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皇室を宗本家とするお国柄

2011年05月29日 18時08分03秒 | 現代日本

美しい国からの転載です。

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我國の歴史は、神代の時代から皇室の歴史です。
また、天皇陛下の権威を否定したならば、いかなる政権の権力者も公共性、正統性も成り立ちません。
それは、政権の権力者の系譜が証明しています。
平安時代に権勢を誇った藤原氏は、元は中臣氏であり、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖とします。この氏神は、皇室の祖先神・天照大神に仕えたと、古事記等に記されています。それゆえ、藤原氏は、いかに権勢を極めた時にも、あくまで皇室に仕えるという立場は普遍でした。
武家政権の元祖たる、平氏は桓武天皇を祖とし、鎌倉幕府を開いた源氏は、清和天皇を祖としました。
これは各地の豪族にもあてはまり、家の誉れとしました。また徳川氏は、皇室の分家・源氏の流れを汲むことを、武家の棟梁にふさわしい由縁としました。
ゆえに、皇室が自分の家の本家のようなものであるとすれば、皇室に歯向かうことは、自分の祖先の意に反することになります。「公」である天皇・朝廷に対し、朝敵となることは、大罪と意識され、「私」の専横への強い自制が働いたものと思われます。
今日数ある姓氏の由来を調べてみると、多くの家が、皇 室を宗本家とした本家・分家に由来し、藤原氏・橘氏・源氏・平氏などから分かれたものと伝えられます。藤原氏からは、足利国佐野の佐藤氏、伊勢国の伊藤 氏、加賀国の加藤氏、近江国の近藤氏などの家が分かれました。もとの藤原という姓氏と、地名の一部とが合体して、名字が作られました。
また、源氏からは、新田、今川、秋山などが分かれました。村岡、相馬、梶原などは平氏の末裔です。
 
ご存知のように、日本には、たった一つ名字のない家があります。それが、皇室です。
家と呼ぶにには畏れ多いですが、皇室に姓がないということは、本家中の本家、やまと民族の宗本家であることを意味します。
日本人の名字は29万もあるといわれます。日本の多くの家は、この皇室を中心とした本家・分家・別家の系統に連なり、あるいは、そうでなくとも、長い年月の中で、皇室の系統となんらかの親族関係を結んできたと考えられます。
この記事をご覧いただいている貴方にも、二人のご両親がいます。
ご両親には4人の親がいます。こうして遡ると、28代で現在の日本の総人口を越えてしまいます。
昔の日本の人口は、現在よりもっと少なかったわけですから、今の日本人は、どこかで共通の先祖を有するのです。
また、皇室とも連なると考えられるのです。
親、先祖を敬い、孝養をつくすことはすなわち、皇室に忠義を尽くすことと同じことなのです。
我國は、一大家族的共同体としての「公(おおやけ)」つまり「大きな家)」を基盤とした神武天皇の建国の詔にある、「八紘一宇」の精神こそがお国柄であると思います。
 
我々の祖先が、こうした家族的なつながりの意識を共有しつづけてきたことが重要なのであり、そこに、「宗本家と分家」「父と子」の関係が長い歴史を貫いて保たれてきたことが大事なのです。
 
現在、民主党などが、画策している諸政策は、神代の時代から連綿と続いてきたお国柄を否定し、我國を間違った方向へと導こうとしています。
日本は日本人の為にあります。
そして、今生きている、現世の国民だけのものでもありません。
神代の時代から、皇室とともに歩んできた、先人、祖先、そして未生の子孫の為にあるのです。
 
 
 
 
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
転載終わり
 

日本のみちと和歌

2011年05月29日 18時02分06秒 | 現代日本

古雑誌のコラムから引用です。

 明治天皇様は、和歌のことを「しきしまのみち」とお呼びになった。

 私は浅学でよくわからないが、「しきしま」という言葉の起こりは、欽明天皇が大和の磯城嶋に皇居をさだめられた時だそうである。そこから「しきしまのやまとの国」という言葉が生れ、『万葉集』では「しきしまの」が「やまと」の枕言葉として何度も出てくる。はじめは「やまと」という地方の名だったが、やがて日本のくにのことになると同時に、「しきしまの」も日本の枕言葉になる。『万葉集』にある有名な
  しきしまの やまとのくには ことたまの たすくるくにぞ
 という言葉は、「しきしまの」が日本国の枕言葉になっている。そうして、次には「しきしまの」が単独で「やまとの」(日本の)の意味になった。だから、「しきしまのみち」は、「日本国の道」ということだ。
 そうしてこの日本国の道が和歌なのだ。これは考えてみると、じつに大へんなことである。正月の元旦に明治神宮にお参りすると、(中略)。その行列に身をおいて、玉砂利の音もすがしく歩を進めると、いつも「しきしまのみち」という明治天皇さまのお言葉が心に浮かんでくる。明治天皇さままでは、やまとのくに日本の道は、やまと歌(和歌)だったのだと思う。これは大へんなことである。漢語の「道(どう)」は、なんとなくいかめしいが、日本ではその道(みち)が歌だったのである。
いまは和歌を和歌といわずに短歌というが、どうも今の短歌は、日本の道と縁がうすれているように思われる。むろん『万葉集』に長歌があり、これにたいして短歌というなら、それでよいわけであるが、そうであれば双方とも日本の道でなければならないのである。ところが、今の短歌には「みち」の感じ方が行方不明になっている。つまり、それは明治天皇の「しきしまのみち」を遠く離れて、ただの趣味や慰みのわざに落ち、せいぜい浅い意味での風流になっている。
趣味でもよし、慰みでもよし、風流でもよい。それらを、かたくなに排除すると歌にならないが、それでもそこに、おのずから「みち」の感じ方があって、その趣味も慰みも風流も心の向上の働きになっていないと、この頃の新聞の歌壇みたいに、多くは小才のきいた、ちょいと面白いというだけのものになる。

