践してみると、われわれが逆立ちしてもこうした格調は生まれてこないことがわかる。
じつに不思議なことであって、これに気づいた人は、かつて「天皇調」と言ったことがある。天皇の御製は別格で、苦心のあとが微塵もないのに、その調べは比類なくて、洋々として広く打ちひらけている。国民の誰にでもよくわかるけれども、そのおおらかな歌境はわれらが骨身をけずるように苦心して詠んでみても遠く及ばないのだ。やはり天皇調というものがあって、天皇さまでなくてはそこへ到り着くことができないかと讃嘆せずにはいられない。昭和の御代の今上陛下の御製も、その格調において明治天皇のそれと変わるところがない。
歌が「神代を承けし」ものといい、「神代よりたえせぬもの」といい、「神代ながら」のものとあるのは、やまと歌の起こりが須佐男命(すさのおのみこと)の「八雲立つ」の歌に始まることをふまえたものである。それは民族の古典『古事記』と『日本書紀』に見える一首で、私などがしずかにこれを拝誦すると、その雄渾無双の調べに魂が打ちふるえる。それは、愛する后と共にお住みになる宮居を建てる喜びと妻恋いとを一つにした歌であるが、それがそのまま天地の精気を一点に引き寄せる縹渺たる神韻を成している。
八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を
やまたのおろちを退治するつるぎを持った民族の大英雄こそ、わがやまと歌の始祖だったのである。世界史上にも類のない正義の「みいくさ」、日露の戦いに勝利して、襲いかかる帝国主義の妖雲を打ち払った大帝こそ、わがやまと歌の言霊の道に生涯を貫き通した民族の歌聖だったのである。
悠久の古えから今に至るまで、剣魂はすなわち詩心である。軍神はすなわち歌神である。
見るがよい、「護国の神剣」をみずから放棄した敗戦虚脱の日本では、詩心もまた衰頽して低俗の歌謡と卑猥の文化が横行し、その低下は滔々としてとどまるところがないのである。
五七五七七の和歌の姿かたちは、わが民族の息吹をつくり、かため、なした詩形であって、日本民族の目が青くならないかぎり、日本人の皮膚が白くならないかぎり、決して改変することはない。自由律などと誇称してこの音律の破壊を試みる者が過去にもあったし今もあるが、よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)のように、いつのまにか消え失せている。それは日本人の美意識の奥底にふれるリズムの力を持ち得ないからだと思う。
明治天皇さまは、世の人心が怒涛の勢いに呑まれて西洋かぶれして、このままでは遠からずして日本の日本たる本質、日本人の日本人たる所以のものが失われると、非常に御心配になった。このことは明治十九年に書かれた元田永孚の『聖喩記』にあり、今も心ある人の恐懼措く能わざるところである。陛下が東京帝国大学をつぶさに御視察になって、大学には理科、化学、植物学、医科、法科などはあるが、大切な「修身の学科」が見当たらない。身を修める学問はどこでやっているかと御下問になった。
大学は高等の人材を養成することろであるが、その肝腎な学科がないのは憂うべきことである。このことについては徳大寺侍従長に命じて渡辺東京帝国大学総長に解答を求めねばならぬ、と仰せ出された。この経緯が、『聖喩記』―陛下のお喩し(おさとし)二ついて謹記した元田永孚の―文章に詳しく書かれている。
この御心配は、その後もずっとつづいた。明治四十三年の御製の中に、次の一首があって、胸の痛む思いがするのである。
教草 しげりゆく世に たれしかも あらぬこころの 種をまきけむ
学校では、いろいろの教科を教えて、いよいよ茂り栄えてゆく今の世に「たれしかも」……誰であろうか、あらぬこころの種をまいて邪道をはびこらせる者は、という大御心で、そこには陛下としてはめずらしい憤りの色が現れている。
ひるがえって、今日の日本は、あの頃とは比較にならぬほど、あらぬ心の種をまきちらす者が多くなって、八重むぐらなして繁茂し、さ蠅なし蛆たかる世の姿である。
短歌はあるが、しきしまの道は衰える。魂を浄め、人のまことを表現する日本の学問の核心をなす和歌というものが、なんとなく変質してしまったように見える。しかし、それでも今の日本の国民(常民)が短歌の世界を捨てないのは、まだ望みがあるということもできるだろう。なぜというに、五七五七七の調べに身をおくと、知らずして人の心をまことにするよすがになるからである。
中略
振り返ってみると、小学校で歌の言葉の意味を教えてくれる先生は、ほとんどなかった。本居宣長の
しきしまの やまとごころを ひととはば 朝日ににほふ やま桜花
という歌を教えられ、暗誦させられたが、「しきしまの」も「にほふ」も、よくわからずじまいだった。「しきしまの」は何のことやら、「にほふ」は鼻で嗅ぐことかどうか、わからないまま大人になってしまったわけである。
しかし、そこは日本だ。わからぬまま、なんとなく歌の心だけは肌で感じたし、その感じは、やはりいつまでも残って魂に浸み込んでいたように思う。
中略
