蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

国民国家―人類はいつこの呪縛から解き放たれるのか―

2010-05-20 00:32:26 | 日常雑感
5月19日(水)雨、肌寒い一日。

 夕方大相撲を視る。把瑠都が早くも日馬富士の下手投げに倒れて連敗し3敗となった。然し、昨日の琴欧洲との一戦は見ごたえがあった。
このようなダイナミックな相撲は、外国人力士が今のように多数入ってこなければみられなかっただろう。
幕内の対戦から次第に日本人力士の影が薄くなりつつある。モンゴル人は言うに及ばず、今や白人が丁髷を結い、廻しを締めても、眼が慣れてきたせいか、だんだん違和感を覚えなくなりつつある。

こうしてみると日本人とか、何々人なんて色分けにどれほどの意味合いがあるというのだろうか。
身近なところでは、私の弟は、認知症になった母親を看護するため、独り住まいだった母親のところに足しげく通ううちに、ある日自宅に戻ってみれば、妻子はおろか主な家財共々も抜けの殻。卓上に一枚の離婚届が置かれてあったという。
その後いろいろして結局は協議離婚の成立。
中年過ぎて初老期を迎えた弟はこの先の人生、とても独りでは寂しくてしょうがないと、再婚相手を探した。だが、同年輩の日本女性に優しくて気心の好い相手を見つけることができなかったという。
仕事の傍ら中国語と、韓国語の習得に興味があって中国や韓国に度々行くうち、結局は上海の若い女性と結婚した。今、二人は仲良く幸せそうに暮らしている。

従姉妹の息子も仕事で上海へ行き、そこで中国人女性と結婚し、こちらは2、3年で離婚した。
今、私が住んでいる山梨のこの地のご近所でも、中国人妻や、フイリッピン女性を妻とする人が珍しくなくなった。
反対に、冒頭の琴欧洲の夫人は、優しく美しい日本人女性と聞いている。
今や、男と女の間には、人種や国境は何の壁にもなくなりつつある。スポーツの世界でも音楽や芸術の世界でも個人のレベルではそうではないか。

だがその一方で、何故、人間は個人を離れ国民とか民族とかのレッテルを身にまとった集団となると、アフガンで、イラクで、イスラエルで、アフリカ各地で、南北朝鮮で、中国辺境地域で、国境を厳しく封鎖して殺し合い争そわなければ成らないのだろうか。

この地球上で人類だけが繁殖しすぎて、食料から化石燃料、地下資源まで食いつくし枯渇させつつあるというのに…。
地球温暖化も、働く人々の低賃金を含め世界経済活動の活性化も、今のまま国民国家の頚木、呪縛に絡め取られているうちは絶対に解決することはないのではなかろうか。

世界中には数多の賢明な政治家や哲学、経済、科学等万般の学者がいらっしゃるだろうに、どうして現在の世界中の諸問題の根本原因である国民・国家という集団エゴの頚木を打ち砕く方向へと強い動きが出てこようとしないのだろうか…。
誠に不思議なことではないだろうか。

大相撲という日本国民文化の一典型ともいうべき、色彩豊かな様式美の土俵の上にこんな、矛盾した想いというか夢をついみてしまうのだ。