これのみぞ 人の国より 伝わらで 神代を承けし 敷島の道(千載集)


こうした歌の伝統が歴代天皇の御製の核心だった。これだけが人の国からきたものでなくて神々から受け継いだものだ。それが敷島の道すなわち和歌だという心である。

明治天皇の「道」と題する御製は、明治三十九年の御作であるが

 
ひろくなり 狭くなりつつ 神代より たえせぬものは 敷島の道

とある。この道は広くてそこを通る人が多いときもありまた仏教や儒教に道をけずられて狭くなり、そこを通る人が少なくなることもあったが、神々の御代から一貫して断絶しないもの、これぞ敷島の道であると詠みいでたもうたのである。

道であるから、そこを歩いて行くのでなくてはならない。傍観して眺めているだけでは、この道につながらないのだ。敷島の道は、日本の学問、本居宣長の言葉で言うと「もの学び(まねび)」の核心である。同じく「道」と題する翌明治四十年の御製には、この心を次の一首に表現したもうた。
いとまあらば ふみわけて見よ 千早ぶる 神代ながらの 敷島の道


ふみわけて見るのは、「もの学び」である。この道をふみわけて学んでゆけば、千早ぶる古えの神々の源流につながるというみこころが、いとおおらかに、青空の澄みわたるような調べの中に現れている。

天皇の御製は、このように、さらりとして、すこしの滞りもない。不思議なことに、このような歌なら、誰でも作れそうに一応は思えるのだが、さて実践してみると、われわれが逆立ちしてもこうした格調は生まれてこないことがわかる。
じつに不思議なことであって、これに気づいた人は、かつて「天皇調」と言ったことがある。天皇の御製は別格で、苦心のあとが微塵もないのに、その調べは比類なくて、洋々として広く打ちひらけている。国民の誰にでもよくわかるけれども、そのおおらかな歌境はわれらが骨身をけずるように苦心して詠んでみても遠く及ばないのだ。やはり天皇調というものがあって、天皇さまでなくてはそこへ到り着くことができないかと讃嘆せずにはいられない。昭和の御代の今上陛下の御製も、その格調において明治天皇のそれと変わるところがない。
歌が「神代を承けし」ものといい、「神代よりたえせぬもの」といい、「神代ながら」のものとあるのは、やまと歌の起こりが須佐男命(すさのおのみこと)の「八雲立つ」の歌に始まることをふまえたものである。それは民族の古典『古事記』と『日本書紀』に見える一首で、私などがしずかにこれを拝誦すると、その雄渾無双の調べに魂が打ちふるえる。それは、愛する后と共にお住みになる宮居を建てる喜びと妻恋いとを一つにした歌であるが、それがそのまま天地の精気を一点に引き寄せる縹渺たる神韻を成している。

八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を


やまたのおろちを退治するつるぎを持った民族の大英雄こそ、わがやまと歌の始祖だったのである。世界史上にも類のない正義の「みいくさ」、日露の戦いに勝利して、襲いかかる帝国主義の妖雲を打ち払った大帝こそ、わがやまと歌の言霊の道に生涯を貫き通した民族の歌聖だったのである。

 悠久の古えから今に至るまで、剣魂はすなわち詩心である。軍神はすなわち歌神である。
 見るがよい、「護国の神剣」をみずから放棄した敗戦虚脱の日本では、詩心もまた衰頽して低俗の歌謡と卑猥の文化が横行し、その低下は滔々としてとどまるところがないのである。
 五七五七七の和歌の姿かたちは、わが民族の息吹をつくり、かため、なした詩形であって、日本民族の目が青くならないかぎり、日本人の皮膚が白くならないかぎり、決して改変することはない。自由律などと誇称してこの音律の破壊を試みる者が過去にもあったし今もあるが、よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)のように、いつのまにか消え失せている。それは日本人の美意識の奥底にふれるリズムの力を持ち得ないからだと思う。

 明治天皇さまは、世の人心が怒涛の勢いに呑まれて西洋かぶれして、このままでは遠からずして日本の日本たる本質、日本人の日本人たる所以のものが失われると、非常に御心配になった。このことは明治十九年に書かれた元田永孚の『聖喩記』にあり、今も心ある人の恐懼措く能わざるところである。陛下が東京帝国大学をつぶさに御視察になって、大学には理科、化学、植物学、医科、法科などはあるが、大切な「修身の学科」が見当たらない。身を修める学問はどこでやっているかと御下問になった。

 大学は高等の人材を養成することろであるが、その肝腎な学科がないのは憂うべきことである。このことについては徳大寺侍従長に命じて渡辺東京帝国大学総長に解答を求めねばならぬ、と仰せ出された。この経緯が、『聖喩記』―陛下のお喩し(おさとし)二ついて謹記した元田永孚の―文章に詳しく書かれている。
 この御心配は、その後もずっとつづいた。明治四十三年の御製の中に、次の一首があって、胸の痛む思いがするのである。