話は横道にそれるが、小学校では数え歌を習った。「六つとや、昔をかんがえ、今を知り……」という文句あれを歌うと東京の良家の娘たちがくすくすと笑って、なかには逃げ出すものもいたと聞く。東京人は「を」の発音ができずに「お」という。今や、その発音が標準語のなかにも入れまじって私の名前「忠雄」を「ただを」と書かないで、「ただお」と書かされる。そんな調子だから、「昔を考え、今おしり」になると、娘たちでは「お尻」になる。恥ずかしくもあり、おかしくもあり、声張り上げると堪え難かったらしい。「いまおしり」だから、今お尻を出すのか一層恥ずかしいのだった。
「朝日ににほふ」がわかったのは、二十代になってからで、『万葉集』の「むらさきの にほへる君」という言葉に出逢ったときだった。あれは天武天皇が額田女王に呼びかけられた相聞の歌で、彼女の美しさを最高に讃えられた一首だから、好奇心をそそられて辞書をひいたうえで、むらさきの色は古代日本人の最も愛した色で、その美しい色が照り映える君ということだと知った。「にほふ」は照り映えると解して一応よろしい。しかし「にほふが如き君なりき」というとき、それだけではまだまだ尽きないようだ。そこが「言霊」であって、「にほふ」はあくまで「にほふ」で、ほかの言葉には代えられない。だから、先生たちが暗誦させて言葉に親しみを持たせるだけにして、意味の説明を省略されたのは、そうした一大見識だったのかも知れない。
一大無知によるものであったのか、一大見識によるものであったのか、わからないことにしておくのが今の私の心境である。
つくづく思うことだが、「むらさき」の色の美しさは、本当には昔の歌でわかる。古代の「むらさき」は今の「紫」とはちがうようである。くわしくは言わないが、今の原色のけばけばしいアメリカ人好みの色とは似てもつかぬ色だ。戦後の電車やバスの色の原色を使った野蛮な色には、ほとほと絶望して、ああいう野蛮な色を毎日見ていたら、いくら日本の道だの日本への回帰などを説いても、それは日々の生活の側面から打ちこわされると嘆息しつづけるのだが、最近になると、やっぱり本来の色に復る兆しが見える。日本人は古代の昔からあんな野蛮な色を本来は好まないからである。
私は「天皇論」に行く前に、天皇の御製に親しむ方がよいと思っている。民族論をやる前提として、古代中世近世のすぐれた歌に親しむ方が先だと思っている。むらさきの花の美しさがわかれば、本来の日本人になれるからである。
月や花を見るというが、月や花がわれわれを見ているという世界がある。一方交通でなくて、たがいに感じ合うのだ。それが日本の歌である。古人が「感応道交」といったのがそれで、さ渡る風や谷川のせせらぎが私たちに真理を語っているのだ。その真理の体得には、日本の和歌を中心とするが最も親しいと思う。明治天皇さまの御製をつつしんで拝誦しよう。
ことのはの まことのみちを 月花の もてあそびとは おもはざらなむ
月を詠み、花を詠むのは「しきしまの道」であって、「もてあそび」ではない。それは日本人が本当の日本人になる学びの道だとの大御心である。
近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。橋下知事、日教組を相手に頑張っています。日教組の反日教育は異常です。何しろ、日教組の辛抱する一番の思想は、北朝鮮の主体思想だと、内部文書に書いてあるのですから。それに今はどうかわかりませんが、以前はよく北朝鮮に研修に行っていましたしね。一体どこの国の教員だか分りません。
子供達を祖国嫌いにする日教組、祖国が嫌いになるように育てられた子どもが、同じ日本人同士で助けあうという温かい社会を築けるはずがないです。社会を敵視し、自分より上の立場の人間への反抗心が強い人間を育てることになり、結局社会への適応ができにくい人間になってしまいます。革命の戦士にするにはもってこいでしょうが。
子供達をそんな人間にしてはなりません。自分の中に流れる日本人のDNAに誇りを持ち、社会へ貢献したいと考えるようなプラス思考の人間に育てるには、自分の存在を支える根っこの部分、家族、祖先、祖国、日本という国の歴史、そうしたものに愛情を持たなくては、自分自身をしっかりと肯定する気持ちにつながりません。自分を肯定できない人間は、他人を愛することができません。
転載開始
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良識ある日本国民の皆様には、大阪府の教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例案を日弁連が違憲との声明を出したのはご存知だと考えます。 |
「起立強制条例案は憲法違反」 日弁連会長が声明で批判 |
大阪府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」の府議団が成立をめざす教職員に(朝日新聞)
君が代の起立斉唱を義務化する条例案について、日本弁護士連合会は26日、
宇都宮健児会長名で「起立・斉唱を強制することは憲法の思想・良心の自由を侵害する」
などと批判する声明を発表した。 声明は「教育の内容と方法に対する公権力の介入は抑制的であるべきという
憲法上の要請に違反するもので看過できない」と主張。橋下氏が強調する
「公務員組織の規律の厳格化」については「教職員は(憲法上)『全体の奉仕者』だが、
