今日の夕方近く、いかにも人の良さそうな私と同い歳かっこうのご老人が訪ねてこられた。ご挨拶としるされタオルの包みに名刺を添えてわたされた。
伺えば、我が家の南側の山林の地主さんだ。
今度、そこに太陽光パネルを設置するので工事等でご迷惑をおかけするがよろしくとのこと。
そんな話こちらにとってはまさに晴天の霹靂だ。本来なら怒り心頭といったところだ。だがいかんせん他人様の土地のことだ。
持ってこられた話とはうらはらに、その穏やかそうな人柄に惹かれて、もう少し詳しいいきさつを伺うべく、わが仕事場の薪ストーヴの前に招じた。
聴けば、下の方の街の通りで雑貨屋をやっているが、今は、お客が一人も来ない日がある。なんとか商売は黒字でも、とても夫婦二人たべてはいけないとのこと。
そこで先祖伝来持っている土地を少しでも活用するほかなく、今回、我が家の前の千坪ほどの山林にも太陽光パネルを設置することにしたとのこと。
設備には1800万ほどかかるが、10年ほどで回収でき、あと20年ほどは耐用年数があるとのこと。今は、固定資産税も一銭もかからないが、太陽光パネルを設置すると、宅地並みの7割課税となる。そうすると市税収入も増えるとのこと。
地主さんと市にとっては確かにいい話だ。
だが、ここの自然景観が気にいってわざわざ建てて間もない浦和の家を投売りのようにして越してきた者にとっては、なにかに騙されたような気分を拭えない。
私とて、20年前の富士山麓、上区一色村に悪名高きオウム真理教が巨大な倉庫群のようなサティアンを建てたことは頭にあった。
私が自宅を買った土地も地目は山林で建築基準法上は無指定であった。それが怖かった。無指定ということは何をつくろうがお構いなしということだからだ。
その不安について、売主の地主さんに「いつまでもこのままの景観でいられますかね…」と。地主さんは太鼓判を押してくれた。
「なーに、心配ありませんよ。私の目の黒いうちは、もうこれ以上売りませんから…」とのことであった。
私は、その一言に半信半疑ながら希望的観測をもって購入した。その際、周囲山林が何らかの理由で切り開かれてもいいように千坪ほどは欲しかったが、建築費を考えるととても無理だった。400坪弱が限度だった。それでも浦和に居たときの10倍の広さに当初は満足だった。
だがその喜びは長くは続かなかった。周囲の美しい赤松林の赤松が松食い虫に次々におかされてたちまち茶色に立ち枯れ始めた。
そして大風の吹いた後に、あちらで一本、こちらで二本と倒れていった。
我が家の南側の赤松林もある日突然きれいさっぱり伐採されてしまった。後はその代替に檜が植林されることになった。
私は、赤松ならともかく代わりに檜が植林されたのでは、将来目の前の景観が年中不変の鬱陶しい緑の壁がそそりたったのではたまらないと思った。
そこで、物は試しと地主さんを訪ねて、なんとか檜の植林をやめて伐採したままにしておいてもらえないでしょうかと頼みに行ってみた。
だが、それでは市から伐採の費用を助成してもらえないとのことで断られた。
私は諦めた。どうせ、苗木の檜が成木になる頃にはこっちはこの世に居ないのだからと…。
その挙句が今回の話だ。我が家との境界の樹木は極力残すという。それなら仕方が無い。檜の緑の壁よりは、太陽光パネルの畑なら高々2Mほどだ。黒っぽい、太陽光パネル無機質の一群は、我が家からは境界付近の木や草で隠れて、冬を除けばほとんど見えなくなる筈だ。それで我慢するほかないのだ…。
それにしても、この太陽光発電パネル。この地では、日照時間日本一の歌い文句が裏目に出て、今や、そこここの春秋の色彩豊かな雑木林が片っ端から切り払われて、太陽光パネルの一面の黒い海になるかとの勢いだ。
東日本大震災。福島原子力発電事故の影響が、4年後の今日、思わぬ形でわが目の前に迫ってきた。
とはいえ、東日本大震災で二つと無い生命や財産を失われた方々。福島原子力発電事故の被害で、いまだに今まで住んでいたところに住めなくなった方々のことを思えば、たかが目の前の景観が少々変わったからといって、おまえは何を贅沢な、身勝手なことをほざいているかと、お叱りをうければそれはそれで一言もないところではある。
だが、それはまさに、我が国の国土・土地利用政策、農山林政策の無策のつけをこんな形で忍ばねばならないかという思いを、一概に無下にされるものだろうか…。
そして、今やこの国で、美しくいと思い、その景観に惚れこんで安心して住み続けられる場所は、いったいどこへ行けば得られるというのだろうか…。
嗚呼、哀しいかな! 我が田舎暮し賛歌!