 
教草 しげりゆく世に たれしかも あらぬこころの 種をまきけむ

 学校では、いろいろの教科を教えて、いよいよ茂り栄えてゆく今の世に「たれしかも」……誰であろうか、あらぬこころの種をまいて邪道をはびこらせる者は、という大御心で、そこには陛下としてはめずらしい憤りの色が現れている。
 ひるがえって、今日の日本は、あの頃とは比較にならぬほど、あらぬ心の種をまきちらす者が多くなって、八重むぐらなして繁茂し、さ蠅なし蛆たかる世の姿である。
 短歌はあるが、しきしまの道は衰える。魂を浄め、人のまことを表現する日本の学問の核心をなす和歌というものが、なんとなく変質してしまったように見える。しかし、それでも今の日本の国民(常民)が短歌の世界を捨てないのは、まだ望みがあるということもできるだろう。なぜというに、五七五七七の調べに身をおくと、知らずして人の心をまことにするよすがになるからである。
 
 中略
 振り返ってみると、小学校で歌の言葉の意味を教えてくれる先生は、ほとんどなかった。本居宣長の
 
 しきしまの やまとごころを ひととはば 朝日ににほふ やま桜花

 という歌を教えられ、暗誦させられたが、「しきしまの」も「にほふ」も、よくわからずじまいだった。「しきしまの」は何のことやら、「にほふ」は鼻で嗅ぐことかどうか、わからないまま大人になってしまったわけである。

 しかし、そこは日本だ。わからぬまま、なんとなく歌の心だけは肌で感じたし、その感じは、やはりいつまでも残って魂に浸み込んでいたように思う。
 中略
 話は横道にそれるが、小学校では数え歌を習った。「六つとや、昔をかんがえ、今を知り……」という文句あれを歌うと東京の良家の娘たちがくすくすと笑って、なかには逃げ出すものもいたと聞く。東京人は「を」の発音ができずに「お」という。今や、その発音が標準語のなかにも入れまじって私の名前「忠雄」を「ただを」と書かないで、「ただお」と書かされる。そんな調子だから、「昔を考え、今おしり」になると、娘たちでは「お尻」になる。恥ずかしくもあり、おかしくもあり、声張り上げると堪え難かったらしい。「いまおしり」だから、今お尻を出すのか一層恥ずかしいのだった。
「朝日ににほふ」がわかったのは、二十代になってからで、『万葉集』の「むらさきの にほへる君」という言葉に出逢ったときだった。あれは天武天皇が額田女王に呼びかけられた相聞の歌で、彼女の美しさを最高に讃えられた一首だから、好奇心をそそられて辞書をひいたうえで、むらさきの色は古代日本人の最も愛した色で、その美しい色が照り映える君ということだと知った。「にほふ」は照り映えると解して一応よろしい。しかし「にほふが如き君なりき」というとき、それだけではまだまだ尽きないようだ。そこが「言霊」であって、「にほふ」はあくまで「にほふ」で、ほかの言葉には代えられない。だから、先生たちが暗誦させて言葉に親しみを持たせるだけにして、意味の説明を省略されたのは、そうした一大見識だったのかも知れない。
 一大無知によるものであったのか、一大見識によるものであったのか、わからないことにしておくのが今の私の心境である。
 
 つくづく思うことだが、「むらさき」の色の美しさは、本当には昔の歌でわかる。古代の「むらさき」は今の「紫」とはちがうようである。くわしくは言わないが、今の原色のけばけばしいアメリカ人好みの色とは似てもつかぬ色だ。戦後の電車やバスの色の原色を使った野蛮な色には、ほとほと絶望して、ああいう野蛮な色を毎日見ていたら、いくら日本の道だの日本への回帰などを説いても、それは日々の生活の側面から打ちこわされると嘆息しつづけるのだが、最近になると、やっぱり本来の色に復る兆しが見える。日本人は古代の昔からあんな野蛮な色を本来は好まないからである。

 私は「天皇論」に行く前に、天皇の御製に親しむ方がよいと思っている。民族論をやる前提として、古代中世近世のすぐれた歌に親しむ方が先だと思っている。むらさきの花の美しさがわかれば、本来の日本人になれるからである。

 月や花を見るというが、月や花がわれわれを見ているという世界がある。一方交通でなくて、たがいに感じ合うのだ。それが日本の歌である。古人が「感応道交」といったのがそれで、さ渡る風や谷川のせせらぎが私たちに真理を語っているのだ。その真理の体得には、日本の和歌を中心とするが最も親しいと思う。明治天皇さまの御製をつつしんで拝誦しよう。

 
ことのはの まことのみちを 月花の もてあそびとは おもはざらなむ
 
 月を詠み、花を詠むのは「しきしまの道」であって、「もてあそび」ではない。それは日本人が本当の日本人になる学びの道だとの大御心である。


大阪府の橋下徹知事の教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例案

2011年05月27日 13時32分43秒 | 現代日本

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。橋下知事、日教組を相手に頑張っています。日教組の反日教育は異常です。何しろ、日教組の辛抱する一番の思想は、北朝鮮の主体思想だと、内部文書に書いてあるのですから。それに今はどうかわかりませんが、以前はよく北朝鮮に研修に行っていましたしね。一体どこの国の教員だか分りません。