職務の性質と無関係に一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠とならない」
と批判。府議会に条例案を可決しないことを求めた。
http://www.asahi.com/national/update/0527/OSK201105270001.html
>日本弁護士連合会は26日、宇都宮健児会長名で「起立・斉唱を強制することは憲法の思想・良心の自由を侵害する」 |
橋 下徹知事が率いる「大阪維新の会」の府議団が成立を目指す、府内の公立学校の教員に対して「式典での君が代の起立斉唱を義務化する条例案」には、教職員組 合などが「公教育への介入、教職員への思想統制」と反発を強め、橋下知事は「起立は府民感覚として当たり前。国旗、国歌を否定するなら公務員を辞めればい い」と述べ、職務命令違反を繰り返した場合に「最後は免職処分」とする方針を示して騒動となっていますが、24日の「大阪弁護士会」に続いて「日本弁護士 連合会」までが「違憲」だと騒ぐのは間違いです。 |
憲 法で「思想と良心の自由」の「侵害」は禁止されていますが、法令や職務命令に基づいて一定の「行為」を命ずることと「思想・良心の侵害」とは別なので、 「思想と良心の自由」の「制約」は正当ですし、法律が国民に対して制約(国民の義務)を課している場合には、「個人」としての思想・信条と異なるもので あっても「国民」は従わなければならないので、例えば、納税など不要であるとの思想の持ち主がいたとしても、当然納税の義務を果たさなければならないの で、もし国民一般に課せられた法的義務を、思想、良心の自由を理由に拒否することを認めたら、法治国家として日本は崩壊します。 |
「地 方公務員法」第32条では、「職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上 司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定められ、校長が教職員に国歌斉唱を命じても「思想、良心の自由の侵害」とならないことは、すでに「福 岡地裁判決」(平成17年4月26日)でも認めて、「君が代」のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令は合憲で、職務命令を拒否したことを理由にしての懲戒処 分は正当とする「最高裁判断」(平成19年年2月27日)が出ています。 |
>「教育の内容と方法に対する公権力の介入は抑制的であるべきという憲法上の要請に違反するもので看過できない」 |
>「教職員は(憲法上)『全体の奉仕者』だが、職務の性質と無関係に一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠とならない」と批判。府議会に条例案を可決しないことを求めた |
憲 法15条2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と定められていますし、これまでにも日教組は地方公務員である教職員が 「地方公務員法第37条」により「いかなる争議行為も禁じられている」のにストライキを行っているのですから、公務員の憲法上の権利を制限するのに反して いるのは教職員の方で、教育の場で絶対的権力を持つ「教職員」こそが「公権力」と同等の立場にあります。 |
特 に「日教組」や「日弁連」など権力を持つ団体が教育に介入するのは問題で、行政(大阪府)は教育を受ける権利を有する国民(府民)の代表ですから、その責 任は国民(府民)の支持に基づいて執行していますし、法曹界において、国籍条項には「公権力の行使、及び公の意思形成の参画に携わるものは、日本国籍を必 要とする」とあるので「日本国民以外」は「裁判官」・「検察官」になれませんが、日弁連には「在日韓国・朝鮮人の弁護士」がいます。 |
私 は本ブログで再三再四、赤い悪魔集団である「日本教職員組合」(日教組)について記事としていますが、日教組は、国旗「日の丸」・国歌「君が代」を否定し て、日本の「歴史」・「伝統」・「文化」・「風土」などを根底から否定した「反日教育」を行っていますし、文部科学省は1月13日に「公立学校の教職員」 のうち「日教組に加入している教職員の割合」(昨年10月時点)は、前年比0.5ポイント減の「26.6%」と発表して、公立学校の教職員の「4人に1人 は日教組の教職員」です。 |
日 教組の牙城である「H20」と呼ばれるのは「北海道」・「広島県」・「大分県」で、文科省は「国旗も国歌もほぼ100%、学校での国旗国歌の指導は定着し た」と、2003年度から「公立小中高校の卒業・入学式での国歌斉唱率と国旗掲揚率の調査」を中止しましたが、「大分県」の教育関係者らの民間教育臨調が 県内の小中学校(95校)を対象に昨年実施した保護者アンケート調査によると、生徒が国歌をきちんと歌った学校は「26%」しかなく、半数近くの学校は 「国歌のテープ」が流れるだけで斉唱はしなかったとの結果でした。 |