伺えば、我が家の南側の山林の地主さんだ。
今度、そこに太陽光パネルを設置するので工事等でご迷惑をおかけするがよろしくとのこと。
そんな話こちらにとってはまさに晴天の霹靂だ。本来なら怒り心頭といったところだ。だがいかんせん他人様の土地のことだ。
持ってこられた話とはうらはらに、その穏やかそうな人柄に惹かれて、もう少し詳しいいきさつを伺うべく、わが仕事場の薪ストーヴの前に招じた。
聴けば、下の方の街の通りで雑貨屋をやっているが、今は、お客が一人も来ない日がある。なんとか商売は黒字でも、とても夫婦二人たべてはいけないとのこと。
そこで先祖伝来持っている土地を少しでも活用するほかなく、今回、我が家の前の千坪ほどの山林にも太陽光パネルを設置することにしたとのこと。
設備には1800万ほどかかるが、10年ほどで回収でき、あと20年ほどは耐用年数があるとのこと。今は、固定資産税も一銭もかからないが、太陽光パネルを設置すると、宅地並みの7割課税となる。そうすると市税収入も増えるとのこと。
地主さんと市にとっては確かにいい話だ。
だが、ここの自然景観が気にいってわざわざ建てて間もない浦和の家を投売りのようにして越してきた者にとっては、なにかに騙されたような気分を拭えない。
私とて、20年前の富士山麓、上区一色村に悪名高きオウム真理教が巨大な倉庫群のようなサティアンを建てたことは頭にあった。
私が自宅を買った土地も地目は山林で建築基準法上は無指定であった。それが怖かった。無指定ということは何をつくろうがお構いなしということだからだ。
その不安について、売主の地主さんに「いつまでもこのままの景観でいられますかね…」と。地主さんは太鼓判を押してくれた。
「なーに、心配ありませんよ。私の目の黒いうちは、もうこれ以上売りませんから…」とのことであった。
私は、その一言に半信半疑ながら希望的観測をもって購入した。その際、周囲山林が何らかの理由で切り開かれてもいいように千坪ほどは欲しかったが、建築費を考えるととても無理だった。400坪弱が限度だった。それでも浦和に居たときの10倍の広さに当初は満足だった。
だがその喜びは長くは続かなかった。周囲の美しい赤松林の赤松が松食い虫に次々におかされてたちまち茶色に立ち枯れ始めた。
そして大風の吹いた後に、あちらで一本、こちらで二本と倒れていった。
我が家の南側の赤松林もある日突然きれいさっぱり伐採されてしまった。後はその代替に檜が植林されることになった。
私は、赤松ならともかく代わりに檜が植林されたのでは、将来目の前の景観が年中不変の鬱陶しい緑の壁がそそりたったのではたまらないと思った。
そこで、物は試しと地主さんを訪ねて、なんとか檜の植林をやめて伐採したままにしておいてもらえないでしょうかと頼みに行ってみた。
だが、それでは市から伐採の費用を助成してもらえないとのことで断られた。
私は諦めた。どうせ、苗木の檜が成木になる頃にはこっちはこの世に居ないのだからと…。
その挙句が今回の話だ。我が家との境界の樹木は極力残すという。それなら仕方が無い。檜の緑の壁よりは、太陽光パネルの畑なら高々2Mほどだ。黒っぽい、太陽光パネル無機質の一群は、我が家からは境界付近の木や草で隠れて、冬を除けばほとんど見えなくなる筈だ。それで我慢するほかないのだ…。
それにしても、この太陽光発電パネル。この地では、日照時間日本一の歌い文句が裏目に出て、今や、そこここの春秋の色彩豊かな雑木林が片っ端から切り払われて、太陽光パネルの一面の黒い海になるかとの勢いだ。
東日本大震災。福島原子力発電事故の影響が、4年後の今日、思わぬ形でわが目の前に迫ってきた。
とはいえ、東日本大震災で二つと無い生命や財産を失われた方々。福島原子力発電事故の被害で、いまだに今まで住んでいたところに住めなくなった方々のことを思えば、たかが目の前の景観が少々変わったからといって、おまえは何を贅沢な、身勝手なことをほざいているかと、お叱りをうければそれはそれで一言もないところではある。
だが、それはまさに、我が国の国土・土地利用政策、農山林政策の無策のつけをこんな形で忍ばねばならないかという思いを、一概に無下にされるものだろうか…。
そして、今やこの国で、美しくいと思い、その景観に惚れこんで安心して住み続けられる場所は、いったいどこへ行けば得られるというのだろうか…。
嗚呼、哀しいかな! 我が田舎暮し賛歌!