子供達を祖国嫌いにする日教組、祖国が嫌いになるように育てられた子どもが、同じ日本人同士で助けあうという温かい社会を築けるはずがないです。社会を敵視し、自分より上の立場の人間への反抗心が強い人間を育てることになり、結局社会への適応ができにくい人間になってしまいます。革命の戦士にするにはもってこいでしょうが。

子供達をそんな人間にしてはなりません。自分の中に流れる日本人のDNAに誇りを持ち、社会へ貢献したいと考えるようなプラス思考の人間に育てるには、自分の存在を支える根っこの部分、家族、祖先、祖国、日本という国の歴史、そうしたものに愛情を持たなくては、自分自身をしっかりと肯定する気持ちにつながりません。自分を肯定できない人間は、他人を愛することができません。


転載開始

 

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良識ある日本国民の皆様には、大阪府の教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例案を日弁連が違憲との声明を出したのはご存知だと考えます。

「起立強制条例案は憲法違反」 日弁連会長が声明で批判

大阪府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」の府議団が成立をめざす教職員に
君が代の起立斉唱を義務化する条例案について、日本弁護士連合会は26日、
宇都宮健児会長名で「起立・斉唱を強制することは憲法の思想・良心の自由を侵害する」
などと批判する声明を発表した。  声明は「教育の内容と方法に対する公権力の介入は抑制的であるべきという
憲法上の要請に違反するもので看過できない」と主張。橋下氏が強調する
「公務員組織の規律の厳格化」については「教職員は(憲法上)『全体の奉仕者』だが、
職務の性質と無関係に一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠とならない」
と批判。府議会に条例案を可決しないことを求めた。
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0527/OSK201105270001.html

 

>日本弁護士連合会は26日、宇都宮健児会長名で「起立・斉唱を強制することは憲法の思想・良心の自由を侵害する」

橋 下徹知事が率いる「大阪維新の会」の府議団が成立を目指す、府内の公立学校の教員に対して「式典での君が代の起立斉唱を義務化する条例案」には、教職員組 合などが「公教育への介入、教職員への思想統制」と反発を強め、橋下知事は「起立は府民感覚として当たり前。国旗、国歌を否定するなら公務員を辞めればい い」と述べ、職務命令違反を繰り返した場合に「最後は免職処分」とする方針を示して騒動となっていますが、24日の「大阪弁護士会」に続いて「日本弁護士 連合会」までが「違憲」だと騒ぐのは間違いです。

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憲 法で「思想と良心の自由」の「侵害」は禁止されていますが、法令や職務命令に基づいて一定の「行為」を命ずることと「思想・良心の侵害」とは別なので、 「思想と良心の自由」の「制約」は正当ですし、法律が国民に対して制約(国民の義務)を課している場合には、「個人」としての思想・信条と異なるもので あっても「国民」は従わなければならないので、例えば、納税など不要であるとの思想の持ち主がいたとしても、当然納税の義務を果たさなければならないの で、もし国民一般に課せられた法的義務を、思想、良心の自由を理由に拒否することを認めたら、法治国家として日本は崩壊します。

「地 方公務員法」第32条では、「職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上 司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」と定められ、校長が教職員に国歌斉唱を命じても「思想、良心の自由の侵害」とならないことは、すでに「福 岡地裁判決」(平成17年4月26日)でも認めて、「君が代」のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令は合憲で、職務命令を拒否したことを理由にしての懲戒処 分は正当とする「最高裁判断」(平成19年年2月27日)が出ています。

>「教育の内容と方法に対する公権力の介入は抑制的であるべきという憲法上の要請に違反するもので看過できない」

>「教職員は(憲法上)『全体の奉仕者』だが、職務の性質と無関係に一律全面的に公務員の憲法上の権利を制限する根拠とならない」と批判。府議会に条例案を可決しないことを求めた

憲 法15条2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と定められていますし、これまでにも日教組は地方公務員である教職員が 「地方公務員法第37条」により「いかなる争議行為も禁じられている」のにストライキを行っているのですから、公務員の憲法上の権利を制限するのに反して いるのは教職員の方で、教育の場で絶対的権力を持つ「教職員」こそが「公権力」と同等の立場にあります。

特 に「日教組」や「日弁連」など権力を持つ団体が教育に介入するのは問題で、行政(大阪府)は教育を受ける権利を有する国民(府民)の代表ですから、その責 任は国民(府民)の支持に基づいて執行していますし、法曹界において、国籍条項には「公権力の行使、及び公の意思形成の参画に携わるものは、日本国籍を必 要とする」とあるので「日本国民以外」は「裁判官」・「検察官」になれませんが、日弁連には「在日韓国・朝鮮人の弁護士」がいます。

私 は本ブログで再三再四、赤い悪魔集団である「日本教職員組合」(日教組)について記事としていますが、日教組は、国旗「日の丸」・国歌「君が代」を否定し て、日本の「歴史」・「伝統」・「文化」・「風土」などを根底から否定した「反日教育」を行っていますし、文部科学省は1月13日に「公立学校の教職員」 のうち「日教組に加入している教職員の割合」(昨年10月時点)は、前年比0.5ポイント減の「26.6%」と発表して、公立学校の教職員の「4人に1人 は日教組の教職員」です。