大 分県の教員はさらに酷く「斉唱」したのは「8%」だけで、「校長ら管理職以外は誰も斉唱しない」が「66%」もですが、日教組などが進める「平和教育」の 影響が大きく、「大分県教組大分支部」の平和教育小委員会は2002年に、小1~中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系 統表」を作成して、現場の教員に配布して生徒に指導していました。 |
小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちが
いることを知る 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人も
いることを知る 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、
日本中で戦意を高揚させていたことを知る 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、
法制化された経緯を知り、問題点を考える 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える
↑ 日教組など反日教師の「君が代指導 実践例」~「小4」 在日韓国人「君が代」は歌えませんの投書(朝日新聞)を読ませる。「小5」 朝日新聞の批判記事を読ませる。「小6」 「君が代」を戦争と関連付けて教える。 |
日教組は常日頃「人権」を主張するのに「北朝鮮の国家的テロ犯罪」である「日本人拉致被害者問題」には抗議もせず、日教組は「北朝鮮を地上の楽園」と仰いでおり「北朝鮮系」の教師や、「総連」や「」関係者も多いのです。 |
日教組に朝鮮総連 |
数 年前、逗子で行われるはずの櫻井よしこ氏の講演会が日教組の横槍で中止になった経緯がある。K.S社長は櫻井氏の講演会を楽しみにしていただけに、中止に 対して不満であった。彼は早速横浜の日教組に電話を入れ、高橋事務局長に抗議した。彼の質問に答えきれなくなった高橋氏は「今、朝鮮総連の人がいるから代 わります」と言った。 |
朝 鮮総連の某氏は従軍慰安婦、創氏改名、強制連行など、「過去の日本が犯した悪徳」をK.S社長に説いた。しかし歴史に詳しいK.S社長の反論に答えられ ず、今度は「の人に代わります」と言った。何故日教組に朝鮮総連やの人達がいるのか。K.S社長は驚きを隠せなかったと述懐する。 |
http://www.fides.dti.ne.jp/~shinwa/column/shuukannkoramu/75.htm
大阪府の橋下徹知事の、教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例案を思想・良心の自由を侵害だと、憲法違反とする日弁連は間違いで、国旗国歌を否定する日教組の教員を免職処分にすべきです。 |
良識ある日本国民の皆様、国旗・国歌を否定する日教組についてご考慮下さい。 |
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24日、天皇陛下はお田植えをなさいました。日本書紀では、天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあるそうです。神代の時代から、神々も自ら勤労されて、祭りを行われました。その伝統を天皇陛下も大切に受け継がれ、長靴を履いて、毎年神田にお田植えをされます。秋には稲刈りもされ、その収穫したお米で、新嘗祭を行われます。
世界の元首の中で、このような農業などの勤労をされるのは天皇陛下だけです。祭祀王として神代から続くわが国の天皇陛下の存在意義が良く現れたお姿です。これについて美しい国 にとてもわかりやすい記事が書かれています、 また、 公立中学校教員のブログ にも教育の視点から同じニュースを取り上げておられますので、両方転載します。
「美しい國」から転載開始
これこそが我國のお国柄を現しています。
昭和天皇の御製に、
転載元: 美しい国
公立中学校教員のブログから転載開始
茶色の開襟シャツ姿の陛下は、長靴を履いて水田に入り、うるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチの苗計100株を1株ずつ丁寧に植えていた。
植えられた苗は9月ごろに陛下が稲刈りをし、米は新嘗(にいなめ)祭などに使われる。(2011/05/24-18:29)時事ドットコム
転載元: 公立中学校教員のブログ
美しい国 からの転載です。戦後の日本の教育は他の自由主義陣営の国とは大違いでした。日本の教育のお手本は、共産主義国家だったのです。
社会主義国家など全体主義国家では、個人がばらばらになるように仕向け、家族や共同体としての結びつきを希薄にすることで、国民を服従しやすくするのです。そして、また宗教は、同様に、国民の絶対服従には邪魔ですから、教育から排除されます。まさに共産主義の教育をお手本にしていたのです。
GHQには、近年解読されたベノな文書というソ連のスパイの暗号通信の記録によると、GHQには、アメリカ国内の共産主義者が多くいて、ソ連からの支持で動いていたという話もありますし、やがては日本を赤化してソ連の属国にする予定もあったようですから、これは当然かも知れませんね。
戦後教育(八)愛国心・宗教・規律を教えない戦後教育
転載元: 美しい国