「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死刑論議と宮崎哲弥

2007年12月27日 19時03分35秒 | 死刑制度と癒し
 
 先日、国連総会で、死刑執行を一時停止する 要請の決議案が 可決されました。

 それを受けて 「死刑廃止と死刑存置の考察」 という Webページに、

 評論家・宮崎哲弥〔*注〕と 慶大法学部教授・駒村圭吾の論考が、

 紹介されていました。

http://www.geocities.jp/aphros67/indexs.htm

 次のような主旨です。

『人間には、国家成立以前に 持っていた 「自然権」 がある。

 そのなかに 「報復権」 というものが 含まれ得る。

 しかし 国家の成立によって、報復権は 個人から取り上げられた。

 「万人の万人に対する闘争」 「暴力の連鎖」 を防ぐためだ。

 国は 個人の報復権を 代理で履行することになった。

 従って死刑は、国家が 被害者に成り代わって、

 報復権を 適正かつ安全に代行する 制度である。』

 一見 それらしいですが、どうでしょう? 

 確かにこれは、応報としての刑罰の 正当性を述べてはいますが、

 それが即、死刑制度を肯定する ことにはならないでしょう。

 死刑存廃論議は もっと広く、深く、

 伸展されていく必要が あると思います。

 僕は現在は、死刑廃止と声高に 断言はできなくなっています。

 それは 本村洋さんの影響があるでしょう。

 死刑賛成論者と死刑廃止論者は、真剣に考えていけばいくほど、

 お互いに近づいていくという 至言があります。

 しかし僕は、上記のように 世界の趨勢から言っても、

 理念として やはり死刑廃止を 求めていきたいと思っています。

 再び自分の中で よく考えてみなければいけません。

 
*注:宮崎哲弥は、心子と僕が一緒に 駅前のドラッグストアーに入ったとき、

 店内にいるのを 見かけました。

「今、評論家の宮崎哲弥がいた」

 と僕が言うと、心子はミーハーっぽく、

 わざわざ戻って 見にいったのでした。 (^^;)

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51911546.html
 

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