日 教組の牙城である「H20」と呼ばれるのは「北海道」・「広島県」・「大分県」で、文科省は「国旗も国歌もほぼ100%、学校での国旗国歌の指導は定着し た」と、2003年度から「公立小中高校の卒業・入学式での国歌斉唱率と国旗掲揚率の調査」を中止しましたが、「大分県」の教育関係者らの民間教育臨調が 県内の小中学校(95校)を対象に昨年実施した保護者アンケート調査によると、生徒が国歌をきちんと歌った学校は「26%」しかなく、半数近くの学校は 「国歌のテープ」が流れるだけで斉唱はしなかったとの結果でした。

大 分県の教員はさらに酷く「斉唱」したのは「8%」だけで、「校長ら管理職以外は誰も斉唱しない」が「66%」もですが、日教組などが進める「平和教育」の 影響が大きく、「大分県教組大分支部」の平和教育小委員会は2002年に、小1~中3まで各学年で国旗国歌をどう教えるかを示した「日の丸・君が代学習系 統表」を作成して、現場の教員に配布して生徒に指導していました。

小1▽「ああうつくしい」と歌われている「ひのまる」を悲しい思いで見ている人たちが
いることを知る 小2▽「君が代」が「国歌」として使われるようになったが、この歌で悲しい思いをする人も
いることを知る 小5▽戦時中、戦争を推し進める手段の一つとして、小学校でも「日の丸」教育が行われ、
日本中で戦意を高揚させていたことを知る 小6▽99年8月、(国旗及び国歌に関する法律が)「数の力」によって成立し、
法制化された経緯を知り、問題点を考える 中1▽「日の丸」「君が代」が思想統制のために使われたことを知る 中3▽国民主権と天皇制の矛盾、現在の国旗・国歌のあり方について考える

 

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↑ 日教組など反日教師の「君が代指導 実践例」~「小4」 在日韓国人「君が代」は歌えませんの投書(朝日新聞)を読ませる。「小5」 朝日新聞の批判記事を読ませる。「小6」 「君が代」を戦争と関連付けて教える。

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日教組は常日頃「人権」を主張するのに「北朝鮮の国家的テロ犯罪」である「日本人拉致被害者問題」には抗議もせず、日教組は「北朝鮮を地上の楽園」と仰いでおり「北朝鮮系」の教師や、「総連」や「」関係者も多いのです。

日教組に朝鮮総連

数 年前、逗子で行われるはずの櫻井よしこ氏の講演会が日教組の横槍で中止になった経緯がある。K.S社長は櫻井氏の講演会を楽しみにしていただけに、中止に 対して不満であった。彼は早速横浜の日教組に電話を入れ、高橋事務局長に抗議した。彼の質問に答えきれなくなった高橋氏は「今、朝鮮総連の人がいるから代 わります」と言った。

朝 鮮総連の某氏は従軍慰安婦、創氏改名、強制連行など、「過去の日本が犯した悪徳」をK.S社長に説いた。しかし歴史に詳しいK.S社長の反論に答えられ ず、今度は「の人に代わります」と言った。何故日教組に朝鮮総連やの人達がいるのか。K.S社長は驚きを隠せなかったと述懐する。
(山本善心の週刊「木曜コラム」)より一部抜粋
http://www.fides.dti.ne.jp/~shinwa/column/shuukannkoramu/75.htm

 

大阪府の橋下徹知事の、教職員に君が代の起立斉唱を義務化する条例案を思想・良心の自由を侵害だと、憲法違反とする日弁連は間違いで、国旗国歌を否定する日教組の教員を免職処分にすべきです。

良識ある日本国民の皆様、国旗・国歌を否定する日教組についてご考慮下さい。

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豊葦原瑞穂の国 、天皇陛下の稲作

2011年05月26日 13時39分25秒 | 現代日本

24日、天皇陛下はお田植えをなさいました。日本書紀では、天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあるそうです。神代の時代から、神々も自ら勤労されて、祭りを行われました。その伝統を天皇陛下も大切に受け継がれ、長靴を履いて、毎年神田にお田植えをされます。秋には稲刈りもされ、その収穫したお米で、新嘗祭を行われます。

世界の元首の中で、このような農業などの勤労をされるのは天皇陛下だけです。祭祀王として神代から続くわが国の天皇陛下の存在意義が良く現れたお姿です。これについて美しい国 にとてもわかりやすい記事が書かれています、 また、 公立中学校教員のブログ にも教育の視点から同じニュースを取り上げておられますので、両方転載します。 


「美しい國」から転載開始 

 

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お田植えあそばされる天皇陛下 御尊影 24日 宮城
 
 
 
 
 
 
 
畏くも天皇陛下にあらせられましては24日、宮城(皇居)の神田でお田植えあそばされました。
昭和天皇陛下は昭和2年、御自身で稲作を始められました。今上陛下には大御心(おおみこころ)をお継ぎになり、御代替わり(みよがわり)の年からお田植えとお稲刈りをなされ、翌平成2年からは御播種(おんはしゅ)をなさる新例を開かれました。
  
国家の統治者が水田に足を踏み入れ、米作りをされる例は他国にはありません。なぜそうされるのでしょうか。そこにどのような精神的、文明論的意味があるのでしょうか。
我國は太古の昔より、豊葦原瑞穂國、豊葦原之千秋長五百秋之水穂國と呼ばれてきました。豊かな葦原と瑞々しく美しい稲穂が実る国、という意味です。
皇祖天照大御神は天孫降臨の際、
 
