「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

話を聴いてくれた 友

2009年01月05日 21時13分07秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57246924.html からの続き)

 自分の無能に対する 怯え,

 人より以上のことを 成そうとしていたが故の 絶望。

 全てが間違っていた, もはや 何もできない,

 何の力もない、と 僕は思うようになっていました。

「 そんな 阿鼻叫喚のなかに、 ただひとつの (最大の) 救いがあった。

 同じ下宿に住んでいた 友人の存在だった。

 毎夜、 彼の帰宅を待ち焦がれて 僕は彼の部屋を訪れた。

 誰かに 一緒にいてほしかった。

 誰かに 聞いてほしかった。

 彼は耳を傾けてくれた。

 そのまま彼の部屋で 朝まで寝入ってしまうことも しばしばだった。

 そんなことが 何ヵ月も続いた。

 自分の苦しみに対する 利己心は、 彼に迷惑をかけるという 考えを一蹴した。

 彼は受け入れてくれた。

 年少である彼は、 僕の異状な懊悩に

 出口を示してくれるという わけではなかった。

 ただ、 聞いてくれた。

 彼は 僕の命の恩人といっても 過言ではない。

 死に瀕して 窒息している人間にとって、

 傍らに寄り添ってくれる 心の存在は、

 一体どれだけ 大きな救いとなることだろう。 」

(9/8)

「 ああ、 どうして 人の心は近づき、 離れるのだろう。

 どうして 嬉しいことと悲しいことが あるのだろう。

 どうして 善い人と 善くなれない人が いるのだろう。 」

「 僕は今、 苦しみを語るまい。

 悲しみを見せまい。

 いつか 我が作品で 己を表すまでは。

 ああしかし、 その日まで 誤解と嫌悪を 受けたままでいるとは、

 何と悲しいことだろう。

 もはや 理解されようとは望まない。

 しかしせめて ……… せめて、 友情だけでも………。

 苦しい時に 心の余裕を。

 それを僕に 要求するのか。

 それはあまりにも 酷だ。

 しかし、 しかし僕は 優れた人に なろうとしているのではなかったか。

 人並み以上のことを しなければならないのではなかったか。

 今こそ、 言葉ではなく、 実際の態度で、 それを示すべき時なのか。 」

(次の記事に続く)
 


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