Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

ぬか床が安定期になった。

2018年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

ぬか床をつくってから半年が過ぎて時期的に
どうも安定期に入ったようだ。味が一定して
きた。突然の塩辛さが無くなった。
 
気温が低いので毎日かき混ぜる必要は無くな
ったが、野菜の水分が浮いてきたりするので
水分調整や、追いぬかによる塩分調整などが
でてくる。
 
ただし、美味しいぬか漬けにしようと思えば
前にも書いたが、やはり新鮮野菜が必要なの
だ。漬物だと思ってしおれた野菜などを漬け
ると、やっぱり不味いのである。んでもって、
やっぱりぬか漬けの王様は胡瓜であって、そ
の美味しさはズバ抜けている。あの食感とぬ
かとの相性は抜群なのである。
 
ナスもキュウリと同じでぬけ漬けの代名詞と
でも言える野菜であるが、こちらはどうも難
しい。色はキレイにでるようになったが、味
がいまいちである。
 
季節柄、素材のキュウリは店で購入するが、
ダイコンとカブは船坂菜園(六甲菜園)で収
穫したものを漬けている。ダイコンとカブは
漬かり具合の見極めが難しいのであるが、こ
ちらもぬかとの相性はいい。モチロン、食感
もいい。といういいことづくめの季節なので
ある。
 
ちょっと余裕ができたら、豆腐やトマトも美
味しいらしいのでチャレンジしてみたいもの
である。来年は船坂菜園で採ったミニトマト
を漬けてみたい。無農薬、無肥料の何も足さ
ない自然農で雑草のように育てられたミニト
マトの予定である。(笑)


ケンチクテキ視点-21

2018年12月27日 | 建築、設計

今年最後の久々の「ケンチクテキ視点」なのである。
8月11日依頼であるから本当に久々なのである。
https://blog.goo.ne.jp/gen1724/e/ad1bc89dd348a88bf6a00219edee2fc2
 
話は続きではなく今回は番外編である。
思い起こせば20歳から設計事務所で働き出して、
早32年。どうにもこうにも年を取ったのである。
 
30代の中盤くらいまでは、新建築や住宅特集、
(建築の月刊誌)をみて展示会やセミナー等、
いろんなところに行っていた。月刊誌に載ってい
る建物などは近くにあると必ずと言っていいほど
観に行った。仕事中、抜けて建物を観に行ったりも
していた。(笑)
 
この時代は見るもの全てが新鮮であり、空気が違う
ような気がして貪るように実際の建物を観に行った。
東京や海外に建物を観に行ったのもこの時期である。
建築家の話もよく聴きに行った。その思想に心を躍
らされた。感動と感心の話であった。
 
それが刺激になってより一層、行動するという感じ
でドンドン建築にのめり込んでいった。それがどう
したことか、今は全くと言っていいほど観に行かな
い。興味が無くなったというよりも自分の可能性が
少なくなったからかも知れない。
 
ただ、建築というのは本当に楽しく、面白い。
そういう気持ちは忘れていない。これから建築を学
ぶ人には建築の面白さをわかって欲しい。人の創造
力というのは素晴らしい。こんなことが出来るのか、
ということも形になる。そして空気をも変えられる。
名建築と呼ばれるものは空間に入ったときに空気が
変わるのである。これは体験した人はわかるのであ
るが、ザラッとした空気感になり、建物が小さく観
える。
 
写真マジックにも気をつけないといけない。写真で
は迫力があっても実際にはそんなことがない建物も
多い。やはり観に行かないとわからないのである。
 
建物を体験した分だけ設計に活かせると思うが、そ
れをどう反映するかは本人の才能のような気がする。
そして「あきらめない」「やりきる」という気持ち
が設計には大切だと思う。
 

 


心に引っかかるモノは何か。

2018年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

生きてきて、どうも心に引っかかるモノが常に
あったように思う。幼い頃はそれが何かわから
ず、恐怖心や不安感を感じていた。日常は、感
じないのであるが、ふとしたことがキッカケで
何かを感じる。
 
10代の後半はスポーツに夢中になっていて、あ
まり考えることは無かった。働き出した20代
の頃は、それが何か知りたくて苛立ち、刺々し
い発言をして周りに迷惑をかけた。10人いたら
1人か2人、理解してくれる人がいたらいい。そ
んな感じの時代であった。
 
30代で独立開業して世間の波に溺れそうになり
ながら何とか生きてきた。そんな時代も仕事と
は別に何か心に引っかかるものがあった。そん
な感じでいつの時代も何か心に引っかかるもの
を抱えながら生きてきた。
 
他の人はどうなんだろうと思うが、環境も何も
かも違うので聞いても仕方ないと思っている。
生きていくといろいろあるもので、それに対し
てどう行動するかが大切だと思っている。
 
行動しないと何も始まらない。だけど心に引っ
かかる何かはいまだにわからない。一体、ボク
は何に対して引っかかるものがあるのだろうと
思う。
 
このモヤモヤしたものは時には夢に出てきたり
した。夢の中でもモヤモヤしたままで起きた時
に何かわからないのであるが、モヤモヤした印
象だけが残る。
 
50才代になった今も心に引っかかるものは残っ
ている。これは様々な感情の集大成みたいなも
のでずっと残るものであり、それは解決できな
いもののように思う。
 
これが何かはいまだにわからない。たぶん、死
ぬまでわからないと思う。これは心の傷ではな
く、次へのステップのための引っ掛かりだと思
いたい。
 
何かわからないものだから、解決できないので
ある。今の自分対しての何かの願望なのであろ
うか。それすらわからない。年齢を重ねても、
いつまで経っても、変わらない自分がいる。
 
これはストレスではなく、何かに導かれている
ような、そんな気配を感じる。それが心に引っ
かかるような気がする。
 
こんなことを考えるのも年末という節目なので
考えしまうのか。でも、1年の内、何度かそうい
う時期が来る。我武者羅に何かに没頭できる時
代は過ぎたと思う。そういう時はそれで気が紛
れた。
 
心に引っかかるモノが何かはわからない。わか
らないが、いつかわかる時がくるのであろうか。