一、天壌無窮の神勅  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』
 
二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』
 
三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』
 
と、三大神勅を下されました。
 
皇孫であられる、畏くも天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも豊かな稲穂の実りのある國なのです。
 日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあります。
 これこそが我國のお国柄を現しています。
世界には君主制の国が少なくとも20カ国以上あるようですが、長靴をはいて水田に足を踏み入れ、田植えをし、鎌を手に稲刈りをなさるのは、日本の天皇陛下以外には聞きません。
 
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皇祖伊勢神宮
 
 
 
伊勢神宮の祭祀は、殆どが稲作と関係し、稲作の時期に合わせて行われます。
  
2月17日~2月23日 祈年祭(としごいのまつり)   五穀豊穣祈願祭 旧正月後の田作りの前の祭
 
4月上旬 神田下種祭(しんでんげしゅさい)  稲種を神田にはじめて下し奉る祭 稲の籾種まき無事早苗が育つように。
 
5月14日 風日祈祭(かざひのみさい)  風日祈宮(風の神様)に風雨の恵み、五穀豊穣のお祭り。
 
6月15日~6月25日 月次祭(つきなみさい)  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。田植えが終るあたり。
 
8月4日 風日祈祭   風の神へ御幣を奉り、風雨の恵み、五穀の豊穣をお祈りします。
 
9月上旬 抜穂祭(ぬいぼさい)  神田にて神嘗祭に奉るご料米の御稲穂(おんいなほ)を抜きまつるお祭り(神宮神田)。
 
10月15日~10月25日 神嘗祭(かんなめさい)  その年の新穀を大御神に奉り、ご神徳に報謝申し上げるもっとも由緒深いお祭り。
  
11月23日から 11月29日まで 新嘗祭 (にいなめさい)  新穀を天皇陛下御自ら神々に奉られ、また御自らもお召しあがりになる大儀が宮中で行われるに際して、神宮へは勅使を御差遣(ごさけん)されて、奉幣の儀 が行われます。また、それに先だって神饌を奉り大御饌の儀を行います。  *新米は陛下が食しめし(きこしめし)いただいた後、臣民はいただきます。
 
12月15日~12月25日まで 月次祭  由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)を奉り、五穀豊穣、治國平安の祭。
毎日 日別朝夕大御饌祭 (ひごとあさゆうの おおみけさい) 年中、毎日朝夕の2度、外宮の御饌殿で、両正宮、同相殿神(どうあいどののかみ)および各別宮諸神にお供えものを奉ります。
 
現在の稲作は、地域によって異なりますが、五月の連休に田植え、九月上旬には刈り入れます。これは、殆どが兼業 農家のためと、台風がくる前に収穫しようとするためです。 そのため日本の神社の田祭の時期と今の稲作サイクルがずれてしまって、神々に対しての感謝の実感がわかなくなってきています。なんのための祭か忘れてし まっている感じがあります。つまり、人間の都合で稲作直を早め縮めているわけです。さらに、先祖伝来の田畑を欲得の為手放し、誠に申し訳ない事をしている ようです。日本人の伝統的な思いでは、古事記や書記にでてくるように、田んぼも、土も水も稲も神々です。神の子として誠に申し訳ない事をしているようで す。
神々に対しての畏れを忘れてしまったのが現世の臣民であります。
 
畏くも天皇陛下は「祭祀王」「祈る王」だとされます。
昭和天皇の御製に、
 
わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎをいのる朝々
 
畏くも天皇陛下は人が見ないところで日々、祭りを行い、「国平らかに、民安かれ」とひたすら公正無私の祈りを 捧げておられるのです。
そして、皇祖以来の伝統を継承されておられるのです。
戦後、権利、人権などを誇張し、日本人としての自覚を忘れ、皇祖、先祖、先人よりの御教えを忘れ、豊葦原の瑞穂の国を汚し、変わってしまったのは我々臣民なのです。
畏くも、天皇陛下にあらせられましては、皇祖以来の伝統を護り、臣民を護るお姿は神代の昔から普遍なのです。
 
 
 畏くも、  天皇陛下は、皇居の神田で、稲種まき、お田植え、御収穫をされています。  誠に神勅の隨々(まにまに)です。  天皇陛下のお田植えは誠に尊いお姿です・・・
 
 
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
 
 

転載元 転載元: 美しい国

 

公立中学校教員のブログから転載開始

 

天皇陛下が田植えイメージ 1 
 天皇陛下は24日午後、皇居内にある水田で毎年恒例の田植えをされた。
 茶色の開襟シャツ姿の陛下は、長靴を履いて水田に入り、うるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチの苗計100株を1株ずつ丁寧に植えていた。
 植えられた苗は9月ごろに陛下が稲刈りをし、米は新嘗(にいなめ)祭などに使われる。(2011/05/24-18:29)時事ドットコム
  
 
今年も、天皇陛下が皇居内の水田で、田植えをなされました。
 
記事にある「新嘗祭」は、日本書紀に、【天照大神(あまてらすおおみかみ)が自ら神田を営み、新嘗の祭りを行った】とあるように、古代から大切にされてきた宮中祭祀です。
 
その天照大神の末裔で、我が国の祭祀を司る最高責任者である天皇陛下が、国民を代表して農作物の恵みに感謝する重要な式典で使われる米を、毎年毎年お植えになられ、刈り取られる今上天皇陛下のお姿には、国民の一人として、心からの尊敬と感謝の念を持たずにはいられません。
 
 
キャリア学習の前に
ところで、学校教育では、「ニート」や「フリーター」など若者の就業問題を受けて、平成15年(2003年) 文部科学大臣らが取りまとめた「若者自立・挑戦プラン」に基づいて、将来を担う若者たちに勤労観、職業観を育み、自立できる能力をつけることを目的として、キャリア教育が行われています。
 
しかし、最近の子どもたちは、「勤労は対価(報酬)を得るための手段」としか思っていませんから、中学生くらいになると、「将来は、働かなくてもいいくらいの金持ちになりたい」「少しでも楽して大金を稼ぎたい」と言い、健全な勤労観を育むことは容易ではありません。
 
 日常生活の中でも、子どもたちは、家事の手伝いや、学校での役割分担などで「いくらくれる?」と対価を求め、自分の成長のための学習でさえも、「成績があがったら、いくらくれる?」と対価を望む姿は珍しくありません。
ですから、仕事が対価(報酬)と釣り合わないと思えばすぐにやめてしまったり、不平不満ばかりを言うことになります。
 
そんな子どもたちには、キャリア教育の前に、まず「日本人としての勤労観」をしっかりと教えなければなりませんが、昨日の天皇陛下のお姿は、まさしく、それを後ろ姿で教えてくださっています。
 
陛下のお姿から学ぶ「勤労観」
ご高齢にも関わらず、長靴を履いて田に立たれる天皇陛下のお姿は、勤労の尊さをわたしたちに教えてくださいますし、国家元首である天皇陛下御自らが勤労に従事するお姿は、我が国の「勤労観」をまさに体現してくださっています。
 
我が国の神話では、天照大神が自ら神田を営み、機織りをするように、神話の神々さえも生業(職業)を持っていました。
それほどに、我々日本人は勤労を尊び、「労働を美徳」となしてきた勤勉な民族です。
 
しかし、戦後教育で、神話や皇室を軽んじてきたがために、2000年紡いできた「日本人としての勤労観」が、次世代につなげなくなってきています。
このままでは、「労働を美徳」としてきた、私たちの文化が滅んでしまいます。
 
だからこそ、まずは、日本の伝統・文化の核(コア)である天皇陛下がなさる田植えの意義や意味をしっかりと教えることから、キャリア教育は始めなければなりません。
それが、子どもたちの健全な勤労観を育むためには絶対的に必要なのです。
 

転載元 転載元: 公立中学校教員のブログ


世界と比較した日本の教育の異常、これは、社会主義全体主義国の教育

2011年05月25日 16時12分54秒 | 現代日本

美しい国 からの転載です。戦後の日本の教育は他の自由主義陣営の国とは大違いでした。日本の教育のお手本は、共産主義国家だったのです。

社会主義国家など全体主義国家では、個人がばらばらになるように仕向け、家族や共同体としての結びつきを希薄にすることで、国民を服従しやすくするのです。そして、また宗教は、同様に、国民の絶対服従には邪魔ですから、教育から排除されます。まさに共産主義の教育をお手本にしていたのです。

GHQには、近年解読されたベノな文書というソ連のスパイの暗号通信の記録によると、GHQには、アメリカ国内の共産主義者が多くいて、ソ連からの支持で動いていたという話もありますし、やがては日本を赤化してソ連の属国にする予定もあったようですから、これは当然かも知れませんね。

戦後教育(八)愛国心・宗教・規律を教えない戦後教育

前回はお国柄に根ざし、国民軌範となり我國発展の原動力となった「教育勅語」廃止してしまった経緯について述べましたが、では戦後の教育はどんな素晴らしいところがあったのでしょうか?
残念ながら、戦後教育に賛辞を送れる事柄などないのです。
戦後教育の申し子といっても過言ではない、政府民主党始め、国家観なき官僚、多発する尊属殺人、詐欺、枚挙すればきりがありません。
 
では、戦後教育は何を基準、お手本としたのでしょうか?
米国をお手本としたのでしょうか?確かに、GHQの指令に従って「六・三制」など米国の一部で行なわれている制度を取り入れましたが、米国の教育の根幹を見れば、戦後の教育改革はまったく異なることが解ります。
米国教育の根本は、「米国民の養成」にあり、「愛国心の涵養」と「キリスト教による宗教教育」にあります。
愛国心の涵養の一例は、毎日行なわれる「国旗への忠誠宣誓」である。宗教教育は、とくに軍の学校などには、聖職者が常駐しているほどです。
いろんな場面で見られる米国国民の、国家、国旗への忠誠心は羨ましいほどです。
この米国式教育とまるで逆なのが、戦後日本の教育です。日本の学校では、愛国心を教えない、宗教を排除した教育を徹底しています。
では、いったい何をお手本としたのでしょうか?
宗教排除教育は、全体主義(共産)国家をお手本としています。
 全 体主義(共産)国家にとって、宗教は敵であり、国民を絶対服従させるにはジャマなのである。全体主義(共産)国家は、国民一人一人をばらばらの状態にし、 統制しやすくする。逆に、自由主義をまもるには、家族・地域・宗教・職場などの中間組織をより強いものにして、国民がばらばらになるのを防がなければなら ないのです。
自由主義国家では、「愛国心」を義務教育の中心に据えています。
米国は前述しましたが、
【ニューヨーク州教育法第八〇一条】「① 国を愛する公民としての奉仕と義務の精神を高めるために、また平時及び戦時における公民としての義務を果たすために、不可欠な道徳的・知的財産を、州内の 子女に植えつけるために、ニューヨーク州教育委員会は、州内のあらゆる学校の守るべきものとして、愛国心と公民教育についての教授計画を規定しなければな らない。州内の各都市及び各学校の教育委員会は、所轄の学校に雇用される教員が、この教育を行なうことを要求しなければならない。②前項の学校に就学する 八歳以上の児童・生徒は全て、かかる教育を受けなければならない。」(「新教育基本法」一二五頁)
 オーストラリアでは、生徒は、機会ある毎に愛国を誓う。「私は神とわが祖国とを愛する。私はわが国の国旗を尊ぶ。私は女王(エリザベス二世)に仕え、また喜んで両親、先生、そして国の法律に従う」フランスでは、「わ が子よ、私は祖国を愛します。それは私のお母さんがそこで生まれたからです。私の血管を流れている血は、まったくそこに属しているからです。おお、お前は まだ完全にはそれを理解できないだろう。この愛国心を。お前は大人になったときそれを感じるだろう。もし異邦人がお前の国を侮辱するのを聞くとき、より烈 しくより気高くそれを感じるだろう。」(フランスの道徳教科書)
  
などの愛国心教育を行っています。
我國の日教組職員などは、「愛国心排除」という教育を子供達に押し付けている点で、世界のどの学校においても無政府主義者・破壊主義者として危険視され罷免される教員に違いありません。
  
我國の公立校では、宗教教育については排除していますが、以下の國では宗教教育を学校教育の中心にしています。
①ドイツ 教育の目的に信仰心と愛国心の涵養を掲げている。
【ドイツ基本法(憲法)第七条第三項】「宗教教育は、公立学校においては、非宗教的学校を除き、正規の教育科目とする。宗教教育は宗教団体の教義に従って行なうが、国の監督権を妨げてはならない」
【ヴェルテンベルグ州憲法第十二条】子供が、「神に対する畏敬とキリスト教的隣人愛」と「国民と祖国に対する愛」の中で教育されなければならないと規定している。宗教教育こそが、最高の教育であると認めている。(「教育基本法」一〇八頁)
 
②英国  「教育法」(一九四四年制定)は、宗教教育と毎朝の集団礼拝を全公立学校・私立学校に義務づけている。(「新教育基本法」一〇五頁)毎週、学校ではキリス ト教(英国国教会)に基づき、聖書を使い賛美歌を歌うといった宗教教育が行なわれている。有名私立学校イートン校の礼拝堂は、観光名所になっている程であ る。毎朝の集団礼拝は、神に対する崇拝、賛美、自己献身などが基調とされている。
英国は、宗教教育による「英国精神」回帰で国家再建に成功した】サッチャー首相は、「英国病」と言われる疲弊した国家再建に乗り出し、一九九八年「キリスト教の宗教教育」を徹底することで、「英国人の同一性」(アイデンティティー)回復を図り、「英国病」を克服した。(「新教育基本法」一〇六頁)
 
③フランス 政教分離の原則が厳しく言われるフランスだが、毎週水曜日が「宗教教育の日」とされ、家庭での宗教教育に充てられる。(「日本国民に告ぐ」二二九頁)
では、日本はどうでしょうか?
日本の学校では宗教教育がタブーとなり、最近の修学旅行では、神社仏閣周りを敬遠し、生徒の自由行動にしている学校が多く、また、京都御所は見学の対象にさえ入っていないのではないでしょうか?
反戦教育のため、広島、長崎、を修学旅行に行かせるところもあるようですから。
多くの全体主義(共産)国家は教育から宗教を排除しています。
旧ソ連憲法第五二条「ソ連邦においては、教会は国家から分離され、学校は教会から分離される」
この条文を、我國に置き換えると、「日本國においては、神社・寺は国家から分離され、学校は神社・寺から分離される」。となります・・・
これは、日本國憲法が、旧ソ連憲法などと同じく「全体主義(共産)国家憲法であることを意味しています。
 
戦前日本は規律の國とまで言われました。
しかし、戦後教育の弊害が近年顕著に表れています。
昭和時代にはさほどでもなかったのですが、平成教育は、「自由尊重」の名に隠された「無規律教育」を行っています。
現在でも英国などは、親・学校が、子供に対して絶対服従を教えています。
我國のサヨク思想の面々は、これを英国の封建思想と呼びますが、はたしてそうでしょうか?
夏 目漱石は、「あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国(英国)は恐らく世界中にないでしょう。日本などは到底比較になりません。しかし彼らはた だ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、子供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自 由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。・・・要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。」
と、英国の「個人主義」が「義務」に裏打ちされていることの重要性を指摘しています。
 
 
しかし、最近の日本はどこの國の「精神の占領」を受けているのでしょう・・
米国なのか、中国なのか、韓国なのか・・恐らくそれら全ての国から精神の支配を受けていることになるのだろう。領土問題、教科書問題、経済問題等を見ればそう思うしかないでしょう・・
占領基本法なる、憲法の前文をみれば明らかでしょう・・・
 
だから一刻も早く、憲法を無効宣言し、お国柄にあった帝国憲法に回帰し、全体主義化した國の体制を是正し、教育改革もしなければなりません。
 
 
次回は、最も日本を堕落させた「教育基本法」について述べたいと思います。
  
 
 

転載元 転載元: 美しい国